2018年10月31日水曜日

【あれよ星屑】完結したので最後まで読んだ

あれよ星屑 7巻 (ビームコミックス)
4巻(2016年)で1度読むのをやめて、久しぶりに5巻以降を読んだ。
人間関係は記憶してつもりだが、改めて1巻を読み直したら、中盤から出てきたと思ってたキャラも序盤からいたし、最後の露骨でやりすぎだと思ってた死神も、1巻に出ていた。

序盤では、どちらにも取れるような演出なので、その程度と流して読んでいたが、全7巻と長いわけではないが、連載独特のブレも無く、最初から最後まで決めてから描かれたようだった。


どれほどの連続性があるかわからないし、それこそ縄文物からも見いだせるが、アジアの中で日本の過剰な潔癖さは、やはり、この時代の反動なのだろうか。
日常的に食べるものが、食べ物ですら無い物も入った料理を食べざるをえない時代の。
もっとも、どこの国でどう加工されたかわからないものを毎日食べてる我々も、そう言うほど変わらない状況とも言えるが。
我々人類は、生死に関わる飲食物に案外無頓着であるのだなと。

序盤は、もっと漫画的な謎解きがあるような作品かと思ったが、違った。
一応、彼らの戦中の行動や事情が、最後に明かされるが。
5巻の冒頭など、大概の漫画では許されぬほどに、退屈である。
1話丸丸かけて舞台の内容と観客の反応を描いただけ。
漫画の娯楽性なんぞ知ったことかと、あくまで見やすい媒体での紹介なのだと。
作者にとっては何の疑念も無かったのだろう。
序盤こそ登場人物のやりとりが多いから、そこまで思っていなかったが、後半で、登場人物の核心とは異なる当時の描写のみに気にかける姿勢は、作家はともかく、よく娯楽媒体として許されたなと。

本作は、とにかくセックスが多い。
戦後の不安定な環境で女の被害を描くのは当然だが、そうではない日常場面においても、知り合い同士の同部屋での乱交など、娯楽作品に不要な汚い男も描かれる。
男はセックスできるなら死んでもいいし、女は生きるためならセックスする。
バブルのようなあきれるほど奔放な時代には簡単にやるし、戦後のような厳しい時代にはそれしか出来ずにやる。
いずれ、肉体に縛られて、その単純さを合理的にこなすか、不条理と反発するか、その価値観から逸脱できない。
だが、女は当然ながら、男に避妊意識があり、本作はそれがどう終えるかも忘れていない。

終盤は、急に現代的な価値観による解釈と希望が語られて、違和感があった。
特に、この後に現代があるのではなく、バブルの後に現代なのだ。
つまり、戦後復興から現代の再起ではなく、戦後復興から大成したと思ったら破綻した上で現代の再起なのだ。
何が失敗だったのか、結論は出せずとも意識はあった筈なのに、どうしてこうなった。

日本人の主観で描かれているが、戦争の善悪や、日本人正義とも扱われない。
ここが現代的で、Nhristopher Nolanダンケルクも、ナチス批判をしていない。
あくまで、状況を作り出す環境の要素として、各国の人物と行動が描かれるのみ。
だから、日本人の犯罪的な行為もあるし、鬼畜もいる。
碁を打つ女もそうだったが、ある善人がいて、同じ人種の悪人、あるいは凡人の軽挙妄動がり、例えば、それが日本人であった場合に、我々は意外と前者だけにのめり込まず、後者の存在を含んだ上で読める。
つまり、登場人物の異なる立場を認識してる、という至極当然の事なのだが、戦争や恋愛の作品類は、当事者で無いにも関わらず、なぜか属性の意識が強く、仮に少数派であっても悪の存在を否定する傾向が強く発現する。
他人事だからと知識や危機感を持たないのは愚かだが、宗教と物語が密接なのは、自己肯定と共に客観的理解をするためではないのか。

実際に、我々は、もはや戦争の原因や目的すら、よくわかっていない世代である。
あるいは、当時の国民多数派ですら、そうであった。
だからこそ、日米衝突の根源 1858-1908のように、それぞれの当時世代が認識できなかった連続性を見いだせるし、学ばないといけない。
ピーマンを嫌いなのは自由だが、ピーマンの栄養を知らず、料理もできず、代替もわからず、ただ嫌いだから食べないのは、子供の1時期しか許されない。

ユダヤ人の起源: 歴史はどのように創作されたのかを読んでも、普遍宗教の利点は、環境/人種/場所に依存しない点なのに、その普遍宗教を口実に、当時その場所にいた人種とは遺伝的に無関係な人種が場所を奪うという本末転倒が起こっている。
これを書きながら、今思いついた事だが、なるほど塗仏の宴 宴の支度の登場人物の当事者性とは、こういう事だったのか。
たしかに絡新婦の理では日本人ユダヤ人説の1部を扱っていたなと。

最終巻は、きつかった。
この日本人像は、今でも残っている。
敗戦による集団的な絶望は無いが、環境や関係による失望の自殺は、益々増えているのではないか。
封印再度では奇麗な景色を見て、奇麗だから死のうと思うのが日本人と解釈している。
Mr.ホームズ 名探偵最後の事件でも似たような価値観が見られるが、生きようとした上で死ぬのならこういう景色が望ましい、というもので、封印再度とは土着的な価値観が似ていながらプラスとマイナスくらいに真逆であるように感じる。
レイリとも通じるが柳田格之進的な精神、義務感。
それが日本の平和を支えているし、異常性でもある。

