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2018年12月25日火曜日
2018年12月22日土曜日
彼女らを使って「精神的に子供を持つ気がない女」と「肉体的に子供を持てない女」のアニメを見たい
- 坂本真綾
- 早見沙織
- 沢城みゆき
- 瀬戸麻沙美
- 花澤香菜
- 茅野愛衣
- 阿澄佳奈
例えば…
- 子供と関わらずに仕事してる女が同僚が職場につれてる子供を見かけたりすれ違ったり、ちょっとだけ面倒をみたり。
- 結婚直前で親と方言まるだし電話。子供については適当にはぐらかしながらも、結婚自体を喜んでいる。
- 自分ではなく兄弟の結婚、子供と日常的に接して、自分が子供を持たないのを疑問にも思わず家族愛に溢れた生活。
- 近所の小学生の子供(男)が通学途中に家の前ですれちがい互いに顔見知り。菓子をあげたり、加減を間違えたいたずらに説教したり、そして子供が帰る姿を見送り、特に表情などに変化もなく生活に戻る。
感動のごり押し皆無。
頭の悪い誇張表現も皆無。
子供と接する時間と接しない時間で子供の有無に対する価値観と、子供が主題ですら無く価値観の一部と垣間みられる。
そういう作品を見たい。
2018年12月15日土曜日
「花ハ踊レヤいろはにほ」について幾つか
この記事の目的は、あくまで初見の素人でも丸暗記せずにメロを何となく予想出来るような手段がメロとコードを変えずにある、というだけ。
菅野よう子に感動した理由と対極にある曲なので、個人的な分析、実験して遊んだ結果である。
この曲や作家やファンを否定する意図は無い。
また、作家の比較、優劣を意図したものでもない。
純粋に、部分転調など非ダイアトニック(Keyの外にある音)の展開が多いのに、あるいは作家本人すら楽器はその通りに弾けても、このメロで仮歌を通して歌えないのでは?
……と思えるような曲調。
坂本真綾のシンガーソングライターもだが、誰もが当人みたいに非ダイアトニック音を無視してダイアトニックのメロをそのまま歌えるわけではない。
ただ、この曲はそういった客層を意図して相手にしていない。
動画では、【原曲】【提案】の順で音が流れる。
全てではないが、菅野よう子だったらこうだろうかという遊び予想もした。
【歌詞】踏み出す力と…弱気な…
Cm7 B(b5)
Ebのクリシェから半音展開の遊び。
原曲[Eb7・・・][DdM7・CM7・]
自分[Eb7・C7・][DdM7・CM7・]
ただ聞いてるだけ、あるいは楽器なら良いのだが、Liveの歓声では、Ebのダイアトニックを引きずって、CM7をCm7で歌ってる人がいる。
例えば、後半の半音進行のために、Ebクリシェ着地のEb7から次の非ダイアトニックCM7に行きやすくC7を挟んで後半にいけば、迷いにくいのでは。
【歌詞】サビ前
【歌詞】これからの君が見たい
もちろん、これは作家もわかってて、それが嫌であえてやったのだろう。
自分が初見で一瞬釣られてひっかかったので。
SwitchのKORGがアプデされたので、それの確認で遊びがてらやったのが以上。
正直なところ、自分にはぶつぎりの曲に聞こえた。
意図した非ダイアトニックなのはわかる。
しかし、これを1度だけ聞いて、伴奏を聞きながらリアルタイムでメロを感じて歌えるようには、意図して作ってない。
難易度自体を魅力としてる、多重録音と機械修正の完成品が主目的の商品。
ボカロやシンセの同類。
少なくとも人が歌うための伴奏って、歌いやすくするためにあるんじゃないのかと、自分なんかは思ってしまう。
しかし、自身はいっさい何もせずにサーカス、曲芸を楽しむのも消費の1つ。
自分には、それが馴染めないが。
菅野よう子に感動した理由と対極にある曲なので、個人的な分析、実験して遊んだ結果である。
この曲や作家やファンを否定する意図は無い。
また、作家の比較、優劣を意図したものでもない。
純粋に、部分転調など非ダイアトニック(Keyの外にある音)の展開が多いのに、あるいは作家本人すら楽器はその通りに弾けても、このメロで仮歌を通して歌えないのでは?
