ネットフリックス、世界の会員2億人突破 現金収支均衡へという記事を見た。武漢ウィルスの影響もあり好調なのは結構な事だ。
自分もVODは幾らか利用する。現在において無視できないメディアなのは間違いない。しかし、月に500円から1000円程度を払う程の価値があるのだろうか?
自分は現在0.25mmのボールペンを利用しているが、少なくともVODよりも明らかに有益だと実感している。
ネットフリックス、世界の会員2億人突破 現金収支均衡へという記事を見た。武漢ウィルスの影響もあり好調なのは結構な事だ。
自分もVODは幾らか利用する。現在において無視できないメディアなのは間違いない。しかし、月に500円から1000円程度を払う程の価値があるのだろうか?
自分は現在0.25mmのボールペンを利用しているが、少なくともVODよりも明らかに有益だと実感している。
彼にとって1万円は端金だし、あくまで当人や業界に利益になる事しか見せない側面に過ぎないが、それでも彼の功績との誤差が少ない内容である。
そこで思ったのは、今回の内容は何も驚く事が無い。彼の仕事と指向に沿った全く無駄が無い行動であり、予想外の事が無い。
ずばり、面積を選ばずに書ける。つまり、A4やB5からA6やB7まで紙の大小や余白を気にせずに書ける。
書き心地が好きなボールペンやインクの好みもそれぞれあろうが、書くという行動に何の精神的な準備も無く書けるのは0.28mmだけ。
これまで書くという行動に何か抵抗があったわけではないが、例えばA4に0.5mmや0.38mmを使うと、書き方が雑だと罫線におさまらない、または罫線を無視した時に1頁におさめたいのにおさまらない量の情報だったりする。
しかし、0.28mmだと、仮に同じ面積と同じ文字サイズだとしても、(0.38mmに対して)3割弱の違いが紙の面積が大きい程または小さい程、書く文字が多い程その差が大きくなり、その細さから無意識に字が詰まっていき1頁の情報量も増えて、0.28mmだから書ける小さい文字で余白にも容易に書き足せる。
例えばA6やB7には単語を書くが文章を書けない、という事が無くなる。
実際には不要だが、3mm方眼にあわせて簡単な漢字まで書ける。
個人的には、紙の面積(判型)よりもボールペンなどの細さのほうが、余程書くという利便性には重要だと思える。
面白いか、つまらないか、で言ったら無茶苦茶面白かった。
これは作者と言うよりも読者である自分の状態だろうが、藤田和日郎も荒木飛呂彦と同じで老いたが故に作品が素晴らしい反面、戦闘になるとつまらない問題。
今回は、というか今回も徹底した旧世代批判、親批判。善意があろうと親は失敗し、悪意があるなら言語道断。藤田和日郎の立場からは少年漫画という事もあり子供を全肯定しているが、旧世代を批判した上で、それに不満を抱きながら甘んじる、または反面教師としても活用出来てない新世代にも苦言を呈している。
本作は、恐らく藤田和日郎の史上でもっとも批判精神があるのではないか。これまでも色々と言いたがる作家ではあったし、それが魅力ではあるが、今作はとにかく全方位に喧嘩を売ってるのが笑える。
上記の通り、旧世代を批判しながら、旧世代を超越出来ない新世代も批判に含み、芸術家という特殊性を撒き餌に、芸術家と書かれたら芸術家に限った話だと思い込む、反応だけで思考しない主体性を持たない人間を軽蔑している。
実際の歴史の断片を引用して、消費者が生まれる前の時代に目もくれず成功も失敗も等しく歴史から学ぶ姿勢に欠けている点に無茶苦茶に怒ってる。
まず1つ疑問なのが、分野を問わず仕事は一切やりたくないという人種はどの程度いるのだろうか?