Mueller 手首サポーター

ミューラー(Mueller) 手首サポーター フィッテッドリストブレイス JPプラス 左用 男女兼用 S~Mサイズ 55038
これまでPYKES PEAK 手首サポーターを使っていた。
しかし、親指の穴が小さく指が動かしづらいので、思い切って価格3倍のMuellerのを購入した。


結果的には正解だった。
1枚でくるまずに、内部に緩衝する生地があり、また、手甲側にも補強がされていて、固定も強く、肌触りも悪くない。
ただし、それなりに厚みがあるので、夏場はしんどいだろう。

2018年10月30日火曜日

確反と反確

  • "確反"約 63,300 件
  • "反確"約 26,100 件

モスバーガー8億円の赤字

モスバーガー 8億円の赤字に 食中毒で多額損失
そもそも食中毒の件を、おぼえていない。
荒木飛呂彦の原画展を見るついでに、秋葉原Heyでケツイ Deathtiny 絆地獄たちロケテを見るついでに、久しぶりにモスバーガーを食べたが、自分にとってマイナスは何もなかった。
個人的にはまともなハンバーガだと思っているので、長期的な姿勢じゃなく、あくまで事故や短期の怠慢であってほしい。

ホンジュラス移民とユダヤ問題

メキシコ・グアテマラ国境で移民と警察が衝突、エルサルバドルでもキャラバン結成
現在のホンジュラス移民のニュース。
ユダヤ人の起源: 歴史はどのように創作されたのかを読んでいると、AD前後の離散(ディアスポラ)と、それ以外の移動は、こんな感じだったのかと思う。
決して本国の政府は国民を追い出していないが、国民にとっては本国に対抗、環境を改善するよりも移動のほうが容易であると。


アメリカが保身で拒否するのは当然だが、そもそも他国から乗り込んで奪った土地である以上、そして大陸と警備の物理的にも、これを拒否しきれないだろう。
外交はおろか、内政すら武力に依存する、個人的には今もって内戦国のように見える。
大陸と由来の性質上、どうしようもないのだろうか。

天然の隔離場所である日本ですら、混血は避けられない。
問題はその手段である。
友好的な、望まれた混血もある。

その他の記事も見る限り、切実に生存のための移民もいるし、便乗や野心もいる。
ホンジュラスを知るための60章を読んで思ったのだが、主に2つの都会があって、国の面積は11万平方km。
となると、この数千人の移民は、ホンジュラスと1まとめだが、地方分布はどんな感じなのだろうか。

イスラエルのユダヤ人は、現在の欧米に見られる移民問題を、どう捉えているのだろうか。

iOS12のコントロールセンター表示方法について

個人的に、iOS12は史上最高に使いやすいと思っている。
しかし、コントロールセンター表示が不便。
自分は、iPad mini 2を使っている。
海外旅行の地図や翻訳で室内じゃなく屋外でも使うためにハードケースなので、画面のふちを触りにくい。
かつ、水辺で使うこともあるので、ジップロックに入れると、もうコントロールセンターの右上などスライド出来ない。
右上のプルダウンメニュウ的にコントロールセンターが表示されるのは、素晴らしい。
しかし、表示方法を複数用意してほしい。
特に、iPhoneなど五体不満足の緊急時に使う状況だって考えられるのに、両手と指がまとまじゃないと扱えないのは、馬鹿げてる。

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主に2つのソースを参考にした。

メルケルが2021年に首相退任


気づかなかったが、ドイツには、任期4年ながら出馬回数に上限は無いのね。
2005年11月に就任。
独裁じゃないのに16年とは。
それだけ国民が求めたのだから、もう充分だろう。

我ら日本の安倍晋三2019年11月19日で憲政史上最長(戦前の桂太郎の2886日と並ぶ)だが、それでも8年。
アメリカ大統領の上限と同じだ。

約20年前、小泉純一郎を最後に、後代は全員が1年程度
賛否はどうあれ、インターネットにより経済と国際が身近になり、外交こそが内政の安定と容易にわかる今では、政治家への不満よりも政府の安定を取った長期が望まれるという事なのか。

手塚治虫の美少女ゲームはオリジナルにあった要素を装飾じゃなく意味として継続しているのだろうか「ブラックジャックの顔問題」



自分の手元にあったのは秋田書店の新装版で7巻に収録「友よいずこ


手塚プロが許可してる時点で、少なくとも公式にとって、取るに足らない事。
消費者(ファン)のほうが認識が激しいのは、よくある事だが、商売と思想を両立できずに崩れていく様は、悲しい。

手塚治虫それ自身が幅広く、無茶苦茶な作品だってある。
アニメ的な萌え第一世代であるし、こういった商品展開が悪いのではない。
しかし、例えばかたわ少女のような展開のほうが、いかにも手塚治虫らしいのではないか。
受け入れがたい事を容易に受け入れてしまう描写と演出。
それが手塚治虫が異常に秀でていた1つであるのに。

池波正太郎の遺族は柔軟で有名だが、それでも相手をそれなり選んでいる。
例えば、任天堂も2次にはかなり寛容だが、いざ自社商品にする時には慎重だ。
手塚治虫の作品が、言うほど語られる機会が無い、減っているのは、作品の質ではなく、会社の方針の結果ではないか。