……と思えるような曲調。
坂本真綾のシンガーソングライターもだが、誰もが当人みたいに非ダイアトニック音を無視してダイアトニックのメロをそのまま歌えるわけではない。
ただ、この曲はそういった客層を意図して相手にしていない。
動画では、【原曲】【提案】の順で音が流れる。
全てではないが、菅野よう子だったらこうだろうかという遊び予想もした。
【歌詞】踏み出す力と…弱気な…
Cm7 B(b5)
- 原曲は、ベースがCm7のままピアノがシソ(コードEb)と動いてファに誘導
- 自分なら、ピアノをシソにファを足して、次に歌う音ファ自体を示す。実に安易。
- 菅野よう子なら、対位法とシンコペと分数コードとフレーズを駆使して、最終的には原曲のコードと同じながら、音程が上下に動きながら次に歌われるべきメロと同じで乗りやすい上行をメロの寸前で聞かせて誘導する。動画ではCm Eb/Bb Eb(原曲はCm7のみ)
- 原曲は、GmからC。EbダイアトニックのGmからEbの非ダイアトニックのCに部分転調。再びEbに着地するために5度進行の繰り返し。
- 自分なら、部分転調でEb非ダイアトニックのE(ミ)を歌いやすいように、Gmの7thと同じ音でミに着地するCsus4(ファ)を伴奏にいれる。
Ebのクリシェから半音展開の遊び。
原曲[Eb7・・・][DdM7・CM7・]
自分[Eb7・C7・][DdM7・CM7・]
ただ聞いてるだけ、あるいは楽器なら良いのだが、Liveの歓声では、Ebのダイアトニックを引きずって、CM7をCm7で歌ってる人がいる。
例えば、後半の半音進行のために、Ebクリシェ着地のEb7から次の非ダイアトニックCM7に行きやすくC7を挟んで後半にいけば、迷いにくいのでは。
【歌詞】サビ前
- 【原曲】Ab/Eb Ebs4 Eb
- 【自分】Ab/Eb Ebs4 Cm7
- 【YK】Ab/Eb Ebs4 Eb/F Eb/G Bbs4/Ab Eb/Bb
【歌詞】これからの君が見たい
- 【原曲】Fm7・Bdim・・//Cm7(s4) Bb7・Eb
- 【自分】Fm7・Bb・Bdim//Cm7(s4) Bb7・Eb
- 【YK】Fm7・Bb・Bdim Gaug//Cm7(s4) Eb/F・Bb7・Eb
もちろん、これは作家もわかってて、それが嫌であえてやったのだろう。
自分が初見で一瞬釣られてひっかかったので。
SwitchのKORGがアプデされたので、それの確認で遊びがてらやったのが以上。
正直なところ、自分にはぶつぎりの曲に聞こえた。
意図した非ダイアトニックなのはわかる。
しかし、これを1度だけ聞いて、伴奏を聞きながらリアルタイムでメロを感じて歌えるようには、意図して作ってない。
難易度自体を魅力としてる、多重録音と機械修正の完成品が主目的の商品。
ボカロやシンセの同類。
少なくとも人が歌うための伴奏って、歌いやすくするためにあるんじゃないのかと、自分なんかは思ってしまう。
しかし、自身はいっさい何もせずにサーカス、曲芸を楽しむのも消費の1つ。
自分には、それが馴染めないが。
2018年12月13日木曜日
【ケツイ Deathtiny 絆地獄たち】4面ボス「シンデレラアンバー」第1形態を安定させる方法
これはケツイ Deathtiny 絆地獄たち4面ボスのシンデレラアンバーを5時間かけてノーミスノーボム攻略した動画。
特に苦しんだのは、第1形態の終盤、画面下部からの全方位で、これの挙動がランダムで安定しない。
結果的に攻略出来たが、事後に全1のSPS動画を確認すると…。
自分が35秒かかった第1形態に、彼は25秒で終わらせている。
しかも、丁度ランダム全方位が始まるところで。
いったい何が違うのか検証したところ、問題は2点あった。
ボスの判定出現前にAホールドで最速ロックしているが、途中からロックが分散してるのがわかる。
その結果、ランダム全方位を最後までやられて終わった。
ランダム全方位の初段で第1形態が終わった。
これがそこそこ成功で、正面を意識しつつも無茶をしない感じで動いた結果。
SPSに近いランダム全方位の3段目くらいで撃破している。
仮に、4点集中ロックして左右に大きく回避してると、時間が間に合わずランダム全方位をやられてしまう。
つまり、必要なのは、正面攻撃が当たる範囲で回避可能な動き。
特に苦しんだのは、第1形態の終盤、画面下部からの全方位で、これの挙動がランダムで安定しない。
結果的に攻略出来たが、事後に全1のSPS動画を確認すると…。
自分が35秒かかった第1形態に、彼は25秒で終わらせている。
しかも、丁度ランダム全方位が始まるところで。
いったい何が違うのか検証したところ、問題は2点あった。
- ボスが拡大表示の時点でロックしてはならない
- 4点集中ロックした上で、正面攻撃を当てる積極回避で動く
大失敗
まず大失敗の例。ボスの判定出現前にAホールドで最速ロックしているが、途中からロックが分散してるのがわかる。
その結果、ランダム全方位を最後までやられて終わった。
大成功
これはSPSを真似て、正面攻撃の頻度を意識した回避の結果。ランダム全方位の初段で第1形態が終わった。
これがそこそこ成功で、正面を意識しつつも無茶をしない感じで動いた結果。
SPSに近いランダム全方位の3段目くらいで撃破している。
仮に、4点集中ロックして左右に大きく回避してると、時間が間に合わずランダム全方位をやられてしまう。
