今年はソウルキャリバー6とケツイ Deathtiny 絆地獄たちを買ってる。
その上で書くが、この分野は廃れて当然である。
格ゲーで「まずガードやキャラを覚えて遊んだら?」→「そういう初心者お断りが格ゲーの衰退を招いた!」などの意見
練習や努力が必要それはわかる。
しかし、フレーム値や判定の表示が無い格闘ゲーム(がある)。
時間や自分の挙動で変わる敵の挙動を確認するトレモが無い(縦STG)。
そもそも、練習や努力が必要と理解して取り組むプレイヤに対してすら、充分な情報が提供されていない。
仕様が配慮されていない。
ソフト会社もだが、ハード会社も同様である。
PS4は録画機能があるが、30FPSであるために実践に等しい検証が出来ない。
楽器や運動や将棋は、ある1小節だけを練習する、踏み出し1歩目だけを繰り返す、ある1手だけを永遠に検討できる。
ビデオゲームは、これらに類似する練習が無理。
あるいは、その状況を作るのに手間があり困難。
練習や努力が必要?
それはわかる。
しかし、それを望む者にすら不便な仕様を押し付けてる。
そんな分野は廃れて当然である。
選民思想の村社会
まず公式が情報を提供しない。その上で、公式とも無関係ではない上級者達が、情報を提供しない。
特に、eスポーツ隆盛により格闘ゲームが再起したが、故に賞金が死活問題であるために手札は隠される。
配信者と視聴者であるプレイヤが直接情報のやりとりをするが、それがまとまった形で公開はされない。
実は、音楽にも似た問題があり、音楽理論の解説は腐るほどあるのに、それが使用されてる曲の羅列や、使用された楽器の種類や、楽譜など、有料ですら存在しない場合が多い。
音楽もまた、ビデオゲーム、映画と並ぶ3大娯楽でありながら、市場規模は最低である問題を抱えている。
楽器をやる身からすると悲しいが、それも当然かと。
そんな分野は廃れて当然である。
オンラインでまともに遊べない
1/60秒をかけた戦いで、2/60秒以上の入力遅延があるのは致命的である。ソウルキャリバー6はトレモでオンのラグを確認できるが、それだけに、オンとオフの反応を検証すると、上級者でなくとも明らかに体感できる差なので、真面目にオンラインをやる気がおきない。
オフライン大会は公式、非公式を問わず、現代ではそれなりにある。
これは間違いなく良い事だ。
しかし、ゲーム機とソフトを購入したのに、商品が想定してる快適な環境で遊ぶには、買った商品を自宅で使うのではなく、交通費と時間をかけて定期的に大会(ゲーセン的な場所)に行かなくてはならない。
そんな分野は廃れて当然である。
1分で消える100円
荒木飛呂彦の原画展を見に行くついでに、秋葉原Heyにケツイ Deathtiny 絆地獄たちロケテを見に行った。お待たせしました!
— 秋葉原Hey@10.30ガンダムEXVS2! (@Taito_Hey) 2018年9月20日
『PS4版 ケツイ Deathtiny ~絆地獄たち~』
本日より2週間配信開始!
おはようございます!
秋葉原Hey、本日も元気にOPEN致しました✨#秋葉原Hey #M2STG #ケツイ #TGS2018 pic.twitter.com/KflW9uJJLa
そこへ、親子連れがいて、10歳くらいの子供が、格好いいという理由から怒首領蜂を100円いれてプレイした。
結果、1分程でゲームオーバー。
ゲーセン衰退も嘆かれて久しいが…
こんなもの、廃れて当然である。
格闘ゲームも縦STGも、バブルの産物
そもそも、勝利や敗北の前に、ある行動を実現できただけで凄い。そういう発想のもとに作られ、先鋭化して、廃れた。
デジタル技術の発展でパソコンや携帯電話が普及し、ビデオゲームも再起した。
そして、幾らかは格闘ゲームや縦STGも、時代を生き残ろうと必死にやっているのは、わかる。
しかし、読書のように1頁1行だけを好きなだけ読む。任意の単語だけをおぼえる。
将棋のように駒を全部並べずとも任意の局面を検討できる。
運動のように、場所や時間を選ばずに体を動かせる。
音楽のように、全て楽譜通りでなくともメロディだけそのままに伴奏を簡単にして1小節だけを練習して、音楽を聞かず弾かなくても楽譜だけで脳を維持できる。
eスポーツと言いながら、あるいは、それに準ずる先鋭化と隆盛を見せながら、これら一般的なスポーツ、遊び、芸術と同じ事がなぜ出来ないのか。
そもそも、機械は人間を補助するための道具なのに、無駄な労力を消費者に押し付けている。
練習や努力が必要
それはわかる。
しかし、果たして廃れたのは難易度だけだろうか?
ダークソウル(シリーズ)は高難易度が話題となり、一部には明らかな不備もありながら世界的に評価された。
難易度に挑戦するプレイヤは多くいる。
問題なのは、成功と失敗の結果はどうあれ、その挑戦、行動の検証や反復が容易であるか。
それらを考えた仕様なのか。
プレイヤはただの消費者ではない。
自分の判断と行動をともなう、ビデオゲームは入力(消費)だけじゃなく出力も両立した提供者でもある。
果たして、格闘ゲームや縦STGが、分野を発展させるための情報提供を充分にしてるだろうか?
利益のために初心者を礼賛するのは良い。
しかし、その実態は、果たして初心者を歓迎しているのだろうか?