例えば、個人的に1番好きな手塚治虫の作品は陽だまりの樹だが、市場格差がそのまま手塚プロの扱いよ直結して扱われているように思う。

時代にあわせた軽薄な展開は、何にでもあるし、しかたない。
というより、こういったオリジナルにあった要素が、視覚的ではなく、意味として継続しているかどうか。

評価の長寿は、そこにあるのではないか。
手塚治虫の作品的な血統の1人である荒木飛呂彦が連載してるジョジョリオンを読んでると、そう思う。

格闘ゲームと縦STGを楽しく遊んでるプレイヤとして書くが、この分野は廃れて当然である。

格闘ゲームも縦STGも非常に頭を使う娯楽として好きで実践してる。
今年はソウルキャリバー6ケツイ Deathtiny 絆地獄たちを買ってる。
その上で書くが、この分野は廃れて当然である。

格ゲーで「まずガードやキャラを覚えて遊んだら?」→「そういう初心者お断りが格ゲーの衰退を招いた!」などの意見

練習や努力が必要
それはわかる。
しかし、フレーム値や判定の表示が無い格闘ゲーム(がある)。
時間や自分の挙動で変わる敵の挙動を確認するトレモが無い(縦STG)。
そもそも、練習や努力が必要と理解して取り組むプレイヤに対してすら、充分な情報が提供されていない。
仕様が配慮されていない。
ソフト会社もだが、ハード会社も同様である。
PS4は録画機能があるが、30FPSであるために実践に等しい検証が出来ない。
楽器や運動や将棋は、ある1小節だけを練習する、踏み出し1歩目だけを繰り返す、ある1手だけを永遠に検討できる。
ビデオゲームは、これらに類似する練習が無理。
あるいは、その状況を作るのに手間があり困難。
練習や努力が必要?
それはわかる。
しかし、それを望む者にすら不便な仕様を押し付けてる。
そんな分野は廃れて当然である。
選民思想の村社会
まず公式が情報を提供しない。
その上で、公式とも無関係ではない上級者達が、情報を提供しない。
特に、eスポーツ隆盛により格闘ゲームが再起したが、故に賞金が死活問題であるために手札は隠される。
配信者と視聴者であるプレイヤが直接情報のやりとりをするが、それがまとまった形で公開はされない。
実は、音楽にも似た問題があり、音楽理論の解説は腐るほどあるのに、それが使用されてる曲の羅列や、使用された楽器の種類や、楽譜など、有料ですら存在しない場合が多い。
音楽もまた、ビデオゲーム、映画と並ぶ3大娯楽でありながら、市場規模は最低である問題を抱えている。
楽器をやる身からすると悲しいが、それも当然かと。
そんな分野は廃れて当然である。
オンラインでまともに遊べない
1/60秒をかけた戦いで、2/60秒以上の入力遅延があるのは致命的である。
ソウルキャリバー6はトレモでオンのラグを確認できるが、それだけに、オンとオフの反応を検証すると、上級者でなくとも明らかに体感できる差なので、真面目にオンラインをやる気がおきない。
オフライン大会は公式、非公式を問わず、現代ではそれなりにある。
これは間違いなく良い事だ。
しかし、ゲーム機とソフトを購入したのに、商品が想定してる快適な環境で遊ぶには、買った商品を自宅で使うのではなく、交通費と時間をかけて定期的に大会(ゲーセン的な場所)に行かなくてはならない。
そんな分野は廃れて当然である。
1分で消える100円
荒木飛呂彦の原画展を見に行くついでに、秋葉原Heyケツイ Deathtiny 絆地獄たちロケテを見に行った。

そこへ、親子連れがいて、10歳くらいの子供が、格好いいという理由から怒首領蜂を100円いれてプレイした。
結果、1分程でゲームオーバー。
ゲーセン衰退も嘆かれて久しいが…
こんなもの、廃れて当然である。
格闘ゲームも縦STGも、バブルの産物
そもそも、勝利や敗北の前に、ある行動を実現できただけで凄い。
そういう発想のもとに作られ、先鋭化して、廃れた。
デジタル技術の発展でパソコンや携帯電話が普及し、ビデオゲームも再起した。
そして、幾らかは格闘ゲームや縦STGも、時代を生き残ろうと必死にやっているのは、わかる。
しかし、読書のように1頁1行だけを好きなだけ読む。任意の単語だけをおぼえる。
将棋のように駒を全部並べずとも任意の局面を検討できる。
運動のように、場所や時間を選ばずに体を動かせる。
音楽のように、全て楽譜通りでなくともメロディだけそのままに伴奏を簡単にして1小節だけを練習して、音楽を聞かず弾かなくても楽譜だけで脳を維持できる。
eスポーツと言いながら、あるいは、それに準ずる先鋭化と隆盛を見せながら、これら一般的なスポーツ、遊び、芸術と同じ事がなぜ出来ないのか。
そもそも、機械は人間を補助するための道具なのに、無駄な労力を消費者に押し付けている。

練習や努力が必要
それはわかる。
しかし、果たして廃れたのは難易度だけだろうか?
ダークソウル(シリーズ)は高難易度が話題となり、一部には明らかな不備もありながら世界的に評価された。
難易度に挑戦するプレイヤは多くいる。
問題なのは、成功と失敗の結果はどうあれ、その挑戦、行動の検証や反復が容易であるか。
それらを考えた仕様なのか。
プレイヤはただの消費者ではない。
自分の判断と行動をともなう、ビデオゲームは入力(消費)だけじゃなく出力も両立した提供者でもある。
果たして、格闘ゲームや縦STGが、分野を発展させるための情報提供を充分にしてるだろうか?
利益のために初心者を礼賛するのは良い。
しかし、その実態は、果たして初心者を歓迎しているのだろうか?