つまり、必要なのは、正面攻撃が当たる範囲で回避可能な動き。
2018年12月10日月曜日
【ケツイ Deathtiny 絆地獄たち】遊び方の提案「アケチャレRTA」
エムツーショットトリガーズ弩感謝祭 現地より生中継
この配信で、SPSとがんが腕前以外での見せ物に成功していて、これを踏襲しつつ、スコアとクリア以外に遊び方に幅を持たせられないかと考えた。
自分が1CC出来ないので、仕様の紹介とミスを娯楽化して、主に非公開の競争よりも動画を増やしやすくするのが目的。
【アケチャレRTA】
計測終了は、最後にクリアした結果表示。
1周が約20分なので各部20分+面通20分*3周=120分。
内容はどうあれ、腕前不問で実行可能な現実的な尺である。
Speedrun自体は何人かのプレイヤが実行済み。
この配信で、SPSとがんが腕前以外での見せ物に成功していて、これを踏襲しつつ、スコアとクリア以外に遊び方に幅を持たせられないかと考えた。
自分が1CC出来ないので、仕様の紹介とミスを娯楽化して、主に非公開の競争よりも動画を増やしやすくするのが目的。
【アケチャレRTA】
- これまでのACに準拠したモードだと、ミスに時間的なロスが少なく、ボム確保ゴリ押すための手段に終わっていたが、アケチャレはミスが時間的なロスにつながるので、腕前と運の結果が数字(時間)としてわかりやすく、差がでやすい。
- 腕前によって、難易度やゴールド縛りなど複数レギュにも対応可能。
- クリアの順序は自由。ただし、便宜上各面各部/各面通しを繰り返し、その後に表裏も同じ段取りでクリアが見やすい。
計測終了は、最後にクリアした結果表示。
1周が約20分なので各部20分+面通20分*3周=120分。
内容はどうあれ、腕前不問で実行可能な現実的な尺である。
Speedrun自体は何人かのプレイヤが実行済み。
- ケツイ 1周ALL RTA 19:09.45
- 【VGA録画】ケツイ ~絆地獄たち~ 1周目1コインクリア RTA 19:57:83【AC版】
- 【VGA録画】ケツイ ~絆地獄たち~ 1周目1コインクリア RTA 19:26.72【AC版】
- HDMI録画】ケツイ ~絆地獄たち~ EXTRA 1周目1コインクリア RTA 19:05.22【XBOX360版】
- 【HDMI録画】ケツイ Deathtiny ~絆地獄たち~ 1周目1コインクリア RTA 19:26.26【PS4版】
赤ちゃんプレイの派閥
以下の動画で、これを肯定した場合に、いったい何を肯定した結果なのだろうかと考えてたら、大きく2^3種類あるのではないかと。
今回の動画は相上否/相下否。
【対象】 | 【立場】 | 【姿勢】 | 【総称】 |
相手 | 年上 | 肯定 | 相上肯 |
相手 | 年上 | 否定 | 相上否 |
相手 | 年下 | 肯定 | 相下肯 |
相手 | 年下 | 否定 | 相下否 |
自分 | 年上 | 肯定 | 自上肯 |
自分 | 年上 | 否定 | 自上否 |
自分 | 年下 | 肯定 | 自下肯 |
自分 | 年下 | 否定 | 自下否 |
- 【対象】赤子がどちらか
- 【立場】一般的には年上が親だが、その反動として年下に年上の役割を負わせる(バブみ)
- 【姿勢】一連の行動を自発的肯定的にやるか、受動的否定的にやるか。前者はただの母性か? 後者は屈辱プレイも兼ねているか。
- 【総称】便宜上、ABCとして
今回の動画は相上否/相下否。
2018年12月1日土曜日
2018年に買った最高と最悪のビデオゲーム
最高
ケツイ Deathtiny 絆地獄たち本作に限らず、今でも通じるグラフィックと音楽とゲーム性を持った作品を、ただ移植するのではなく、新作並の追加要素、反復性と快適性を徹底的に改善してオリジナルよりも永久保存版的スタンダードにしてる。
もともと高難易度こそが売りだったものを、その難易度を無視して遊んでも充分に評価できる要素があるのだと証明した。
その商品が目指した娯楽性が楽しいかどうかは別にしても、本作が果たした反復性と快適性はあらゆるビデオゲームが実装すべき義務的な水準。
後述する大手バンナムやソニーが全く出来ていない事をリソースに劣る中小のM2が業界基準を一新するような仕様を提供した。
サガ スカーレット グレイス 緋色の野望
河津がやる気も実力もまだあると証明した。
あくまでVita版を改善したからこそ言える事だが、発想だけは面白いのに商品として全くまとまっていなかったゲーム性以外の仕様が全て改善されて、現行版だけをやれば間違いなく名作。
視覚的な娯楽性に乏しいのは事実だが、何よりもプレイヤの判断を反映させるのがファミコンから広がったビデオゲームの娯楽性、と定義するならば、本作はそれをまっとうしている。
そもそも難易度の高さが売りのシリーズではあるが、本作に限らず、これまで難易度の高さは判断結果の損失の大きさであった。
しかし、本作では純粋な損失は少なく成功の獲得による代償の積み重ねで成り立っている。
操作不能で時間だけが過ぎる過剰演出もなく、それでいて、要所では追加音声などで劇的に感じられる簡素な演出があり、荒木飛呂彦や富野由悠季に通じる、全く理解できない無駄に思える些細な言動が消費者の思いつかぬ個性と魅力になっている。
