2014年12月28日日曜日

10年間のドキュメンタリ「みんなのアムステルダム国立美術館へ」を見てきた

みんなのアムステルダム国立美術館へを見てきた。

前作のDVDパッケージは黄色ヘルメットをかぶっていたが、今回はそれを外しているの、しゃれてるね。

今年の9月。
漠然とドキュメンタリを見たくなって、100,000年後の安全ようこそ、アムステルダム国立美術館へを借りて見た。

オランダでは2008年に上映されるも、日本は2年後の2010年であったらしい。

前作は2004年から2008年まで。
現実には2013年に再開館したので、DVDを見た段階では終わってなく、笑った。
前作DVDを見たのは今年9月なので、見終わってからググったら、2013年に再開館したと知って、完全版が無いものかと思っていたら、今月に続編の予告が公開された。


個人的にタイムリだったので、前作と同じ上映館ユーロスペースで見てきた。

時間で言えば、前作が4年間、今回が5年間と、前作で撮影できなかった期間のほうが長いのだが、内容は、前作と重複した内容が半分で、新しいのが半分の合計90分程度だった。
前作と同じ内容だが、偉大な美術館は遠い過去の作品ばかりじゃなく自分達の時代の作品も残すべきと20世紀の作品も展示するという議論や、作品の修正作業員の作業姿や、電気をつけて美術品の保管庫を遠景で全部見られたり、そういった美術館の抽象じゃなく場所としての裏側や、やっと手続きの申請が終わったが着工する業者のオークションが2社の予定が1社になり予想よりも高くついてもめた、など前作と重複しながら、前作の総尺117分より短いので、続編でこれらは省略されていた。
今回のBD,DVDが発売には、2本を見なくても1本で新旧全部が見られる完全版にしてほしい。

特に、前館長が現役だった頃に、あらゆる組織から不満を言われて作業が進まない状態に「やる事があればどんなに難しくても頑張れるが、やることが無く待つだけの何年は苦しいだけ」というのが今回は省略されていて残念。

では前作に無く、今回の続編にあるのは何か。
それは、前館長辞任後の新館長の活動
結局、個人が変われば仕様も変わるということか。
既に終わっていた出入り口を、また前館長がもめてた時のものに戻し重複した問題を起こしたり、時間が無いのに試すのは簡単だと主張は無いが不満はあったり、かなり酷い印象だった。
旧案と重複しながら少し違う新案では車椅子など障碍者むけの通路が無くなったのを叩かれていたり。
会議の決定が末端に伝わってなくて仕様が微妙に変わっていたのが見つかりもめたり。

前作で「展示すべき」と議論しながら具体的な行動があまり見られなかった20世紀作品の入手は、今回オークションの映像があって(前作にあった?)、予算は30万ユーロだったが45万ユーロで他に取られたのが見られる。
このオークションは鑑定士と顔のない依頼人を見てるようだった。逆なのだが。

計画というのが、いかに人数が多くなり金額が大きくなるともめるのか、という反面教師に良い。
10人がそれぞれ異なる不満を言えば、負担は10倍になるのだ。
創作ではないので、何をもって完成もこぎつけたか決定的な場面はなかったので、もめてるわりに何故かいつの間にか完成してた、みたいな印象があった。
美術館員や建築家や内装家など、再開館前に終わった仕事を振りかって、救われたかはわからないが報われた感じの答えで良かった。
内装家の女、そら6年も泥沼に引きずり込まれたら最後のインタビュウに泣いてしまうのもわかるわ。

晩飯は、KOKIA - Falling in love with the orchestraを見に行った帰りにドネルケバブの露店を見かけ、食べたかったが結局は無視して帰ったので渋谷でさくっと食べられる店ないかとググったら見つけたケバブカフェ
値段は950円。
うまかったが量が足りず、生地と米が少なく肉と野菜を持て余したので、値段を1000円で量を1割2割か増やしてほしい。
米がもちもちしてたのは、素材なのか調理の問題か。
露店のようなサンドイッチ型は無いようだった。
露店でも600円で量2割増とかあると良いのだが。

