2015年6月19日金曜日

ジョジョリオンと荒木飛呂彦の漫画術を読んだ

山田玲司のヤングサンデー 第20回記念ブレイク前夜祭!『東村アキコふたたびっ!~いいオトコ、いいオンナって何なの?スペシャル!!』荒木飛呂彦の漫画術に言及されていたので、良い機会なので読んだ。

キャラが読者に媚びていない。
荒木飛呂彦の漫画術で主人公はとにかく上昇していくもの、という持論が書いてあるが、ジョジョ(荒木飛呂彦)を読んで思うのは、登場人物の設定を多く考えながら、登場人物が抱く好き嫌いで読者に好かれようとしていない。
あくまで、状況を打破するキャラが見せる側面の集合によってキャラの魅力を成り立たせ、ジョジョリオンの康穂が見舞いで定助には8個、常秀に16個だから俺(常秀)のほうが愛されている、などと作品展開には不要だが雰囲気を維持する要素を日常回をやらずに、人物や世界の日常性を感じさせる。

常秀の立場も曖昧。
これまでなら億泰やエルメェスのような、雑だが憎めない相棒的なキャラの筈だが、常秀は明確な仲間ではなく、これまでの戦闘が前提のジョジョと違うので、不本意な日常の共生で、敵意と同居を両立している。

これまで「奇妙な冒険」と言いながら、常に目的と能力と状況が明快だった「戦い」に過ぎなかったが、ジョジョリオンはスタンドも1つの用語(価値観)にすぎず、カツアゲロードや、過去作のストーンオーシャンでは、スカイフィッシュを操るスタンドとして、スタンドという超能力とは別にスカイフィッシュを実存する生物としてる前提がある。
荒木飛呂彦がスタンドは超能力の実像化ということをよく言っているが、徐々に人智を超えた何かの実像化となり、ジョジョリオンではスタンド以外の異常性がスタンドと同等になってきている。
敵対ではなく、理解不能な状況の理解と打破、そこで明らかになったりならなかったりする関係や状況。
場所や状況のより強い着目、変化が戦いではなく、未知の場所と状況に挑むまさしく奇妙な冒険となっている。

これまでのジョジョは、登場人物の立場と役割、敵対関係と作品の読み方が明確だったが、ジョジョリオンは切れ目が無い。
これまでの謎デデーンから戦闘開始という様式はあるものの、敵が発覚して倒して次の展開、というのが少ない。
主人公の目的の障害になるキャラが、明確な敵意をもった敵とは限らず、かといって戦い終わって信頼できる仲間にもならず、これまでのジョジョと違い、読んでいてえらく疲れた理由。
曖昧な立場が多いので、これまでの漫画(ジョジョ)で無意識に飛ばせた読み方が出来ず、初見のキャラと初見の状況と初見の描写をちゃんと追っていかなければならない。
それでいて、戦い1が終わって戦い2のような明確な区切りもなく、戦い1は終わったのに戦い1の人物や状況は継続して戦い1bが続いて気づけば戦い2に展開していた。

どこかHUNTER×HUNTERにも近いものを感じた。
仲間というのは互いに過剰な好意を示すのではなく、目的や場所など何かが一致したかすかな一部の共有で成り立ち、物理的な制約が結果として意識を強めて、1から10まで感情で成り立つものではなく、相互理解など不要で確固たるものになる。
この確固たる関係こそが娯楽作品における幻想なのだが、それを成り立たせてるのがハンターハンターでありジョジョだと思う。

荒木飛呂彦が掲載誌を変わったのは有効。
作家の加齢で価値観が変わっているのに、少年漫画の同じ乗りの繰り返しは作者にも読者のためにもにならない。
先日、修羅の門が再完結したが、何故か前回よりも描写や内容が幼くなってがっかりした。

荒木飛呂彦の漫画術ネタは尽きないと書いてあった。
好奇心があれば、新しい情報は幾らでもあるし、ネタが無いのは好奇心が無くなったからだと。
50歳で漫画家を引退するつもりだったが、幸い好奇心は尽きていないと。

岸辺露伴は動かないの1部しか読んでおらず、新書で紹介されていた内容が1部わからない点があったので、ここで改めて読んでみたが、礼儀の戦いを成り立たせられるのは、これまでの荒木飛呂彦の作風と、姿勢の維持だろう。
畳の縁を踏んだら死んでしまう状況とはどんな状況なのか。
ジョジョリオンでも開閉が契機のスタンドを描いていたが、荒木飛呂彦の凄さは、奇抜な描写ではなく、本来は娯楽作品として切り捨てられる要素を、堂々と、時に無理くりにでも作品の構成要素にしてしまう。

荒木飛呂彦の漫画術で世界設定の話があり、バオー来訪者でディーゼル車のくだりを読者に突っ込まれて、知識がある読者に間違った描写を見せたら、もう2度とその読者にはその作品を楽しんでもらえない、と思い知り背景や要素などの取材をしっかりして、知識とか自尊心の問題ではなく読者が作品を楽しめなくなるという点に至るのが面白い。

読者を楽しませようと必死なのに読者に媚びてない具合が面白い。
ジョジョリオンを読むと、やはりアニメのジョジョは自分には合わないと思った。
ジョジョは実は情緒に溢れていて、見せ場などは、体感的に時間や状況が止まったような演出、謎がとけてハッとしたり、激しい動きのなかで核心が明らかになったら静止するとか、漫画だと体感時間が長いが作中では一瞬のことで錯覚と取れるようになっていたり、とにかく漫画の体感時間を徹底的にこなして、静かに消え去るような機微もしっかりと描かれている。
アニメはその点で勢いを選んだぶん、自分には合わなかった。

とにかく、新書とジョジョリオンで荒木飛呂彦という作家を何度目かわからない再評価した。
勢いや奇抜さだけでなく、ネームの前の文字だけの台本だけで構成を練ったり、読者からの印象よりも作家が印象を取らずに印象的なことをやろうとしている努力と意外性。
新書のよく整理された文章。
これだけ長く作品を維持してる作家の実力とは。