例えばアイドルだったらやりたい、飲食店経営だったらやりたい、海外の事件や文化を取材したい、大きな畑を持ちたい、ビデオゲームを1日12時間やっていたい、などなど願望を無限とした場合に、その延長で労働は可能だが、そもそもそういった意欲が無い人間が人類の中で何割か知りたい。
さて、根本的に思うのは、労働の問題は需要であり意欲ではない。労働意欲があろうと、これまでの仕事を許されない時代になった。それも全世界共通で。
どんな時代、どんな状況でも労働意欲が無い人種はひとまず放っておいて、これまで労働を当然とし、これからも続けたいのに続けられない状況が到来し、労働は個人の意欲ではどうにもならない事が証明された。
無脳症という病気がある。これを呪われた子供として即座に殺すが、医学的な研究に利用し、当事者を助けられなくても人類に有益な情報として活用するか、それを出来るかは無脳症当事者ではなく周囲の人間、環境に依存する。
労働も同じで、人類の多様性を肯定するなら、仕事は多様であり運営もまた柔軟かつ幅広くなければ成り立たない。人物Aにとって苦痛な仕事が人物Bにとって快適な場合は幾らでもある。
問題は人物Bを基準に労働を人物Aに強制する事。
適材適所は1つは個人の自主性に依存する。それは間違いないが、無脳症の例の通り、個人ではどにもならない問題も並存する。
国という枠は、1つには統壱的な実現を可能にするために作られたが、同時に、個人ではどうにもならない問題を解決するための有効な集団として作られた。
共同幻想の管理が容易になったのが文字とした場合に、人類は6000年ほどの歴史があるが、いまだに無意識の幻想に振り回されるだけで、意図した管理が実現出来ていない。
テンプルグランディンは全ての自閉症に肯定的な可能性があると、行き過ぎた願望を提示してるが、少なくともそれは当事者ではなく、周囲の人間こそが考えるべき事だ。
仕事をしたいのに仕事が無い時代というのは、今回に限らず人類史上いくらでもった。個人主義と巨大政府は対立するものではなく、珈琲を飲むか紅茶を飲むかくらいの選択肢を維持出来るかが人類の豊かさに直結する。その点で、今回の労働問題は、ありとあらゆる国、全人類が放置してきた問題を明確に提示し、そして恐らく人類は反応しても改善は出来ずに終わりそうに見える。
渡辺惣樹の著書真珠湾と原爆 日米戦争を望んだのは誰か ルーズベルトとスチムソン。表題通り真珠湾、原爆の是非、FDRとスチムソンの4個が均等に扱われているが、表題に関する驚くべき新しい情報は無かった。これまでの彼が翻訳した本や彼自身の本を読めば既知か連想が可能な事ばかり。
ただし、個人的に1点だけ面白かったのはリンドバーグとアメリカ第1主義。FDRに対する反戦組織として1940年に作られたアメリカ第1主義は1941年には80万人に到達した。
TENET宣伝のためにクリストファーノーランの45分に渡るロングインタビュウ動画が公開されているが、公開されて3日も経過してるのに再生数が6000程度。
日本語字幕がある日本向けの動画だが、日本における彼の評価がわかりやすく表れているように思う。
彼は発想と実現において明らかに世界上層だが、言うなればジャンプやディズニー層には受けないし、当人も売り上げのためのシリーズも基本的には嫌うので、逆によくそれで世界のトップに入れてなと驚くべきなのかも知れない。
個人的にはTENETはノーラン水準でいうと最低作品だと思っている。彼がこれまで実現してきた事をまとめただけで、彼なりの新しさが無かったという点で。
それにしても、彼程に自分以外の能力や立場をしっかりとわけて同業者の功績を讃えながら、それを指揮してまとめあげ成功してる作家などそうそういないのに、日本の消費者にはそれが理解出来ないようだ。それを独自文化とするか、世界に盲目と見るか。
SF作品が多数派であるSF(微視的/感情的)に受け入れられないとはこれ如何に。
もともとはパソコンやタブレットやピアノなど、汎用の室内向け指手袋を探してミドリ安全 指先スライド手袋 スライドタッチ ブラック L STCHBKLがちょうどよく満足していた。
しかし、ピアノに限れば指が窮屈で、あくまで寒くて動かない素手よりは窮屈な手袋のほうがマシ程度に状態だった。
ピアニスト向けの手袋は無いのだろうか? 無ければ発想はあるから出資者と製造社が助けてくれないだろうか? クラウドファンディング的な事も考えていたが、よく探したらちゃんと存在した。
衣服の装飾品は大嫌いで、腕時計すらつけたくない人種だった。しかし、2016年の海外旅行で腕時計と帽子が必要になってから、実用品の幅として野球帽を集めるようになった。
最近、今更ながらWizardry(戦闘の監獄)をプレイしていて凄く楽しいので、海外サイトからWizardryの野球帽や、MBTIのINTJだとわかってからINTJ帽子を注文して到着待ちである。
さて、そこで気になったのが、ライヴやキャラクタの商品展開でTシャツは絶対的な地位を占めているが、野球帽は意外と見かけないなと思い、帽子の市場規模を調べてみた。
2000円のブルーライトカット眼鏡エレコム OG-YBLP01GYを使い始めて、人生が変わったと言えるほど画面作業効率、睡眠を含む体調管理が容易になったので、これよりも上位の商品、レンズが透明だったり、裸眼用、眼鏡用でそれぞれどう違うのか確認したくて、エレコムの倍額(4000円)のエリカオプチカルを試してみた。
iMacの上に書類(楽譜)をのせる台が欲しい。
iMac自体が500g程度なら何の支障もなく耐えられるだろうから、価格は5000円、500g程度の土台と柱のようなもので作れないだろうか?