2018年10月29日月曜日

蛍光ペンをマイルドライナーからプロパス・ウインドウに変えた

これまで蛍光ペンマイルドライナーを使っていた。
何の不満もなかったが、ちくま学芸文庫の紙が薄すぎて、裏うつるので、試しに別の蛍光ペンにした。
購入したのは三菱鉛筆 プロパス・ウインドウ クイックドライ
【結論】を書けば裏うつりは解決しなかった
しかし、先端が特殊で、半透明になっているので、単純に書きやすくなった。
三菱鉛筆 プロパス・ウインドウ クイックドライ/下マイルドライナー
別にマイルドライナーには不満が無かったし、裏うつりは解決しなかったが、単純な使いやすさで、これからは三菱鉛筆 プロパス・ウインドウ クイックドライを使う。
これで、ボールペンはパワータンク、マーカーはプロッキー、蛍光ペンは三菱鉛筆 プロパス・ウインドウ クイックドライ
完全な三菱鉛筆の信者と化した。

Canada Cup 2018 - 雑感


かずのこがバーダックをやめてヤムチャなのだが、なんで?
基本的に4強という評価で、そこから外れた、サポートは高評価ながらティアではそこそこのヤムチャを使った理由がわからない。
いずれ、解説されるのだろうか。

アズウェル自体はそれほど強いとは思わないけど、モーションのわからん殺しと、筋肉バスター下段であの減りはおかしい。
ところで、驚いたのが、種目に美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘がある。
今年、急にガチ攻略動画があがって驚いたが、もしかして、フライングパワーディスクのように、局所の根深い趣味で終わった筈が海外で盛り上がり再評価されてるのだろうか。

個人的には、バグも多くて無茶苦茶だがGガンダムが好きだった。
GC、中段、上半身や下半身無敵など、実は相当に充実した仕様で、キャラ格差はあれど、知識で勝てる要素も多かった。

2018年10月28日日曜日

書きやすい油性ボールペンvs見やすい水性マーカー問題

本を読むにも、何かを書くにせよ、油性ボールペンと水性マーカーと修正液を用いてる。
そこで、問題なのだが…
  • 【油性ボールペン】筆圧が強く使えて、書く快感、運動記憶に作用しやすい。しかし、細くて視認性に劣る。
  • 【水性マーカー】紙だと奇麗で見やすいが、筆圧が弱く重ね書けず。
1冊の本を読むにせよ、手元にこれだけ無いと、まともに読めないので、不便でしょうがない。
この問題を解決する方法は無いのだろうか。
すなわち、筆圧が強く太く重ね書けて奇麗で見やすく携帯性に優れた筆記具。
これを全て1本でとは言わないが、せめて3本くらいにまとまる優れた筆記具を、三菱鉛筆やコクヨあたりが実現してくれないだろうか。

2018年10月26日金曜日

【スペイン】ムルチャンテで見たサマータイム儀式


旅行中、宿泊先で騒音に起こされ、撮影。
最初は意味がわからないただの祭事だと認識していたが、後で自分の時計と宿泊先の時計がずれているのに気づいて、サマータイムの儀式だとわかった。
日本が無駄に再導入すると話題にあがった後で、EUではサマータイム廃止が言われた。
個人的には、全世界で同じ時計を見られる時代にサマータイムは無駄なだけだと思うが、こういった祭事は、由来とは別に残すべきとも思う。

【アウトプット大全】学習方法がわからないなら旅行するのが1番

特に、新しい情報は無かった。
しかし…
  • 青を基調として、見開き2頁で1項目
  • 方法以外に、道具の言及
  • 笑顔や挨拶など、精神的な要素
これら、よく整理された体裁と、行動以外の言及が多かったのが利点。
道具選びや具体的な手段は既知だったので、半ば、カウンセリングに近い。
最近、特に思うのは、これら出力をしない、わからない人は、旅行をしないからではないか。
荷物の選択、予習の情報と異なる現地情報の確認、時間と距離と体力の計算…etc。
旅行は、究極のリソース管理。
かわいい子には旅をさせろ、は正に真実である。
2000円程度の本で、数万円の旅行をせずに済む、のは利点ではあるが、何冊もこの手の本に手をだして悩むくらないなら、旅行に出たほうが恩恵がある。

【遊びと人間】分類

分類

※81p
【競争】【偶然】【模擬】【眩暈】
対戦確率/統計演技/仮装肉体的限界
【偶然】は人間的であるという指摘には驚いた。
パチンコのように経済的な要素を排除したら当人不要の無知無能が反復する対象だと考えていたが、1周して、長期的に取り組めば、統計/確率の対象になるので、極めて知性的であると。
肉体的な挑戦という意味で、楽器演奏は眩暈に入るのだろうか。
最近、読書は知識の獲得以外に、そもそも眩暈の要素があるのではないかと思う。
ビデオゲームを好きなのに、運動を好きなのに読書しない層は一定数いる。
かつて自分もそうであった。
しかし、視覚的、肉体的な運動を好むなら、読書の恩恵も気づくべきである。
読書は、一見して動きがないが、見開き2頁の情報を、言葉を暗記する以外に、文字の位置、座標として把握する、縦STGや格闘ゲームのような処理能力が必要であり、応用できる。
遊びは、その項目自体の魅力もあろうが、本書にもある通り、人類に必須の応用を繰り返す、生き様であり、いよいよ根拠と結果がわかってきた現代的な認識において、遊びというくくりに限界があるように思う。
結局はリソースの管理、損得の理解なのだから。