日本人客は自分1人だけで、あとは入店するたびに「Hey, Brother」など店員と挨拶して英語だかどこ語だかわからん言語で親しく会話していて、客の姉ちゃんが無関係の客と店員の会話に笑って1こと2こと会話に参加していたり、なんか面白い状況だった。
しかも、たまに「そうそう」とか「ええっと」とか「おまたせしました」とか日本語が混ざるのが面白い。
ちょっとした孤独のグルメMASTERキートン気分だった。


2014年12月24日水曜日

ライヴやコンサートから客じゃない底辺を締め出そう

開演前に注意を無視して場内撮影している底辺を見つけ次第、携帯電話などの画像データを確認した上で撮影が発覚したら即払い戻し無しの退場にすべき。
携帯電話の確認を拒否しても即退場。
「"遠慮"ください」じゃなく「禁止」と明言し、それでも無視する底辺を見つけ次第、払い戻し無しの即退場。
その主催側の対応を法律で保障し即退場を合法化しよう。

開演前のもめごとを避けるための婉曲な対応なのだろうが、わきまえてる客とわきまえない底辺で後者のほうが結局は獲得しているのおかしいだろう。

【KOKIA】管弦楽の生伴奏「Falling in love with the orchestra」に行ってきた







編成人数
【Strings】【41】
*1st,2nd22
*Vio8
*Cello6
*Conb5
【Brass】【10】
*Trp2
*Horn4
*Trb3
*Tuba1
【Wood】【8】
*各2本ずつ
Piano1
Harp1
Timpani1(4個)
Bass Drum1
Percussion3

個人名義は2,3曲しかしらず、管弦楽というので勢いだけで行った。
MCの気持ち悪さが梶浦由記といい勝負。
MC1発目から「今日はオーケストラに恋をして帰ってもらいたい」www
40にもなろうかという者が1万円弱の管弦楽に来た客に対して恋www
次のアルバムではアームストロングに関する歌があり、どこそこにいてなにそれを見かけてアームストロングの歌みたいだな、と思って作った、と説明したあとに、歌詞がどこそこにいてなにそれを見かけてアームストロングの歌みたい、とそのまんまで酷くて笑ってしまった。
MCの口調も「なにそれがありました。その時にうんぬん」と物語調の口調で聞いていられなかった。
KOKIA名義の曲は2,3曲しか知らず、やとわれ歌手のほうが既知は多いのだが、個人だと曲や歌詞や態度はこういうもんなのね。
歌詞に「Aみたいな(のような)B」が多い気がする。
比喩としてAを出しておきながら対象がBであると宣言すると比喩であるAが無意味になるからやめてほしい。
限定版ステッカーが売れずに宣伝しろと言われたので買って帰ってくれというのは面白かった。

指揮者の紹介と念願の生管弦楽には触れたが、編曲には何も触れなかった。
パンフによると編曲は江口貴勅。
10年くらい前のゲームしから知らないが、今はこんな事をやっているのね。
たしかクラシック畑では無かった気がするが…。

木管による静かな埋めや、ポップスの様式とちゃんと区別して低音無しの間や、ブラスのsfzや全体のブレイクなど、しっかりと抑揚があって疲れずに乗れた。
それだけに、歌詞と曲調の「とにかく世界礼賛と見せかけた自己陶酔」の均質が退屈。
全曲Let it Goみたいな…。

欲を言えば、ピアノはいらなかった。
ピアノが万能なので、静かに細かく間を埋めるのを、管弦だけでどう攻めるか聞きたかった。
その割には、ちゃんと弁えていて、ピアノが伴奏の中心にはならず、あくまで添え物としての役割を全うしていた。
ベンヤミンヌスの生演奏を聞いた時にも思ったが、やっぱ生のグランドピアノって飽和が凄くて響くけど籠って聞こえてしまう。

1曲目からして、管弦楽の音がマイク,スピーカ感が無く聞こえたのに驚いた。
ティム・バートン&ダニー・エルフマン映画音楽コンサートでは編成は申し分ないのに1発目からマイク,スピーカ丸出しの音で見た目よりも迫力に欠けたけど、東京国際フォーラムと違い東京芸術劇場は初めてだったが、生が響いた上で機材を通す感じで良かった。
2階の左端という底辺席だったが、歌の埋まり以外は何も違和感なく曲に乗れた。
しかも、自動販売機は紙コップだったが、購入後の取り出し口がなんと自動開閉!
1人だったけど「それ町かよ(アニメのオリジナル話)」と興奮してしまった。

