2020年10月8日木曜日

天才の7つの習慣と全く解決されない教育格差の問題

天才の7つの習慣
  • 1人の時間を作る
  • 責任感を持つ
  • 創造性を磨く
  • 多様性を受け入れる
  • 物事を深く分析する
  • 運動をする
  • 外国語を学ぶ

全部当てはまるし、少なくとも幾つかは自主的に楽しめる要素なのに(推定)IQ100以下である。

彼らと自分で何が違うのかと言えば、本書で当てはまるのはこれだった。自分を信じてくれる人の大切さ。環境に恵まれた上で、どれだけの結果は証明不可能だし、環境は要素の半分に過ぎない。しかし、成人後の40年より成人前の20年のほうが余程重要だと考えられる。永山則夫努力には保護者的存在からの愛情や賞賛、尊重などが伴わなければ永続しない

子どもは40000回質問するでは、子供が指さした物への親の反応で、さした物を貰える、さした物が何か教えて貰える、など子供の行動と内容の和が異なり性格に影響する。出来ない子供を怒るのはしかたがないが、「幾つもの手段と道具=環境」を提示できない親や教師に囲まれた子供はどうすれば良いのだろうか。それこそ天才は独立して可能な事も、不出来な子供にこそ優れた教育者や道具など環境が必要なのに、実際は逆である。

2004年にインドの貧民層にデジタル技術を中心に教育や提供をした経験を書いたテクノロジーは貧困を救わないには、富裕層(有能)な親が子供の教育に不可欠として、知識や道具ではなく質問に答えられ可能な限り時間に応じられる教育者(大人)に金を出してる、とある。

本だけで充分な個体もあれば、時間が必要な個体、更に異なる道具や環境が必要な個体もある。親、教師、国はこれらに全く対応できていない。あるいは、対応する気がない。結局のところ、天才であるかどうかよりも、誰であれ扱える環境が存在しない限り、そもそも天才すら定義できないのではないか。

興味と行動はあっても、時間と金と知能が無い身からすると、やる気があるほどつらい現実が続くだけのように思える。