2018年10月25日木曜日

【双亡亭壊すべし】10巻 - そこまで奇麗にしないと気が済まないくらい藤田和日郎は汚く醜い問題を目の当たりにしてるのか

幻と知りながら幻に甘える。
様式の1つだが、個人的には銃夢のそれが1番。
男は母から逃れられない。
少年の絶望が周囲への破壊ではなく自殺に走るが今風。
藤田和日郎は少年漫画から逃げない代償にエロから逃げてる。
と言っても、彼からすれば、短編集などでエログロは充分にやったよ。という事なのだろう。
もはや、漫画というより童話になっている。
当初、この作品は70年代から90年代の復讐あるいは再起かと思っていた。
スティーブン・キングやジョン・カーペンターなどを、隠さずに残そうとしていた。
初期は興奮しながら読めたが、今は無理。
その理由は、結局焦点が人間にしか合っていない。
恐らくは藤田和日郎が感じてるであろう現代的で希薄な人間関係への怒りが、ここまで直球を投げさせているのだろうが、子供には古く、大人には幼く、完結後にどこまで盛り上がるのか何とも言えない。
ジョジョリオン、ヒストリエに並ぶ、晩年にして最高傑作かと思ったが、本人の情熱はともかく、少年漫画を選択し続けた結果、それが叶わないように思う。
価値観が古いのは構わない。それは旧世代の義務でもある。
しかし、単純に、歳のせいか絵が雑で、つらそうに見える。
今回、買うのに時差があった。
その判断は結果的に正しかった。
ディズニーマーヴェルへの反発を抱きながら、結局やってる事が同じになっている。
そこまで奇麗にしないと気が済まないくらい、藤田和日郎は汚く醜い問題を目の当たりにしてるという事か。
何も隠さずに堂々と描かれている。
読者のための娯楽漫画ではなく、漫画家のための教科書。
理想を鵜呑みに出来る世代が、これをどこまで評価するのだろうか。




ユダヤ問題の資料

書籍

まともに購入出来るのは1のみ。
Wikipedia

youtube

戦争を始めるのは誰か 歴史修正主義の真実 - 渡辺惣樹は、あえてホロコーストの結果を無視して、時系列でのTWW2原因をチャーチルとルーズベルトに断定している。

2018年10月23日火曜日

【ブレードランナー2049】当時まとめきれなかった感想

本作を見たのは2017年10月
見たあとに、幾らか感想を書いたのだが、まとめ切れずにブログは下書き放置していた。
最近、複製された男を見た人と話して、わけわからんと言われた。
あれは原作未読だが、邦題さえ無視すれば、男同士(自分)の戦いだった筈が、目的であった女が恐ろしい敵であり勝利者だった。
それだけの話だ。
そもそも、ドゥニは原作の有無に関わらず、母や女を主題の1つにしていて、そこが映像的な指向が同じでありながらノーランと異なる点。
作者の意図はともかく、見られる情報から色んな事を断定できる程度には、ドゥニの作品は配慮されている。

完全に実写カウボーイビバップだった。

本作関連のアニメを渡辺信一郎が作っているが、もともと洋画の影響を公言していて、かつてアニマトリックスを監督した流れで彼がやったのかと思ったが、本作を見たらとんでもない。
ドゥニ(Denis Villeneuve)渡辺信一郎は歳が近いが、同じ作品に影響をうけた世代として、そしてアニメを1商品として偏見なく見られる世代としてドゥニ(Denis Villeneuve)が直接渡辺信一郎を指名したのか!?
…と思えるほどに同じ道を行っていた。
渡辺信一郎&荒牧伸志、「ブレードランナー 2049」の舞台裏を激白を読む限り、実際にはプロデューサ達の決定っぽいが。
それにしても、今回もブルースリーキックをしてたのは、やりすぎではないか。

神々のたそがれ

……に近いものを感じた。
あれほど難解ではなく、少なくとも場面と描写は連続していて、単語や物体の意味はわからなくとも、物語はわかるように整理されている。

現在連載中のジョジョリオンも、ドゥニ的、ノーラン的、キリスト的な要素が重なる。
荒木飛呂彦はヨーロッパ芸術好きであり、その延長で日本文化に帰ってきた作家であるが、ブレードランナーは日本に来たヨーロッパが帰っていった話だし、その点で同じ事をやっている。

色彩の起承転結

白→→黒→白
後半の黒と白の間に青が入ってくる。
しかも、その青を担うのは女である。
巨大な裸の女。
人間が抱く色の印象
光/純粋/肯定
血/攻撃性/危険
闇/恐怖/否定
空/海/やすらぎ
白と黒は色の究極。
赤は人間。
青は場所や状況。

最後の戦いは海辺だった。
海は母(女)に比喩されるし、人類を含めた生物の始点。
海から出てきた人外が人類となり、そして人類がまた人外となったときに海に戻ってきたが、戻っただけで帰れなかった。
レプリカントも海の中では死んでしまう。

同じ環境に存在してる以上、生物として優劣があっても、環境による破綻は逃れられない。
ジョジョリオンもスタンドがもはや特別な能力ではなく、箸をつかったり絵を描いたり数学の公式を覚える延長でしかなくなった。
超能力は超越者の特権ではなく、能力の延長であり、我々人類が実現してきた事も同義であり、個人から見れば歴史の実現はスタンド程にありえない事でもある。
本作を見て、レプリカントという設定、キャラに固執しながら見るというのが、自分には理解できない。
そもそも原作にも映画1にも思い入れが無いからだが、そもそも映画のカルト的な人気は映像的な装飾にあり、言葉ではない。
レプリカントは代替可能な変数だし、人間と区別がつかない時点で、もはや比喩ですらない。

サピエンス全史を読むと、突然変異とは設定的に便利すぎるが、現実ってそんなものね。
と納得してしまう。
特に、インターネットの始まりから現在までを知っていると、人類の0から1の遅さと、1からnの加速が桁違い。

