2018年12月1日土曜日

2018年に買った最高と最悪のビデオゲーム

最高

ケツイ Deathtiny 絆地獄たち
本作に限らず、今でも通じるグラフィックと音楽とゲーム性を持った作品を、ただ移植するのではなく、新作並の追加要素、反復性と快適性を徹底的に改善してオリジナルよりも永久保存版的スタンダードにしてる。
もともと高難易度こそが売りだったものを、その難易度を無視して遊んでも充分に評価できる要素があるのだと証明した。
その商品が目指した娯楽性が楽しいかどうかは別にしても、本作が果たした反復性と快適性はあらゆるビデオゲームが実装すべき義務的な水準。
後述する大手バンナムやソニーが全く出来ていない事をリソースに劣る中小のM2が業界基準を一新するような仕様を提供した。


サガ スカーレット グレイス 緋色の野望
河津がやる気も実力もまだあると証明した。
あくまでVita版を改善したからこそ言える事だが、発想だけは面白いのに商品として全くまとまっていなかったゲーム性以外の仕様が全て改善されて、現行版だけをやれば間違いなく名作。
視覚的な娯楽性に乏しいのは事実だが、何よりもプレイヤの判断を反映させるのがファミコンから広がったビデオゲームの娯楽性、と定義するならば、本作はそれをまっとうしている。
そもそも難易度の高さが売りのシリーズではあるが、本作に限らず、これまで難易度の高さは判断結果の損失の大きさであった。
しかし、本作では純粋な損失は少なく成功の獲得による代償の積み重ねで成り立っている。
操作不能で時間だけが過ぎる過剰演出もなく、それでいて、要所では追加音声などで劇的に感じられる簡素な演出があり、荒木飛呂彦や富野由悠季に通じる、全く理解できない無駄に思える些細な言動が消費者の思いつかぬ個性と魅力になっている。
ある動物を人間と同様に法律で裁く異文化や、好きだ愛だと全く言わずに赤面も告白もなく恋愛的な発言が無いままに恋愛関係を描ききる作家性。
登場人物の思い入れは、プレイせずにわかる見た目などではなく、あくまで、プレイしてわかる性能や言動から選ぶという線引き。
現在もチェスや将棋が成り立ってるように、ターン制自体は問題なのではなく、手を止める間も頭はまわっていて退屈な時間が無い、いかにプレイヤの経験的な時間が停止せずに動き続けているように感じられるか。
これまで河津の作品を知っていても、本作をプレイせずに確認できる情報だけでは、正直まるで本作の素晴らしさは感じ取れない。
本作が売り上げオクトパストラベラーの足下にも及ばないのは、未プレイ情報だけに限れば当然である。
しかし、情報を確認した上で選んだのならともかく、漠然と面白い作品を探してる層が、オクトラやFF15やモンハンを買って本作を無視してる現実はあまりに酷い。
Vita版が欠陥品であるのは事実だが、人類の文化、歴史、価値観、そして娯楽性をここまで簡素に無駄なくまとめあげた作品と河津が続けられるくらいには、評価と売り上げが欲しい。


結果的に高難易度の作品が並んだが、ビデオゲームの魅力は難易度の高さではない。
かといってパチンコなどのように当事者が不在でも成り立つものを金を巻き上げるために過剰演出で優遇してるように見せる詐欺的な分野でもない。
難易度は挑戦者との相対的な問題であり、肝心なのは、安易な成功という結果ではなく、挑戦の反復が容易であり、失敗しても挑戦を続けられる演出や要素を商品が持っているかどうかである。
その点で、この2作品は見た目や売り上げはどうあれ、明らかに業界の水準を引き上げた素晴らしい仕事を果たした。

最悪

GRAVITY DAZE 2
冒頭が酷すぎて笑ってしまった。
本作は、広い空間を自由に飛び回るのが唯一の売りなのではないか。
それなのに、チュートリアルにもなってない無駄な徒歩時間。
本編は3人称なのに、それらと無関係な1人称の演出。
ボタンを押すまで状況を停止するばいいのに、チュートリアルの段階で無駄にゲームオーバー演出で時間をとられるQTE。
消費者がキトゥンに萌えるのは自由だが、明らかに提供者がまず第一に性的商品としてキトゥンを扱っている下品さ。
宮崎駿の作品から駄目な箇所、ただオタクの願望的な要素のみを抽出してしまった勘違い。
会話に興味ないのでスキップしてたら、1度しか会話を見られないので攻略の段取りがわからなくなる初見で100%の把握を求める傲慢さと配慮の無さ。
自由な飛行が商品価値なのに、それとは全く無関係なステルス、格闘、狭い場所での飛行不要な攻略。
着地と静止が似た機能を両立してるのに、加速と静止が同じボタンで方向転換できず、方向転換でいちいち停止する必要がある操作性の悪さ。
飛行中は画面一杯を見てるのに、それら対象から焦点を外さないといけない音声じゃなく字幕による説明。
根本発想は素晴らしいのに、その発想を殺す仕様ばかり。
これだけ金をかけたのに、それらが視覚的装飾以外に何も寄与していない。
うまくすればBotWに並ぶ10年に1本になれたのに、どうして無料でばらまく事になったのか、納得した。


ソウルキャリバー6
オフラインの対戦としては素晴らしい。
しかし、オンラインのラグを全く念頭に無いフレーム行動。
設定が全く反映されず無視されるオンライン設定。
新作という以外に続ける動機が無いぶっ壊れてるバランス。
反復練習や情報の確認を全くさせる気のないトレモ。
アプデで再生不可能になる保存したリプレイ群。
対戦画面はおろか、メニュウ画面すら目的をひと目で判別できないUI。
キャラの判定が異なる判別が難しい大会禁止キャラクリ(エフェクト)をランクマで許容してる不備。
ランクマの8割が半裸の女。
商品価値は品質が全てなのに、それを無視して売り逃げするための発売前の宣伝言動。
アプデ自体に時間がかかるのはしかたないが、アプデの遅延や、アプデ自体による不具合のアナウンスや謝罪が全く無い。
1996年のソウルエッジからシリーズファンではあるが、ここまで悪質ならば、もうシリーズは終わって良い。


自分がビデオゲームに求めているのは、半裸の女や、知能不要の視覚聴覚演出で時間だけが過ぎる映像商品でもない。
楽器演奏や専門書や将棋や旅行のように、ある分野での経験が、そのまま能力の向上と行動力をまねく挑戦的な娯楽性。
おおよそ30年間で、やっとビデオゲームにも歴史が出来て、これら一般文化に並びつつある。
最高の作品はそれこそを目指して、その一部を実現してる。
業界を代表する大企業や主流作品がそれを実現しそこねているのが皮肉である。