歌は申し分ない。良い声だしブレない。
しかし、息継ぎはともかく、リップノイズが酷かったw
歌はあまりEQを通さずかスピーカか自分の席の影響か、高次倍音をいじっていないのか伴奏のマスキング関係なく少しこもって聞こえた。
上が無いな、と感じるのにディエッサーを噛ませていないサ行のつんざきやリップノイズの目立ち。
そして、マイクを使ってるのだがら当然だが伴奏に対してマイク使ってる飽和と誇張と減衰の機材感が半端ない。
正直なところ歌の音質はカラオケかと思った。
歌のせいか機材のせいか席のせいか、歌詞を聞き取れないことも多かった。
ウィンドチャイムやシンバルなど金物も、よく響いてるけど上が無い感じで6khzくらいで切れてる感じがした。自分の席との距離で消えてしまったのかもしれないが、9khz前後を少し持ち上げたかった。

バスドラすげえ響いて、いい音してた。
響きすぎて浮いてたくらいで、叩かれるたびに笑ってしまった。
この低音を聞けるだけで生演奏に来る意味がある。
映画はIMAXみたいな。

聞いていて思ったのだが、坂本真綾は4年に1度くらいで良いから、伴奏は管弦楽だけのライヴをやるべきだ。もちろん菅野よう子が全曲を編曲して。

地味に良かったのは、アンコールが無かった。
伴奏が続くなかでこれが最後と明言して挨拶して、伴奏終わってすっきり退場。
潔くて良かった。

場内の撮影はご遠慮ください、をガン無視して撮ってた底辺は、見つけて携帯電話を確認したら1発退場にしろ。
携帯電話の確認を拒否しても即退場。
そして、その規制を法律で保障し合法化しろ。
遠慮とか言ってねえで「禁止」と明言し、当然それでも無視する底辺は幾らでもいるから、見つけ次第、払い戻し無しの1発退場。
注意を無視して撮影してた客が終わって感動したとか最高だったとか言いながら帰ってる中で、場所や内容を問わずにそういう底辺はいるが「(私のいる)世界って素晴らしい」自己陶酔の商品に対する客層ってこんなもんなのかと、印象が悪かった。

1830に開演
1910に20分の休憩。
1930から再演。
2015に終了。


2014年12月22日月曜日

【花澤香菜】2nd写真集「遠い口笛」に見る花澤香菜パッケージの限界

花澤香菜 2nd写真集「遠い口笛」

流石は売れっこというか、トルコ(海外)撮影だったらしいが、ミラクルジャンプ 2015年 1/30号の時にも思い、これまでの写真、静止画と変わらない。
本人は動いて話すと、割り切った全力の愛嬌があり、男に好かれる粗と女に嫌われない粗を両立した実にしたたかな挙動を楽しめる。
つまり、花澤香菜は笑顔以外の表情(行動)に優れているので、同じ角度と同じ表情では売りにならない。
背景も服装もそれなりに変化しているのに、写真集を見終わると多様性に欠けた退屈な印象が残る。
今回、1番良いと思った頁。

この、商品として問題にならず、しかし個人的な小さな不満もありながら、それは本音ではなく見せ物として、だけど見せ物にしては少し崩れている、という感じ。
花澤香菜、当人というよりも、周囲のスタッフによるパッケージの均質が問題だろうと思う。
化粧をかっちりすると、奔放とは相反するし、花澤香菜のいつもの角度と表情では、背景や服装の多様性は意味が無い。
この辺り、画一的であり、明らかに作られたパッケージでありながら、どこか自然な感じ、あるいは武装を感じさせない坂本真綾のパッケージ力というのはたいしたもので、美人じゃないけど凄い美人感のやりかた、顔や狙いなど傾向は似ていると思うし、花澤香菜(と悠木碧)のスタッフは坂本真綾の武装、パッケージから色色と学ぶことが多いんじゃないかと。
なんというか、坂本真綾は率先してるようでいて周囲の手の上なのだが、本人がそんなの気にせず乗ってる感じで、花澤香菜は周囲の要求こそを第1として結果的に奔放な振りをしている、という感じの差なのか。