ハーレムもの

本作がほぼ赤字特に若者に売れなかったのも納得した。
例えば「みんな聞いてくれちょっと面白い話があるんだ」となんだなんだわいわいと人が集まったところで、聖書を取り出して朗読をし始める。
そんなのすぐになんだこれって離れてく若者が多いのが当然。
今更カラマーゾフの兄弟を気合い充分で映画化しても、長期で評価されても当時の短期で馬鹿売れってのはありえないのと同じ。
…とは言っても、近年では以下2作品(予算はそれぞれ1億ドル程度)と並ぶ明確でやりきった作品だと思うのだが、なぜ本作だけが売れなかったのか。
ダンケルク1億5400万ドル
マッドマックス1億8700万ドル
20498100万ドル
Arrivel(メッセージ)のメイキングでプロデューサが「ドゥニ(Denis Villeneuve)は寡作で作品の吟味が厳しいから依頼を受けてもらえるかわからなかった」と言っていたが、つまり、引き受けた作品はいずれも仕上がっている。
それにしても1脇役に過ぎない記憶博士(Carla Juri)の顔や挙動が萌えすぎだろと思っていたら、ちゃんと落ちがあった。

ハリソン・フォード

もしも本作をやるのが25年前にわかっていたら、彼を主役にしなかっただろう。
正直、25年間の重さだとか意味とか彼には無かったw
もっと売れなくとも文学系に出演してどっしりとした人がやってたら、また違ったのではないか。
前作では若さが売りだったから良かったが、今作のほうが老成に達していないアメリカの軽さが彼に集中していたように思う。
前作主人公ってほぼ確実に今作主人公よりおいしいものなのに、もちろん設定や展開ではおいしかったが、彼自身の説得力には欠けてた。
最後のいざこざで1人船内に座ってたとこ、完全にインディジョーンズのギャグ場面でしかなくて笑った。
というより、あの場面は何だったのだろうか。
ヨセフは存在にこそ価値があり、行動は無意味という事か。
あの、ただ座ってる場面は無くても、いざこざの果てに助けられた、で映画は成り立っていたと思うが。

観客への線引き

凄く感心したのは、ライアンゴズリング記憶博士(Carla Juri)にSF分析させる場面で、ライアンゴズリングの記憶を、観客に映像で見せない。
SFなら物語の核心と映像演出で見せ場の筈なのに、SFらしいトランジションやHUDなども無く、2人の無言バストショットが静かに交互にあるだけ。

字幕が小さい

日本語字幕ではなく、作中の序文やらクレジットがとにかく小さい。
もはや読ませる気がない。
模様として扱っている。
最初から、文字、言葉の存在を軽視してる。

白人の映画

基本的に白人の映画である。
ただし、別に人種差別ではなく、主導者の人種がそのまま反映されてるだけだ。
しかし、商業的に売れなかったのも、この点があるのではないか。
小説を統計で見る「数字が明かす小説の秘密」で2014年前後の小説は、作者の性別と作風が単純化されて誤差が無い。
消費者が、ある1属性のみを求めて、異属性を拒否してる。
同族の分野は広がったが、実際には先鋭化してる。
自分はブラックパンサーの盛り上がりには否定的である。
黒人とくくってるが、アフリカ系アメリカ人とアフリカ人は環境が異なる。
環境が異なれば思想も異なる。
2国間を容易に移動できるのは、人種じゃなく経済の問題であり、黒人要素は無関係である。
それなのに、土台を無視した肌の色だけの疑似統一性に酔って売れたのであれば、実に馬鹿らしい。
それと、同様に、白人の映画だから売れなかったのであれば、実に馬鹿らしい。

ドゥニにはもう少し商業的に報われてほしいと思う。
しかし、彼がディズニーマーヴェル層を相手にしない誠実さを持つ限り、それは無理なのだろう。

2018年10月20日土曜日

縦持ちマウス「V628」を1箇月ずっと使い続けた感想

V628 JTD 有線マウス エルゴノミクスマウス 縦型マウス 着脱式リストレスト 手/手首の痛みを軽減/腱鞘炎防止
購入してから1箇月。
標準的な横持ちマウスではなく、縦持ちマウス。
有線を選んだのは、問題が起きた時の検証の項目数が増える無線が嫌いだから。


【結論】肯定。


その上で、以下の是非。
  • 操作精度は落ちる。
  • これはマウスの仕様ではなく、持ち方の問題で、横持ちマウスは人差し指を使う延長で手首と肘でマウスを振り回すが、縦持ちマウスは肩や肘など上腕を中心に使うので、どうしても、ぶれる。
  • 特に、これまでLogicool ゲーミングマウス レーザー G500sを使っていたので、特に精度の差を大きく感じた。
  • カーソル距離30cmくらいを高速で動かすと、目的地から3cm~5cm程度ずれる。
  • しかし、ある程度の操作性は慣れるので、描画は無理でもレタッチやHTML編集など問題なく出来る。
  • Ptoroolsなどのフェーダは、小数dBまで正確に動かしたいなら、マウスよりも数値入力のほうが良い。
  • 指、手首、肘の負担は明らかに軽減して、パソコン(マウス)を触る時間は増えた。
ゲームや描画など、スタープラチナ並の精度を求めないなら、最初から縦持ちマウスのほうが良いかも知れない。
少なくとも、DAW,映像編集,HTML編集,簡単なレタッチ、これらをやる自分には、支障無く使えている。
今年に買って良かった商品の1つ。
残るは以下。

