偉大なるマルグリット
大長編ドラえもんを見に行ったと思ったらエヴァだった…みたいな。
フランスだし皮肉はあれど、それなりに笑えて、それなりにえぐられて、いい気になって終わるものだと思っていたが、そういう意味で裏切られた。
思っていたよりも重く、救われない。
精神病という扱いが唐突のように感じたが、見終わってから、外での初ライヴで観客の喧噪を無視して歌い続けていた違和感は伏線だったのだろうかと考えた。
外での初ライヴに向かう車から身体を出して身ぶり手ぶるカットは、
ダークナイトでレイチェル爆破とラウ誘拐に成功した時のあれを思い出して笑った。
本作は全体的にしっかりしてるけど、こういう似たような場面を見ると、IMAXで撮影されていたら、と思わなくもない。
Christa Théretが最高。
彼は彼女をけなさず、貴方は私をほめない。
みたいな台詞が最高にたまらんかった。
作中で彼女がやっている現代音楽は映画オリジナル曲なのだろうか?
ピアノ左手の動きがクラシックのアルペジオだが2和音アルペというか堆積がジャズっぽい感じで、今となっては珍しくもない動きではあるが、それでもクラシックやポップスでのスタンダードとは言えない和音感で良かった。
サントラ無いのだろうか。
音楽がうるさい。
これは頻度という話。
もともと登場人物が歌うから音楽が強く流れる時間が長いのに、更にBGMも積極的なので、つらかった。
そこは抑揚が欲しかった。
曲自体には全く問題ない。
たまに声と口が合っていないところがあるが、楽器の動きはちゃんと曲と同じ動きで(これも採用テイクと違うので動きと音がずれている所もある)、ちゃんと現場で演奏しながら撮影したのがわかる。
日本も同じ病を抱えているが、音楽を恋愛の装飾にするのはやめよう。
恋愛は題材の1つであっても、音楽の前提ではない。
そういう意味では、本作は「夫に愛されたい妻の代替」と明確にされているので、その点で実に不愉快だった。
教師がたまらずぶち切れて、真実を話すのかと煽りに煽った挙げ句、音域の助言には笑った。
執事が忠義のようでいて…。
これも、こういう映画の様式には反していて、この映画の広がりにくさでもあるのではないか。
内容の善し悪しとは別に。
元ネタ
フローレンス・フォスター・ジェンキンスを知らなかったので、最後の舞台で奇麗に歌った展開から、ヘタなふりをして集客して実は最高に歌えるドヤ展開、
モネ・ゲームみたいなのを考えたが、そんな事はなく、映画の見せ場としての歌であって、そういう意味では最後まで事実に近い歌唱力だった。
音痴にも種類があって、マルリットはリズムは取れている。
あくまで音程がとれない。
リズムがとれない人は、伴奏などを全く聞いていなくて、1拍や2拍ずれでも気にせず歌い続けるなんて、ある意味で器用なことをやってのける。
映画としてのわかりやすさで音程だけにしたのか、実際にはリズムも絶望的だったのかは知らない。
いずれ
フローレンス・フォスター・ジェンキンスのCDを聞いてみたい。
最後の写真で、展開は唐突で納得はいっていなかったが、エンドクレジットに入ってから何か来て泣いてしまった。
これが、マルグリットの本懐なら良いのだが、あくまで外部による作為、執事の願望であり、そういう意味で全く救われていない。
芸術だ作品の完成と、当人の幸福は無関係であり、場合によっては不幸こそを消費者や作者は求めている。
この皮肉。