ノーランがやりたかったのは地獄の黙示録か?
会話が多すぎる。飛行機突入など結果だけ見せれば良い。設定説明は不要。人間関係がくだくだしいのはダンケルクの反動か?
キャサリンがヒロインなら目立つ女として博士を何で登場させたのか不明。
オペラハウスでサックスで横になってた女が美人。チェロをぶっ壊すとこは楽器の扱いが酷い。
アバンのオペラハウスの逆行銃に救われた時点で覆面が誰でどう展開するかもわかってしまうので、残るは映像的な楽しみだけで頭を使う余地が無い。
そして、今回は人によった構図に融通をきかせるためか、担ぎカメラが多くてノーランらしい固定で動的で立体的な場面が少なく、視覚的に退屈。
セイターの顔を隠す理由がわからなかった。主役落ちも予想したが、そもそも断片で見えるのが白人だったので却下。いつの彼かを隠すためか?
冒頭の音楽がリバース処理から始まったのが露骨で、あれで展開や見せ場が読めてしまった。
逆行の設定があまり活きていない。見せ場のギミックではなく気に止まらない場面の背景で色々あって欲しかった。それでいてサイドミラーのヒビや登場人物を示す装飾品の露骨さ。ダークナイトのゴードンのオフィスで話すデントの後ろの本棚みたいな、もっと無意識を攻める要素が欲しかった。
ジャンプの漫画を見せられてる気分だった。理解不能な点や線引きが無いので登場人物に焦点が合う度に幼稚で苛々した。
彼らしい要素が幾らでもあったが、彼らしい新しさが無かった。
理由は不明だが、IMAXレーザーで見たのに、最序盤のオペラハウスの1カットで全く綺麗だと思わなかった。レーザーだとフィルムでも持て余すのか、他に原因があるのか。
インターステラーが人情的には1番一般的だと思っていたが、本作が総尺以外は最も一般的な作品か。メメントやプレステージほど差し迫った人生の喪失が無い。だからつまらない。
時間や運命の決定論は、程度はどうあれノーラン作品には常についてまわった。そして、その扱いは説明や設定の大小に関わらず、それを考える者にとっては価値のある扱いだった。しかし、今回はキャラ萌えにしかなってない。彼のこれまでの運命論は、喪失が前提ながら全力で前進する人生論だった。その点でテッドチャンに並ぶ扱いや描写であった。しかし、今回は作中の謎は見終わった観客の人生に寄与しない、その場限り謎解きで、もし作中の条件が世界の原理ならば、彼以外に多くの事が絡み、大学サークル程度の人間関係で完結しない。インセプションはあくまで個人に対する企図だから、どれだけ展開や描写が大きくなろうと問題が無かった。
ノーランはジョジョを映画にすべき。発想も演出も趣味も荒木飛呂彦と同じ。そして現在のジョジョリオンを自分が読めているのは、娯楽性を維持しながら作者や読者や社会の問題を作品なりに提示しているから。
本作の謎や疑問は、それがわかったところで人生に幸福を寄与しない。これまでは予算が限られた作品では意味を、大作では意味の代替に特権的な実現を見せてきた。しかし、今回は彼を好きで彼の作品を全部見てる身からすると、未知が無い。
そもそも自分がノーランどころか、もはや映画に何も感じなくなってしまったのだと自覚した。物凄い金を手間をかけて凄い事をやってるが、それが自分の人生に何の救いにもならないのだと。
彼は今後も偉大な映画監督として挑戦を続けるだろうし、成功もするだろう。しかし、個人的にはノーラン映画で史上最低。駄作ではないが、発見や感銘や驚きが無い。極論、生き方を変えたり考えを変えたり自殺を止めるほどの価値は本作には無い。IMAXレーザーの画質や音質すら感動出来ずに、もはや自分は興味が無くなってしまった。