ある動物を人間と同様に法律で裁く異文化や、好きだ愛だと全く言わずに赤面も告白もなく恋愛的な発言が無いままに恋愛関係を描ききる作家性。
登場人物の思い入れは、プレイせずにわかる見た目などではなく、あくまで、プレイしてわかる性能や言動から選ぶという線引き。
現在もチェスや将棋が成り立ってるように、ターン制自体は問題なのではなく、手を止める間も頭はまわっていて退屈な時間が無い、いかにプレイヤの経験的な時間が停止せずに動き続けているように感じられるか。
これまで河津の作品を知っていても、本作をプレイせずに確認できる情報だけでは、正直まるで本作の素晴らしさは感じ取れない。
本作が売り上げオクトパストラベラーの足下にも及ばないのは、未プレイ情報だけに限れば当然である。
しかし、情報を確認した上で選んだのならともかく、漠然と面白い作品を探してる層が、オクトラやFF15やモンハンを買って本作を無視してる現実はあまりに酷い。
Vita版が欠陥品であるのは事実だが、人類の文化、歴史、価値観、そして娯楽性をここまで簡素に無駄なくまとめあげた作品と河津が続けられるくらいには、評価と売り上げが欲しい。
結果的に高難易度の作品が並んだが、ビデオゲームの魅力は難易度の高さではない。
かといってパチンコなどのように当事者が不在でも成り立つものを金を巻き上げるために過剰演出で優遇してるように見せる詐欺的な分野でもない。
難易度は挑戦者との相対的な問題であり、肝心なのは、安易な成功という結果ではなく、挑戦の反復が容易であり、失敗しても挑戦を続けられる演出や要素を商品が持っているかどうかである。
その点で、この2作品は見た目や売り上げはどうあれ、明らかに業界の水準を引き上げた素晴らしい仕事を果たした。
最悪
GRAVITY DAZE 2冒頭が酷すぎて笑ってしまった。
本作は、広い空間を自由に飛び回るのが唯一の売りなのではないか。
それなのに、チュートリアルにもなってない無駄な徒歩時間。
本編は3人称なのに、それらと無関係な1人称の演出。
ボタンを押すまで状況を停止するばいいのに、チュートリアルの段階で無駄にゲームオーバー演出で時間をとられるQTE。
消費者がキトゥンに萌えるのは自由だが、明らかに提供者がまず第一に性的商品としてキトゥンを扱っている下品さ。
宮崎駿の作品から駄目な箇所、ただオタクの願望的な要素のみを抽出してしまった勘違い。
会話に興味ないのでスキップしてたら、1度しか会話を見られないので攻略の段取りがわからなくなる初見で100%の把握を求める傲慢さと配慮の無さ。
自由な飛行が商品価値なのに、それとは全く無関係なステルス、格闘、狭い場所での飛行不要な攻略。
着地と静止が似た機能を両立してるのに、加速と静止が同じボタンで方向転換できず、方向転換でいちいち停止する必要がある操作性の悪さ。
飛行中は画面一杯を見てるのに、それら対象から焦点を外さないといけない音声じゃなく字幕による説明。
根本発想は素晴らしいのに、その発想を殺す仕様ばかり。
これだけ金をかけたのに、それらが視覚的装飾以外に何も寄与していない。
うまくすればBotWに並ぶ10年に1本になれたのに、どうして無料でばらまく事になったのか、納得した。
ソウルキャリバー6
オフラインの対戦としては素晴らしい。
しかし、オンラインのラグを全く念頭に無いフレーム行動。
設定が全く反映されず無視されるオンライン設定。
新作という以外に続ける動機が無いぶっ壊れてるバランス。
反復練習や情報の確認を全くさせる気のないトレモ。
アプデで再生不可能になる保存したリプレイ群。
対戦画面はおろか、メニュウ画面すら目的をひと目で判別できないUI。
キャラの判定が異なる判別が難しい大会禁止キャラクリ(エフェクト)をランクマで許容してる不備。
ランクマの8割が半裸の女。
商品価値は品質が全てなのに、それを無視して売り逃げするための発売前の宣伝言動。
アプデ自体に時間がかかるのはしかたないが、アプデの遅延や、アプデ自体による不具合のアナウンスや謝罪が全く無い。
1996年のソウルエッジからシリーズファンではあるが、ここまで悪質ならば、もうシリーズは終わって良い。
自分がビデオゲームに求めているのは、半裸の女や、知能不要の視覚聴覚演出で時間だけが過ぎる映像商品でもない。
楽器演奏や専門書や将棋や旅行のように、ある分野での経験が、そのまま能力の向上と行動力をまねく挑戦的な娯楽性。
おおよそ30年間で、やっとビデオゲームにも歴史が出来て、これら一般文化に並びつつある。
最高の作品はそれこそを目指して、その一部を実現してる。
業界を代表する大企業や主流作品がそれを実現しそこねているのが皮肉である。
2018年に見た映画
2018年の公開ではなく、2018年に自分が見たのが条件。
映画と書いたが、映像作品。
黄金のアデーレ 名画の帰還グスタフ・クリムトの絵にまつわる事実をもとにした映画。
自分は、それらに興味があったわけじゃなく、Hans Zimmerの仕事の1つを確認する意味で見ただけだった。
しかし、事実が凄まじいのもあり、映画自体が面白かった。
美術館で無料展示していても、書籍や写真に利用するには、また別の権利が発生する。
言われればわかるが、これは気づかなかった。
著作権が切れていた場合には、事後の所有者との契約でうんぬんかんぬん、それで無料の展示会って成り立っていた。
