2015年10月27日火曜日

【菅野よう子】絶版「編曲の本」の記述まとめ

ヤマハミュージックメディアで2002年12月10日に発売された編曲の本。 奥付では2003年01月10日だった。

はじめに

世間一般の良いアレンジ、素晴らしい編曲というのが、ややもすると普通になってしまっているので、自分はどこかに違和感とか、引っかかりのようなものを、常に求めて書いてしまう。

自分でもなぜそうなのか、よくわからないようなところがあるが、たぶん「ほら見て!」とか「聴いてよ」とかいうような気持ちと同じで、音楽で人を振り向かせるには、そうするしかない、というような考えが強いのではないか。

人から見たら大したことではないのかもしれないが、どんな仕事でも自分では、壊れるか壊れないかのぎりぎりの線で、違和感とかアテンションのようなものを大事にしている。

並行進行について

子供の時に「やってはダメ」と叱られると、それが染みついてやらなくなるが、そういう意味でいえば、「並行5度はダメ」というのはダメではないか。

コードネームに関して

コードネームそのものがあまりよくわかっていないし、自分の頭の中に鳴っている音は、常に転回系も決まった和音なので、本当はコードネームそのものを書きたくない。

ギターに関しても、お玉杓子で書きたいのだが、ギタリストに「弾けない」と言われるので、仕方なしにコードで書いている。

自分にとって、コードという考えは便宜上のものでしかない。いつも自分の色彩があり、その結果がテンションであったりするが、あまり気にしていない。

レコーディングに関して

常に自分の頭の中にある音楽が最優先なので、スタジオでは、どんな問題に関しても断言できる。従って、スタジオ・ワークは非常に早い。

民族音楽としての日本の音楽について

民族音楽や民謡などに関しては、特に好きでもないし、聴こうとも思っていないのだが、なぜか"民族系"的に捉えられている。それは多分いつも、作品の中に違和感を求めるために、突然コンガを鳴らしてみたりするために、そう思われているのではないか。その違和感を求めるために、日本楽器を使用したりすることはあっても、それはただそれだけのことで、いわゆる土着の音とか、暑苦しいものはあまり好きではない。

貴方の好きな作家について

幼児教室でピアノを習っていた。4歳の時発表会で、自作の「あさ」という曲を弾いたが、その時芥川也寸志さんが来ており、「CからFのコードに移る時、間に+5を入れてごらん」と言われて、音の世界が広がったことに衝撃を受けたことを、今でもハッキリ覚えている。

音楽のための勉強は、ホンのわずかに和声学を教えられたことがあるが、嫌でしょうがなかったので見向きもしなかった。今にして思えば、四声のストリングスをきれいな声部の動きで書かれたものを見た時など、あのころちゃんとやっておけばよかったと思うことはある。

しかし、普通の大学に入り、趣味として音楽をやっていたので、プロになろうとは思わなかったし、今でもプロだとは思っていない。学校のサークル活動の延長で、キーボーディストとしてプロになり始めのころ、笹路正徳さんがプロデューサーとして来たが、最初はあまりうれしくなかった。しかし、笹路さんがちょっとだけ直したりすると、がらっと良くなるので見直したのと同時に、実践的に教わるので、非常に勉強になった。

昔は、クラシックでラヴェルとかは好きでよく聴いたが、アレンジがどうのということでなく、ただきれいだからというだけであり、最近では、街に流れているかっこよいものに興味は持つが、あこがれるようなものはない。

つまるところアレンジャーとは?

どんなつまらない曲でも、それなりに聴かせるようにすることができるわけだが、それを求められて、それなりにやっている自分が嫌になるので、他人の作品を編曲することはあまりない。

読み終わって

絶版で、今では定価よりも高い値段になっているが、最寄りの図書館にあったので、勢いで読むできた。ストリングスや対位法についての解説を期待したが、以上の持論だけであった。全体的に若く尖っていてドヤばかりだが、今にして思えば、聞いて弾けるだけに、自己陶酔じゃなく本当に理論を軽んじて、恐らくは解説できないのではないか。

また、プロ意識の件も、格好つけじゃなく、だからこそ触発じゃなく丸パクリをやってのけたのかとも思った。昔は、クラシックは過去曲を教材にするので、クラシック系はパクリ意識が薄いように認識していたが。

他の作家の記述では、対位法は必須条件ではないが前提の1つであり、メロ作曲とあわせて学ぶと良い……とか、楽譜を鉛筆じゃなくペンで書いて、間違えた箇所は塗りつぶして汚していくやりかた……など同意や実践している事もあった。

金管や木管で重要なのは鳴らさないこと……など若年の過剰と老年の質素の典型や、卒業の際に、今度はこれまでのことを忘れるのが大事と言われた……などなど。

和声法や対位法だけじゃなく、楽器編成など、概要の集合といった本で、入り口には良いかもしれないが、菅野よう子は完全に客寄せだし、これで8000円は取り過ぎである。

例えば、和声だけでも3-4年かけて徐徐に学んでいくことだし、目当ての作家がいなければ、それぞれの代表的な本を別個に買ったほうが効率が良い。

もっとも、本書は読みたいと思っても既に絶版しているが。