同日に届いた茅野愛衣「LETTERS」

文通という痛い設定はともかく、写真集としてはよく出来ている。
室内と屋外と、明るさも色も異なる状況で、焦点はあってない、色が飛んでるなと色色と、うげっと思うところもあるが、同じ場所と同じ服装でも陰影が異なったり構図が異なったり、それから、あたかも個人的な要素が発露しているかのように見せているものもある。

この2枚。
左は屋内の影や、雰囲気ある背景とあわない無表情など、商品としては決まったものではなく、問題ないからのせたという感じ。
右は構図と光源と表情ばっちり。
同じようなものでも、結果として幅が出来てる。

1冊目の写真集花澤香菜 写真集「KANA」を見ていないので知らないが、これまでの花澤香菜を見る限り、いつもの奴なのだろう。
そろそろ、中堅として名前と行動が表向き自由になってきたのだから「個人」が見える感じの商品が欲しいと思うのだが、それとも堀江由衣を目指しているのだろうか?
裸足や、髪かきあげなど、こういう商品でないと見られない要素はあるが、前者はえらく守られた中でも決まった段取り感で、後者はいつもの顔といつもの構図といつもの陰影で、消費者にとって見られる特別な感じがしない。
当人に色気が無い、そういう商品ではないと言えばそれまでだが、どうにも花澤香菜という商品の振り切れなさがもったいないと感じる。


2014年12月18日木曜日

民音音楽博物館「田邉尚雄」展に行ってきた

民音音楽博物館田邉尚雄展に行ってきた。

気晴らしに出かけたくて、彼を知らずに行ったが、すげえ面白かった。
音楽的な情報は皆無で、1,2枚、手書きの簡単なメロ譜がある程度だったが、明治から昭和末まで生きた知識人というのは、それだけで面白い。

いつから日記を書いてたか知らないが、展示品の最年少は13歳からで、A5かB6程度の大きさに縦書きでびっちりと書いてあった。判読できなかってけれどもw
関東大震災の時の日記も展示されていた。
同日の事は、1頁ごとを数枚に引用されてた田辺尚雄自叙伝 明治篇田辺尚雄自叙伝 大正・昭和篇にも書いてあり、外で妻と会う予定だったので妻を探して駆け回り偶然にも再会できたうんぬんという内容であった。

大学時代に大学の勉強とヴァイオリンの練習で3時間しか寝られずに蛇(蝮)を知人からもらいそれを部屋に多く干して、それを食べながらやり通したそうな。
ベルセルク(ロストチルドレン)のガッツみたいな事してたんだなあと笑ってしまった。
そして首席で終えた。
首席は蛇のおかげと半分笑い話として書いてあった。

戦時中、音楽的資料の歴史的価値から、資料を管理し守れと軍から言われた、という話には驚いた。
そういった保存について分野外の人間が考えて命令してくるなんて事があったのね。
ただし、疎開するには資料や楽器が多すぎて無理なので、この場で死守すると答えたが、結果的には資料も自身も無事だった。

文章が、客観的状況と主観的状態を区別して書いてあるので実に読みやすく、だからこそ主観的な要素の没入が半端ない。
自身の功績は、趣味の延長でたまたま社会的に評価されただで、友人から「趣味で良い目を見られるのは君くらいのものだ」みたいな事でからかわれたと、半分自負もあろうが、そう書いてあって、何となく上坂すみれを連想した。
好きこそうんぬん。
順序は逆だが、風立ちぬなやりとも言える。

展示されていた日記だが、本文は縦書きなのだが活字の日付は右横書きだった。
【日一月九】ということ。
年齢が書いていなかったが、手書きの絵と文が書いてあった観察記録では、本文は左横書きで、日記の活字日付も恐らくは右横書きではなく、右縦書きにあわせた1行という考えだろう。
横書き登場では左横書きは英語や仏語を読み書き慣れたインテリを中心に、1920年前後で新聞など一般的にも左横書きが多用されてきたようだが、そういった慣習の転換期も踏まえたインテリと考えると、更に面白い。

【交友関係】
担当教師が夏目漱石だった時もあり、指されて答えられない生徒「実は自分にもわからないのだ」と冗談を行って学生を笑わせ、その後にちゃんと丁寧に教えてくれた、という思い出話もぐっときた。
関係人の紹介に、折口信夫や嘉納治五郎もいたのに笑ってしまった。
当時からすると、東京のインテリ関係って凄く狭くて代表的な人間はいずれつながるものだったのだろうか?