この映画とは無関係に、身内がオーストリアの土産にマグカップを貰ったが、それが黄金のアデーレに似ていたのだが、自分は似てるだけだと思ったが、グスタフ・クリムトのベートーヴェンフリーズ。
つまり、同じ作者であった。
ルーベンス展に行ったら、展示会の広告が幾らかあって、そこにクリムト展 ウィーンと日本 1900~があった。
今年、没後100周年だったらしく、自分としては、偶然ながらいい機会に見られた。
映画と書いたが、映像作品。
黄金のアデーレ 名画の帰還グスタフ・クリムトの絵にまつわる事実をもとにした映画。
自分は、それらに興味があったわけじゃなく、Hans Zimmerの仕事の1つを確認する意味で見ただけだった。
しかし、事実が凄まじいのもあり、映画自体が面白かった。
美術館で無料展示していても、書籍や写真に利用するには、また別の権利が発生する。
言われればわかるが、これは気づかなかった。
著作権が切れていた場合には、事後の所有者との契約でうんぬんかんぬん、それで無料の展示会って成り立っていた。
この映画とは無関係に、身内がオーストリアの土産にマグカップを貰ったが、それが黄金のアデーレに似ていたのだが、自分は似てるだけだと思ったが、グスタフ・クリムトのベートーヴェンフリーズ。
つまり、同じ作者であった。
ルーベンス展に行ったら、展示会の広告が幾らかあって、そこにクリムト展 ウィーンと日本 1900~があった。
今年、没後100周年だったらしく、自分としては、偶然ながらいい機会に見られた。
2018年に行った場所
今年は、3月スペインで満足してしまい、国内は歩かなかった。
縄文展、カウボーイビバップ極上音響上映、『2001年宇宙の旅』70mm版特別上映など興味はあったのだが、単純にチケットが取れなかった事も。
11月にロンドンであったエンニオ・モリコーネ - ラスト・コンサートに行きたかった。
国内では、いずれ三輪山に行きたい。
縄文展、カウボーイビバップ極上音響上映、『2001年宇宙の旅』70mm版特別上映など興味はあったのだが、単純にチケットが取れなかった事も。
11月にロンドンであったエンニオ・モリコーネ - ラスト・コンサートに行きたかった。
国内では、いずれ三輪山に行きたい。
2018年に読んだ漫画
ジョジョリオン 1 (ジャンプコミックス)
荒木飛呂彦の最高傑作。
絵柄は、まだSBRの最終決戦ほどに凄まじい事にはなっていないが、作品で扱われ描かれる出来事、これまでのジョジョを踏まえ、これまでに甘んじず、挑戦を続けてる。
1周して、アニメや過去作で評価されているジョジョ立ちやオラオラや擬音など、もはやジョジョを成り立たせるのに不要である。
そもそも、これまでずっと、肝心な事は静かに厳か描いてきた。
その点では、ずっと変わらず、それでいて、驚くほどに変えようとしている。
主要人物の過剰な美化や娯楽作品としての戦闘を売りとせず、ある望まぬ問題に直面した時の人間の本性と挑戦の生き様。
スタンド、超能力は、靴をはくように、箸をつかうように、絵を描くように、数学の公式を覚えるように、我々が可能な能力の延長にあり、等しく描かれる。
かつて、6部でスタンドに強弱はなく個性だ、と作中で語られたが、当時は少年漫画であり、荒木飛呂彦も若かったので、言葉と実際が大きく異なった。
しかし、今は、戦闘は目的のための手段であり、作者にとっても作品にとっても読者にとっても断片にすぎず、1つの目的に複数の手段(個性)があると描かれる。
もう最高。
……だからこそ、過剰さを求める若年や軽薄層に売れてないのもわかる。
独善じゃない挑戦をここまで出来る作家が、どれだけいるだろうか?
連載中の読んでる漫画で、今のところ、最高の作品。
クリストファー・ノーランに映画化してほしい。
双亡亭壊すべし(1) (少年サンデーコミックス)
少年漫画の教科書的な作家であり作品。
しかし、老いた作家が少年漫画の枠に固執した結果、出来ない事のほうが増えてるように見える。
忘れられた過去を残そうと必死なのは、わかる。
別に昔は良かったではなく、今に無い要素が昔はあった、というだけなのだが、その直球が、本作と読者にとってどれだけのものなのか、よくわからない。
レイリ(5): 少年チャンピオン・コミックス・エクストラ
今年ヒストリエが出なかったかわりに、レイリ。
岩明均らしさがありながらも、白が基調の絵柄じゃなく、ゴリゴリ塗りつぶしてく室井大資の絵柄が、全く違和感なく成り立っている。
子供らしさは、岩明均よりも上ではないか。
ベタベタな人情と、容赦のない現実や線引き。
純粋でいられる異常性。
そもそも、本作は復讐譚なのに、復讐の対象が存在しない。
不幸の契機となる人物はいるが、それは原因でも主題でもない。
そこが、時代や設定がほぼ同じな剣の舞と異なる点。
本作は、どこまで描かれるのだろうか。
武田信勝1582年に終わるので、そこまでだろうか。
そういう意味で、家康はおろか、へたしたら信長すら生きてる内に終わってしまうのでは。
ベルセルク 40 (ヤングアニマルコミックス)
もう、どう評価して良いのか、わからない。
話は進んでいるが、もはや三浦建太郎は漫画への情熱はあれどベルセルクへの情熱は無くなってしまったようだ。
単行本を意識せずに描いてるように見える。
藤田和日郎のように、週刊連載の体裁を至上とするなら、1話がそれぞれ構図も展開も様式であるのは構わないが、もはや単行本で成り立ってる本作において、つなぎのコマや会話など不要であり、もっと振り切ってほしい。
