2020年10月21日水曜日

ときど 努力2.0 - 携帯電話と果物と花

内容に特別な事は無い。それを継続できるのが特別ではあるが。彼という媒体にこそ価値を見てる読者向け。

  • 自分同等以上の同業者と情報を共有する。
  • やりたくない事は、やりたい事の中に盛り込む。
  • 上記を含むが、日課にする(作る)。
  • 自宅は寝る場所だけにする。
  • 質より量。量の中から質は見出せるが、逆は無理。
  • 解説が可能になるまで分析する。
  • 成功より失敗が教材
  • 記録(日記)をつける。

本自体はよく整理されてるし、既存の方法から、自身の具体例に続いてるのは読みやすいし、証明の1つ。

特徴的なのは日記だろうか。日記というと基本的には自分の思考などを文章にするのが一般的だが、彼の場合は幾つかの項目があり、それをABC評価していくだけで、文章を書かない。これは情熱大陸でも披露していた。彼とは無関係だが、落語家の瀧川鯉昇が著書の鯉のぼりの御利益で披露してる日記は、修行時代に食事をおごってくれた人物,食事,日付だけが1行1日で書かれてるだけのものだった。それに通じるものがある。日記など所詮は想起する契機に過ぎないので、日付を見て思い出せるなら日付だけでも充分という事か。その契機が何かを自覚して確立しろと。

前著にも共通するが好きこそ物の誉れ。継続するのは簡単な動機と、可能な限り容易にする環境作り。

主題である努力とは異なるが、1点ジョジョリオン果物と花くらい発見と同意があったのは、携帯電話の話。彼が通ってる空手の先生曰く「昔は携帯電話が無かったので電話など連絡をとる時間が限られ、夜を避けるのは礼儀だった」これは全く同意する。自分はよく手軽と気軽は違うのに混同されてると評してるが、道具や手段は可能な限り手軽であるべきだが、それを実行するのは必ずしも気軽であってはならない。手段と実現を混同するテクノロジーは貧困を救わない問題。

The Prestigeの原作奇術師では、仕事の大工の怪我で趣味の手品を出来なくなるのを恐れて仕事をやめ、その上で仕事にしたという展開があるが、自身の執着の自覚というのは、小説や成功者に書かれるほど容易ではない。この小説の場合には些細な手品も生涯をかけた修練に支えられ、努力や好奇心を強迫観念とすら書いてる。

本書の場合は、彼の経験と分野を大衆に肯定させるため、あるいは分野の人口や発展も念頭にあるため、逆に強迫観念や義務や苦悩を願望や好奇心に置き換えている。ただし、努力とは結局のところ行き詰まるのを前提としていて、その点では文章や語彙は優しいが、その厳しさを自覚された内容であるのは変わりない。原理自体は何も得るものはないが、実例の1つとして何を得られるか。