ニコニコ「ユーザー満足度」のアンケート調査に答えた

ニコニコ「ユーザー満足度」のアンケート調査に答えた。
自分の中央値は3/10点。
ニコニコ動画は明らかに敗北したインフラではあるが、流行に生きてる軽薄層が減って、個人的には快適である。
そもそも、自分の利用法は、ニコニコに限らずランキングを見ないし、要約や証明や解説の動画しか見ないので、カドカワが想定してる主流ではない。
The Long Tailの立場から、ニコニコの利用価値と、問題点を書く。
【ニコニコの利点】
  • Youtubeは日本に限り、相変わらず定額での広告非表示に非対応。その点で、ニコニコ動画は30分程度のゲームや解説動画が止まらずに再生できる。
  • 過疎の流れ、少なくとも印象が強くなった結果、再生数などを気にせずに見られる。
  • 村社会による、タグや表題の統一性。(Youtubeは例えばゆっくりを使用しながら表題にも説明にもない)
  • 主流でなくなった事で、ゴミが減って、管理、見やすくなった。
【要望】
  1. 検索結果に任意のアカウントや文字列の動画を非表示
  2. タグではなく、任意の検索文字列の結果を保存,表示
  3. カテゴリ別と、全新規動画のUIを統一
  4. iOSでの動画情報の変更が不可能
【要望の説明】
  1. これはそのまま、検索結果に任意のフィルタを用意して、それをコマンドやクッキーじゃなきアカウントの根本設定に保存する。任意のアカウントの動画や、任意の文字列を含む動画を検索結果に非表示する。
  2. 例えば、自分は「解説」で動画を探して見る。動画によってタグに「解説」文字列が無い場合があり、タグは検索において穴がある。タグじゃなく文字列の場合は、動画の名前や説明文にもひっかかるので、ノイズも増えるが、穴よりは有効。
  3. 全動画の一覧に限り旧式のテーブルのまま。見づらい。UIは変えるなら全て変更して統一する。
  4. 右上の決定などがiOSのsafariだと表示されない。
押井守ではないが、赤字にならない程度に継続して、主流は海外大手(Youtube)に任せる、というのがニコニコの存在価値ではないかと思う。
実に日本らしい生き方であるとも。
今のYoutubeは、我々が捨てた筈の愚かしいバラエティTV番組を、媒体を変えて続けてるゴミが多すぎて不便である。
VOD各社を見ても、消費者は、TVという媒体を捨てただけで内容を捨てていない。
インターネットという手段は、もはや無意識レヴェルのインフラなので、衰退などありえないが、TV衰退と同様に、YoutubeやSNSの類にも相対的に利用価値が無くなってきている。
問題はゴミの量ではなく、ゴミを処理するフィルタである。
企業からすれば、ゴミを押し付けて利益を出してるので、基本的に消費者にはどうしようもないが、不要な情報を非表示する任意性があれば、Youtubeだろうがニコニコだろうが、消費者は量に屈せず継続して利用できる。
その量を正義とするなら、結局はゴミが増えて、人は新天地へ向かうだけ。
それを繰り返す。
  1. 任意の表示性に優れたタイムライン的な管理方法
  2. 投稿者と視聴者が容易に100円程度からやりとり出来る仕様
ニコニコに限らず、結局はこれなのだろう。