話は進んでいるのに、深刻な本筋に反するギャグをどんどんいれてきて、軽いとか重いじゃなく、作品の筋が読者にはもうわからない。
マカロニほうれん荘のように、漫画を放棄していない。
本人はきちんと漫画を続ける意思がある。
それなのに、作品は崩れていく。
イサック(4) (アフタヌーンコミックス)
ヒロインがあまりに少年漫画の女神で、傭兵も高校生みたいな乗りなのが気になるが、絵も話も面白い。
作者が書いていた、本作を描く根拠の1つなった当時のヨーロッパに日本人は思ったよりもいたとする参考資料を公開してほしい。
単純に興味がある。
時を超える影 1 ラヴクラフト傑作集 (ビームコミックス)
このシリーズは素晴らしい。
日本の漫画とは思えぬほどに、これでもかと言うくらいに黒い。
とにかく背景、場所や環境こそが主役であり、上等な洋画を見てる気分。
帆船の帆のひらきなどもちゃんと考えて描いてるし、飛行機には詳しくないが、風や空や海など、展開のために必要な出来る出来ない口実を、しっかり描写に落とし込んでいる。
このシリーズを読むと、Bloodborneが物足りない。
あれは、装飾にクトゥルフを用いても、その異様な環境や場所、建築物に何も干渉出来ない。
ただ歩くための地面でしかない。
これは荒木飛呂彦にも言えるが、田辺剛シリーズの素晴らしさは、場所や環境や状況が、人と同等以上に扱われる点。
旅行してる人間には、その延長で現実味があり、未経験なら、契機になる。
だからこそ、感情移入至上主義、登場人物にしか興味がない層にうけないので、売れないのだが。
それにしても、本作は紙質や装丁が実にこっていて、ちゃんと売れてるのだろうか。
あれよ星屑 7巻 (ビームコミックス)4巻(2016年)で1度読むのをやめて、久しぶりに5巻以降を読んだ。
人間関係は記憶していたが、どういう流れで舞台になったのか、まるで記憶していなかった。
1話丸丸を費やして舞台を描かれて、どう反応したら良いのかわからなかった。
作品としては馬鹿らしく見えても、こういう事が当時あり、そして、その一部は今でも続いている。
ちょいちょい興奮してる男観客のコマをいれているし、描くほうには何の疑念も無かったのだろう。
とにかくセックスが多いが、女の手段として、そして娯楽には不要な汚い男も描かれる。
そこが、男女むけの娯楽作品ではない意図がある歴史を描いた本作。
男はセックスできるなら死んでもいいし、女は生きるためならセックスする。
バブルのようなあきれるほど奔放な時代には簡単にやるし、戦後のような厳しい時代にはそれしか出来ずにやる。
いずれ、肉体に縛られて、その単純さを合理的にこなすか、不条理と反発するか、その価値観から逸脱できない。
最終巻は、きつかった。
この日本人像は、今でも残っている。
敗戦による集団的な絶望は無いが、環境や関係による失望の自殺は、益々増えているのではないか。
封印再度では奇麗な景色を見て、奇麗だから死のうと思うのが日本人と解釈している。
レイリとも通じるが柳田格之進的な精神、義務感。
それが日本の平和を支えているし、異常性でもある。
ニッポン夜枕ばなし
その懐かしさは、半分は勘違いであるのだが、それにしても、古風を維持して楽しくし上がっている。
江戸モアゼルも連想する。
人類が肉体と決別できないかぎり、男根女陰を比喩に見いだすのをやめられないだろう。
しかし、剣や花を人が見立てたのではなく、そもそも人間の肉体も、他の動植物と同様に合理的な形に落ち着いただけである。
これらは、連想ではなく、同じ環境で同じ結論に至った同種なのに、連想こそを評価、過剰反応されている。
例えば、バナナを食べる女とか。
本作は、意図的に連想と同種を区別せず描いて、セックスを皮膚呼吸くらいの生理であると、そういった時代、人種がいるのだと、半ば幻想を含んで描いてる。
自分は洋画の女優を、よくこう評価する。
脱ぐのためらわないが、脱ぐのが売りじゃない女。
具体的にどこまで意図したかはわからないが、黄桜CMを思い出した。
当時すら時代錯誤であったが、それでも昭和には、まだかろうじてこういう事が許されていた。
時代がくだり、漫画アニメはこういった要素を軽々と扱えるようになった。
ToLoveるやダイミダラーなどが、これらを担っているのだろう。
ただし、これらはあくまで視覚的に楽しむのが前提で、個人的には良悪とは別に、既に形が変わってしまっているので、立場は同じでも機能が異なるように思えるが。
東京怪童、ちいさこべえの望月ミネタロウが、あの犬ヶ島を漫画化すると聞いて大喜びで単行本を待っていたら、B5印刷なのは嬉しいが、80頁しか無かった。
もっと真面目な漫画化かと思ったら、ただの広告だった。
もちろん、手抜きというわけではなく、彼の構図、視覚的な芸風はウェス・アンダーソンにも似ていて、作風は何の違和感もない。
しかし、せめて200から300頁くらいの1冊で仕上げてくるかと思っていたが、甘かった。
この漫画自体は、映画に何らマイナスしないが、かといってプラスもない。
素直に楽しみにしてたので残念。
カルバニア物語(17) (Charaコミックス)
チキタGUGUか、これを是非ともアニメ化してほしいが、ポリコレ的には、本作のほうがふさわしいだろうか。
女が女のために描いた女の本音と本性の漫画なのに、全く独善や嫌みがなく面白い。