DAW,DTMの類は、楽譜を読めず楽器も弾けない人に音楽を容易にする側面がある。それ自体は素晴らしいが、道具が優れている程に能力が落ちる事はままある。
その予防、あるいは優秀な道具で自身の能力を上げられるのが理想であり、その方法の1つとして。
結局のところは楽器や楽譜を使うのと同じ理屈だが、楽器は自身の腕前に依存し楽譜の再現が不可能な場合がある。また楽譜だと実音を確認出来ない。
その点で、DAW,DTMというのは古典的な学習を可能にしながら、古典的には不可能だった事も容易である、まさに神業である。
ここに至り、自分は藤田和日郎をどう評価して良いのかわからなくなった。
記号というには余りに重く、先が読めないというには段取り丸見え、手抜きというには密度が濃い絵、名作というには粗がある。
作品の入り口(年齢層)を広くした上で萌え消費や価値観の甘えを許さないがサービスは怠らないという、なんだこれ。
英語だろうが日本語だろうが、横書きだろうが縦書きだろうが、段落1字下げが無いと読みづらい。
何故この仕様が一部の出版プロや一部のソフトウェアの特権になっているのだろうか?
利き腕がどちらだろうが、任意で右手左手を切り替えるくらい当然のものとして段落1字下げの有無を切り替えられて然るべきだろう。
例えば、上記はデジタル文章の読みやすさを改善するためのサービスと、その解説記事だが、後者の記事は、読みやすい仕様の解説が素晴らしいのにサイト自体が段落1字下げを実行していない本末転倒。
文字と文章は異なる。例えば住所氏名などをそれぞれ1行で書くような類には不要だ。あくまで文章の話である。
逆に、任意の全角空白で再現するのを配慮だ義務だと称するのは馬鹿げている。根本的な仕様として常備されるべきものであって、その上で利用者の任意性があれば良いだけである。
正直なところ、最後の1点に関しては個体差が大きすぎるので全肯定が出来ない。
しかし、残る3点に関しては古典的または典型的で、道具の品質と利用時間を吟味すれば明らかに誰でも有効だろう。
武漢ウイルスにより私生活と職場が同じ場所になった人間は少なくないと思われる。だからこそ、自身で加減がきくものは好機として徹底的に改善して、むしろ武漢ウイルス事後のほうが快適だと言えるくらいの事を1つでも2つでも構築するほうが健全ではなかろうか。
その内の1つとして、まずは睡眠である。
順不同。順位ではなく基本的にA-Z。1部分野や作者でまとめている。
また、出版は2020年に限らない。あくまで自分が読んだ時期が2020年だったというだけ。
常に、漠然と、知識と発想と描写と情熱を持ち合わせた作品を探していて、世界(WEB)をうろちょろしてたら見かけたのが本作。美少女を撒き餌に地政学を扱った蘊蓄漫画。
これを書いてる時点では2巻までを読んだだけだが、面白い。