彼の具体的な功績などは全く知らないが、展示されていた文章が明確で面白かったので、amazonで見たら2冊あるうちの1冊だけで1万もしやがって、たかだか30年前の本が稀少の古書として扱われている現実に苛。
英国公使夫人の見た明治日本とか。
ゲーテとある子供との往復書翰は1835年で邦訳すら50年前だから、まだしょうがないと思うけども。
しかし、日本の古本屋:「田辺尚雄 自叙伝」 検索結果一覧だと上下あわせて1万ちょいだったので、これは買っても良いかもしれない。

1年を1行で書いた経歴表だが、昭和12年の1行だけテープが貼られて全部黒塗として何が書かれていたかわからなかった。何だったんだろうあれは。

以下は民音音楽博物館への行き帰りに撮った写真。

この日は、とても良い空だった。
すげえ寒かったけど。


2014年12月10日水曜日

「ウルフ・オブ・ウォールストリート」を見た感想

ウルフ・オブ・ウォールストリート
最初は経済的状況展開だったが、中盤から個人の感情と破綻になっていき残念。
レイヤー・ケーキもだが、映画の様式におさめると、どうしてもこうなってしまうか。
前半は30分で判る 経済の仕組み Ray Dalioにもある正しくMoneyとCreditの話で面白い。
思ったよりも出番が無かったMatthew McConaughey
何気にノーラン主演の2人の共演だった。

Jonah Hillと始めた店が、裏に通じる玄人かと思ったら、あくまで末端の売人をうまくやらかしたという事なのね。

女の裸はよく出てくるが、セックス描写は構図が決まって言うほどエロくない。
感情移入を避けるためか、美人がいない。
鑑定士と顔のない依頼人は逆で、まさかあるとは思わなかったセックス場面で、かつ短いのに結構まじで撮影されてるSylvia Hoeks。本編であそこまで必要なかったけど、5分くらいの特典映像で欲しかった。
脱ぐのが売りじゃないが脱ぐのをためらわないのが良い。
ヒロインのMargot Robbieまだ24歳なのね。見えないw
ちゃんと脱いでるし、後半の母親っぷりも案外キャラと演技がちゃんとしていた。
あと最後のセックスがエロい。
女の冷徹な受け入れ。
意味的にベルセルクのコルカスを連想した。
構図や、理不尽に対応する女の感じはドッグヴィルに負けるが、その分、不愉快さは無い。結局は女も自由意志によって選択した結果だからか。
自分に還元されるなら男の何も咎めない屑っぷりはミスティック・リバーが、ぽつっとがしっとやってた。
女は悪くないのに徹底した自己肯定をしないと成り立たない状況、あるいは成り立たせる女の能力という点ではキルギスの誘拐結婚か。
映画自体が、馬鹿派手にやってるが、意外と映画の倫理は守り続けてるというのもある。怖いというよりは破綻を楽しませる意図か。

レモンでぶっとんだレオナルドに最高に笑った。
ゲームオクトダッド タコと呼ばないでを実写にしたらこうなるという無駄で最高の演技を見た。
あのgdgd具合をやりきったの凄い。途中から呂律が回らなくなるとこは自分が英語を聞き取れないので最初気づかなかったが段々と変化させていく演技に笑い、車の扉をあけるとこなんて最高。
「安全運転」の落ちも良かった。

1番好きなのは、レオナルドの親父がザ・シークレット・ハンターを見てる途中で電話が来て切れる場面。
この映画が公開された当時(アメリカじゃ2013年)には、まだリメイク版のEqualizerは公開されてなかったが、リメイク版はどうなんだろうか?
クロエ・モレッツが出てるから、いつかは見るつもりだが、それよりもオリジナル版の日本語字幕、吹き替えのDVD-BOXを発売してくれ。