2018年10月19日金曜日

ジョジョリオン(19)を読んだ感想


  • イチイは猛毒1位
  • ホリー豆銑…喰らえ…のくだりは、パパ…ママ…おじいちゃん…みんな…エッグなんかに負けないで!を連想した。
  • 荒木飛呂彦がずっと言及しているが、ジョジョを読み直したりアニメで見ると改めて思い知る、西部劇の決着感。
  • 荒木飛呂彦の優先順位が不明だが、スタンドは基本的に「触る」必要がある。しかし、西部劇の銃は対象を触らずに使えるのが最大の利点。この肉体的な強さや根源性を主題にしながら、子供が間違って触るだけで大人を簡単に殺せてしまう銃との乖離を、今更ながら、荒木飛呂彦はどう捉えているのだろうか。
  • これまで、銃は小道具として扱われ、スタンドの装飾に過ぎなかったが、しかし、常に銃の存在は扱われてきた。
  • 定助とオゾンベイビの最後のやりとりは、少年漫画的な極端に過ぎる演出だが、善悪の戦いというより「生きるのが目的」か「残すのが目的か」の対比。
  • Sもり 3-11
  • この車の番号は、東日本大震災を意図したものなのか。
  • 常敏がつるぎに向けた言動。常敏と憲助は少年漫画的な敵対をしていない。常敏は憲助の立場を理解しながら、
  • 豆銑…生きてるんかいw
  • 荒木飛呂彦は少年漫画をやめて、SBRの終盤からそうなってきたが、今回の豆銑の崩れ方に、「読者に好かれようとする主要人物」という感じが一切無い。機動戦士ガンダム ラストシューティングのような、それこそ荒木飛呂彦が好きな古代ギリシャ、ローマ彫刻のような崩れ方をしていない。単純に、醜く描いている。
  • ジョジョリオンがそれほど好評を得られないのもわかる。特に、今はアニメを中心に若年が美化を喜んでいるのだから、もはや60歳にして、派手な花鳥風月という矛盾に挑戦してる荒木飛呂彦を理解できないのは、しかたない。
  • 作者も読者も若い頃は、理不尽への挑戦こそジョジョであったが、ジョジョリオンでは、理不尽と挑戦を区別しながら、挑戦を続けるという事になっている。
  • 西尾維新が、大人と子供の違いを、ナウシカの漫画を読んでるか否か、とネタにしていたが、今の自分にとって大人と子供の違いは、ジョジョをSBR以降を読んでいて肯定できるか否か。
  • ジョジョはこれまで、死別を容赦なく描いてきた。キャラによって演出の格差はあれど、主要人物すら、死を認識する間もなく死んだり、結果を知らずに半ばの死だったり、容赦が無い。あの花京院すら、演出では大事にされたが、劣勢の中で自身の判断がどうなったかもわからずに死んでいる。
  • その点で、ジョジョリオンはどうなるかと思っていたが、少なくとも現段階で豆銑はそういう存在では無いらしい。
  • これまでジョジョは、敵の能力は姿が謎でも、関係は自明であった。しかし、ジョジョリオンに至っては、能力や姿が明らかでも、最後まで関係が不明であり、そこに安心して読めない層はなじまないのもあろうか。
  • それでいて、謎というよりは、それぞれの生き様こそが主題であり、だからこそ、実は関係の謎を無視しても読めるように配慮されているのだが。
  • 前巻の魚肉ソーセージといい、今回は松茸のくだり。こういう描写が、本筋に無意味でありながら、作品の幅をもたせて、結局は個性になっている。それにしても、読者にとって、こういう意味があるのか無いのかわからない描写を許される漫画。
  • 自分はジョジョリオン全肯定なので、気にしていなかったが、ここにきて、まだ花都の展開はせずに、まさか密葉を持ってくるとは。
  • しかも、これまた無条件で読者に愛されるような女ではなかったw
  • 最近では、ジョジョリオンは落語のようにも見える。もはやネタで笑わせるのではなく、登場して座布団に座って客を見渡す様子で笑わせるような。
  • 豆銑崩壊なんてのは、主要人物の美化を捨てた深刻さを含んだ一種のギャグに見えて、自分は笑ってしまった。
  • ハロウィン(1978)の最終展開で、恐ろしき異常性と演出の工夫が、偉大なる古典的な様式になったが故に、愉快でしかないのと同じ感覚である。
  • しかし、そこには、芸人の成熟と、消費者の信頼が無いと成り立たない。
  • 今の荒木飛呂彦を全肯定してる自分には、6部以前ほど大衆娯楽に徹しきらずに売れないのもわかるし、ジョジョリオンはそれで良いと思っている。
  • かといって、一部の閉鎖村人が喜ぶようなモノにはなっていないし、それは荒木飛呂彦自身が、そうする気がないのもわかる。
  • ジョジョリオン単体で見たら、評価はいまいちかもしれないが、今更本気のアニメ化、そして荒木飛呂彦の原画展完売による好評。もはや、個人の好みなど問題にならない領域にいる作家なので、ただただ新刊を待つだけである。

2018年10月18日木曜日

視力と眼力の違い

眼球運動とロートV5(ルテイン)を始めてから、明らかに持久力と記憶力が改善している。
しかし、視力は全く上がらない。
つまり、これらの行動は、視力だけなら無駄であった
だが、視力は悪いまま、目を使った能力、視覚的な記憶力や、ビデオゲームなどの反応速度や、長時間の視覚活動は明らかに良くなっている。
一般に、目が良い悪いは視力につかわれる。
そこで思ったのは、仮に視力は悪いが、目の恩恵を視力以外で理解する概念、言葉は無いのだろうか。
ぱっと思いついたのは眼力である。
しかし、眼力には、抽象的な意味が多すぎて、常に説明が必要な単語になってしまう。
医学用語で何か適当な言葉が無いのだろうか?


2018年10月17日水曜日

小説を統計で見る「数字が明かす小説の秘密」

現在、日米衝突の根源 1858-1908を読んでいて、その延長でユダヤ人の起源: 歴史はどのように創作されたのか (ちくま学芸文庫)「民族」で読み解く世界史を購入したところ、本書が関連やら推奨やらで表示されていたので、釣られて購入した。
【目次】
  1. 控えめに用いなさい
  2. 彼の書き方、彼女の書き方
  3. 文章に「指紋」はあるのか
  4. お手本にならって書くべし
  5. バカになっていく文章
  6. イギリス対アメリカ(ハリー・ポッター・インヴィジョン)
  7. クリシェ、反復、お気に入り
  8. 表紙から本を判断するには
  9. はじめ方と終わり方
【要約】
  • -ly副詞は少ない方が良い。
  • 平均49/10000語以下だと好評。
  • 平均50/10000語以上だと不評。
  • 5章バカになっていく文章にも共通するが、簡潔さが重要。
  • 4章お手本にならって書くべしでは、近年「Very」など装飾語が減ってきている。
  • ある作家の特徴的な言葉は、2次創作においてオリジナルの頻度よりも高く利用される。

【単語の統計上、女が書いたように見えるが男が書いた本】

チャタレイ夫人の恋人を未読だが、検索結果にスリーピングビューティー ~禁断の悦び~(字幕版)が表示されていた。
漠然とヨーロッパ映画を見たくて見た作品だが、これは影響下にあった作品なのか。

【単語の統計上、男が書いたように見えるが女が書いた本】

肩をすくめるアトラスは未読だが、#151岡田斗司夫ゼミ11月6日号『聲の形観たよ&アメリカ大統領選現地行ってきたよ語りSP』で題名だけは知っていた。
鵜呑みにすれば、一時期のアメリカの土台であったとか。
記憶していなかったが、女性作家だったのか。

面白いのは、2014年以前で近年のトップセラー小説では、単語の統計上で作者の性別予測は100%的中している。
つまり、提供者と消費者が自ずと単純化された商品を望んでいる。