ノーランにも言えるが、男が男を肯定すればホモ的になり、そこに女は不要となる。
それは同性愛とは異なる。
同様に、女が女を肯定すれば、男の存在は希薄となる。
女のほうが生前死後の歴史などより現在の人間関係を優先する傾向があるから、その点で女のほうが男女の両方を扱うにせよ、自身の願望の1つに男が含まれても、自己肯定とはつまり自立なので、異性は断片であっても決め手にならない。
男女比的な問題は、数字が明かす小説の秘密が詳しく面白い。
少年漫画も少女漫画も、いずれ見苦しくなるのは、それぞれ願望を異性に押し付けてるからで、別に、男が男のために男を描こうが、女が女のために女を描こうが、その相手となる異性さえ軽薄でなければ、互いに認め合えるものだ。
ジョジョが今にしてうけてるのも、初期こそ恋愛してたが、過剰な異性愛(同性愛)など扱わずに生き様を描いてるからではないか。
その点で、本作も軽い絵柄と乗りながら充分に人生を描いているし、ほとんど1話完結なので、おいしいとこだけ拾ってアニメ化して、こういった作品自体が、層を選ばずに知られた上で判断されれば良いが。
荒木飛呂彦の最高傑作。
絵柄は、まだSBRの最終決戦ほどに凄まじい事にはなっていないが、作品で扱われ描かれる出来事、これまでのジョジョを踏まえ、これまでに甘んじず、挑戦を続けてる。
1周して、アニメや過去作で評価されているジョジョ立ちやオラオラや擬音など、もはやジョジョを成り立たせるのに不要である。
そもそも、これまでずっと、肝心な事は静かに厳か描いてきた。
その点では、ずっと変わらず、それでいて、驚くほどに変えようとしている。
主要人物の過剰な美化や娯楽作品としての戦闘を売りとせず、ある望まぬ問題に直面した時の人間の本性と挑戦の生き様。
スタンド、超能力は、靴をはくように、箸をつかうように、絵を描くように、数学の公式を覚えるように、我々が可能な能力の延長にあり、等しく描かれる。
かつて、6部でスタンドに強弱はなく個性だ、と作中で語られたが、当時は少年漫画であり、荒木飛呂彦も若かったので、言葉と実際が大きく異なった。
しかし、今は、戦闘は目的のための手段であり、作者にとっても作品にとっても読者にとっても断片にすぎず、1つの目的に複数の手段(個性)があると描かれる。
もう最高。
……だからこそ、過剰さを求める若年や軽薄層に売れてないのもわかる。
独善じゃない挑戦をここまで出来る作家が、どれだけいるだろうか?
連載中の読んでる漫画で、今のところ、最高の作品。
クリストファー・ノーランに映画化してほしい。
双亡亭壊すべし(1) (少年サンデーコミックス)
少年漫画の教科書的な作家であり作品。
しかし、老いた作家が少年漫画の枠に固執した結果、出来ない事のほうが増えてるように見える。
忘れられた過去を残そうと必死なのは、わかる。
別に昔は良かったではなく、今に無い要素が昔はあった、というだけなのだが、その直球が、本作と読者にとってどれだけのものなのか、よくわからない。
レイリ(5): 少年チャンピオン・コミックス・エクストラ
今年ヒストリエが出なかったかわりに、レイリ。
岩明均らしさがありながらも、白が基調の絵柄じゃなく、ゴリゴリ塗りつぶしてく室井大資の絵柄が、全く違和感なく成り立っている。
子供らしさは、岩明均よりも上ではないか。
ベタベタな人情と、容赦のない現実や線引き。
純粋でいられる異常性。
そもそも、本作は復讐譚なのに、復讐の対象が存在しない。
不幸の契機となる人物はいるが、それは原因でも主題でもない。
そこが、時代や設定がほぼ同じな剣の舞と異なる点。
本作は、どこまで描かれるのだろうか。
武田信勝1582年に終わるので、そこまでだろうか。
そういう意味で、家康はおろか、へたしたら信長すら生きてる内に終わってしまうのでは。
ベルセルク 40 (ヤングアニマルコミックス)
もう、どう評価して良いのか、わからない。
話は進んでいるが、もはや三浦建太郎は漫画への情熱はあれどベルセルクへの情熱は無くなってしまったようだ。
単行本を意識せずに描いてるように見える。
藤田和日郎のように、週刊連載の体裁を至上とするなら、1話がそれぞれ構図も展開も様式であるのは構わないが、もはや単行本で成り立ってる本作において、つなぎのコマや会話など不要であり、もっと振り切ってほしい。
話は進んでいるのに、深刻な本筋に反するギャグをどんどんいれてきて、軽いとか重いじゃなく、作品の筋が読者にはもうわからない。
マカロニほうれん荘のように、漫画を放棄していない。
本人はきちんと漫画を続ける意思がある。
それなのに、作品は崩れていく。
イサック(4) (アフタヌーンコミックス)
ヒロインがあまりに少年漫画の女神で、傭兵も高校生みたいな乗りなのが気になるが、絵も話も面白い。
作者が書いていた、本作を描く根拠の1つなった当時のヨーロッパに日本人は思ったよりもいたとする参考資料を公開してほしい。
単純に興味がある。
時を超える影 1 ラヴクラフト傑作集 (ビームコミックス)
このシリーズは素晴らしい。
日本の漫画とは思えぬほどに、これでもかと言うくらいに黒い。
とにかく背景、場所や環境こそが主役であり、上等な洋画を見てる気分。
帆船の帆のひらきなどもちゃんと考えて描いてるし、飛行機には詳しくないが、風や空や海など、展開のために必要な出来る出来ない口実を、しっかり描写に落とし込んでいる。
