2021年1月3日日曜日

双亡亭壊すべし 19巻 - もはや藤田和日郎をどう評価していいのかわからない

ここに至り、自分は藤田和日郎をどう評価して良いのかわからなくなった。

記号というには余りに重く、先が読めないというには段取り丸見え、手抜きというには密度が濃い絵、名作というには粗がある。

作品の入り口(年齢層)を広くした上で萌え消費や価値観の甘えを許さないがサービスは怠らないという、なんだこれ。

そういう意味で、商品と思想の間で苦しんでいるのはわかる。岩明均や荒木飛呂彦ほどに読者層を限るのに踏ん切れず、自身と読者の思想的、世代的な溝が広がっていくばかり。

笑ってしまうのが、藤田和日郎以上の世代に作品が厳しすぎる。これでもかこれでもかと喪失を与え続け、その内容も描写も重い。それ自体は素晴らしい事だし、藤田和日郎が作家としてまだまだ現役である証明でもあるが、これ子供が求めてる商品なのだろうか? かといって大人が読むには描写の激しさに反して義務的な失敗と成功の段取りが過ぎて読んでて恥ずかしいくらいだ。

本作はどこに向かっているのだろうか?

若者像は明らかに老人から見た偶像で今の子供には「?」な事も多かろう。藤田和日郎の描く美少女は今でも通じる美少女だとは思うが、記号過ぎたり生々し過ぎたり、その幅が大き過ぎて疲れる。そういう意味では現実の女を相手にしてる程度の徒労を再現してる点で凄い作家だとも言える。

読者人気のために存在する彼女で、実際に男が望む事ばかりこなしてるが、これ運動競技者の女が抱える問題にも通じる。女が健康で有能なら、それだけで男にとっては性的な対象(商品)となる。男女とも違いに性的である事が目的でないにも関わらず、行き着く先はそこに過ぎない。

本作の場合は男の作品で、かつ少年漫画という商品なので着地はわかりきっている。藤田和日郎は撒き餌と自覚して美少女を描きながら、ほとんど男と同じように苦しめる事にためらいがない。その点では誠実だし、消費では終わらせないよう苦労して見える。

心から素晴らしい作品だとは断言できず、藤田和日郎の代表作としても他人には推奨できないが、かといって無視も出来ない内容と描写である。

ここに至り、自分は藤田和日郎をどう評価して良いのかわからなくなった。