このシリーズを読むと、Bloodborneが物足りない。
あれは、装飾にクトゥルフを用いても、その異様な環境や場所、建築物に何も干渉出来ない。
ただ歩くための地面でしかない。
これは荒木飛呂彦にも言えるが、田辺剛シリーズの素晴らしさは、場所や環境や状況が、人と同等以上に扱われる点。
旅行してる人間には、その延長で現実味があり、未経験なら、契機になる。
だからこそ、感情移入至上主義、登場人物にしか興味がない層にうけないので、売れないのだが。
それにしても、本作は紙質や装丁が実にこっていて、ちゃんと売れてるのだろうか。
あれよ星屑 7巻 (ビームコミックス)4巻(2016年)で1度読むのをやめて、久しぶりに5巻以降を読んだ。
人間関係は記憶していたが、どういう流れで舞台になったのか、まるで記憶していなかった。
1話丸丸を費やして舞台を描かれて、どう反応したら良いのかわからなかった。
作品としては馬鹿らしく見えても、こういう事が当時あり、そして、その一部は今でも続いている。
ちょいちょい興奮してる男観客のコマをいれているし、描くほうには何の疑念も無かったのだろう。
とにかくセックスが多いが、女の手段として、そして娯楽には不要な汚い男も描かれる。
そこが、男女むけの娯楽作品ではない意図がある歴史を描いた本作。
男はセックスできるなら死んでもいいし、女は生きるためならセックスする。
バブルのようなあきれるほど奔放な時代には簡単にやるし、戦後のような厳しい時代にはそれしか出来ずにやる。
いずれ、肉体に縛られて、その単純さを合理的にこなすか、不条理と反発するか、その価値観から逸脱できない。
最終巻は、きつかった。
この日本人像は、今でも残っている。
敗戦による集団的な絶望は無いが、環境や関係による失望の自殺は、益々増えているのではないか。
封印再度では奇麗な景色を見て、奇麗だから死のうと思うのが日本人と解釈している。
レイリとも通じるが柳田格之進的な精神、義務感。
それが日本の平和を支えているし、異常性でもある。
ニッポン夜枕ばなし
その懐かしさは、半分は勘違いであるのだが、それにしても、古風を維持して楽しくし上がっている。
江戸モアゼルも連想する。
人類が肉体と決別できないかぎり、男根女陰を比喩に見いだすのをやめられないだろう。
しかし、剣や花を人が見立てたのではなく、そもそも人間の肉体も、他の動植物と同様に合理的な形に落ち着いただけである。
これらは、連想ではなく、同じ環境で同じ結論に至った同種なのに、連想こそを評価、過剰反応されている。
例えば、バナナを食べる女とか。
本作は、意図的に連想と同種を区別せず描いて、セックスを皮膚呼吸くらいの生理であると、そういった時代、人種がいるのだと、半ば幻想を含んで描いてる。
自分は洋画の女優を、よくこう評価する。
脱ぐのためらわないが、脱ぐのが売りじゃない女。
具体的にどこまで意図したかはわからないが、黄桜CMを思い出した。
当時すら時代錯誤であったが、それでも昭和には、まだかろうじてこういう事が許されていた。
時代がくだり、漫画アニメはこういった要素を軽々と扱えるようになった。
ToLoveるやダイミダラーなどが、これらを担っているのだろう。
ただし、これらはあくまで視覚的に楽しむのが前提で、個人的には良悪とは別に、既に形が変わってしまっているので、立場は同じでも機能が異なるように思えるが。
東京怪童、ちいさこべえの望月ミネタロウが、あの犬ヶ島を漫画化すると聞いて大喜びで単行本を待っていたら、B5印刷なのは嬉しいが、80頁しか無かった。
もっと真面目な漫画化かと思ったら、ただの広告だった。
もちろん、手抜きというわけではなく、彼の構図、視覚的な芸風はウェス・アンダーソンにも似ていて、作風は何の違和感もない。
しかし、せめて200から300頁くらいの1冊で仕上げてくるかと思っていたが、甘かった。
この漫画自体は、映画に何らマイナスしないが、かといってプラスもない。
素直に楽しみにしてたので残念。
カルバニア物語(17) (Charaコミックス)
チキタGUGUか、これを是非ともアニメ化してほしいが、ポリコレ的には、本作のほうがふさわしいだろうか。
女が女のために描いた女の本音と本性の漫画なのに、全く独善や嫌みがなく面白い。
ノーランにも言えるが、男が男を肯定すればホモ的になり、そこに女は不要となる。
それは同性愛とは異なる。
同様に、女が女を肯定すれば、男の存在は希薄となる。
女のほうが生前死後の歴史などより現在の人間関係を優先する傾向があるから、その点で女のほうが男女の両方を扱うにせよ、自身の願望の1つに男が含まれても、自己肯定とはつまり自立なので、異性は断片であっても決め手にならない。
男女比的な問題は、数字が明かす小説の秘密が詳しく面白い。
少年漫画も少女漫画も、いずれ見苦しくなるのは、それぞれ願望を異性に押し付けてるからで、別に、男が男のために男を描こうが、女が女のために女を描こうが、その相手となる異性さえ軽薄でなければ、互いに認め合えるものだ。
ジョジョが今にしてうけてるのも、初期こそ恋愛してたが、過剰な異性愛(同性愛)など扱わずに生き様を描いてるからではないか。
その点で、本作も軽い絵柄と乗りながら充分に人生を描いているし、ほとんど1話完結なので、おいしいとこだけ拾ってアニメ化して、こういった作品自体が、層を選ばずに知られた上で判断されれば良いが。