ジョジョリオン 1 (ジャンプコミックス)
荒木飛呂彦の最高傑作。
絵柄は、まだSBRの最終決戦ほどに凄まじい事にはなっていないが、作品で扱われ描かれる出来事、これまでのジョジョを踏まえ、これまでに甘んじず、挑戦を続けてる。
1周して、アニメや過去作で評価されているジョジョ立ちやオラオラや擬音など、もはやジョジョを成り立たせるのに不要である。
そもそも、これまでずっと、肝心な事は静かに厳か描いてきた。
その点では、ずっと変わらず、それでいて、驚くほどに変えようとしている。
主要人物の過剰な美化や娯楽作品としての戦闘を売りとせず、ある望まぬ問題に直面した時の人間の本性と挑戦の生き様。
スタンド、超能力は、靴をはくように、箸をつかうように、絵を描くように、数学の公式を覚えるように、我々が可能な能力の延長にあり、等しく描かれる。
かつて、6部でスタンドに強弱はなく個性だ、と作中で語られたが、当時は少年漫画であり、荒木飛呂彦も若かったので、言葉と実際が大きく異なった。
しかし、今は、戦闘は目的のための手段であり、作者にとっても作品にとっても読者にとっても断片にすぎず、1つの目的に複数の手段(個性)があると描かれる。
もう最高。
……だからこそ、過剰さを求める若年や軽薄層に売れてないのもわかる。
独善じゃない挑戦をここまで出来る作家が、どれだけいるだろうか?
連載中の読んでる漫画で、今のところ、最高の作品。
クリストファー・ノーランに映画化してほしい。
双亡亭壊すべし(1) (少年サンデーコミックス)
少年漫画の教科書的な作家であり作品。
しかし、老いた作家が少年漫画の枠に固執した結果、出来ない事のほうが増えてるように見える。
忘れられた過去を残そうと必死なのは、わかる。
別に昔は良かったではなく、今に無い要素が昔はあった、というだけなのだが、その直球が、本作と読者にとってどれだけのものなのか、よくわからない。
レイリ(5): 少年チャンピオン・コミックス・エクストラ
今年ヒストリエが出なかったかわりに、レイリ。
岩明均らしさがありながらも、白が基調の絵柄じゃなく、ゴリゴリ塗りつぶしてく室井大資の絵柄が、全く違和感なく成り立っている。
子供らしさは、岩明均よりも上ではないか。
ベタベタな人情と、容赦のない現実や線引き。
純粋でいられる異常性。
そもそも、本作は復讐譚なのに、復讐の対象が存在しない。
不幸の契機となる人物はいるが、それは原因でも主題でもない。
そこが、時代や設定がほぼ同じな剣の舞と異なる点。
本作は、どこまで描かれるのだろうか。
武田信勝1582年に終わるので、そこまでだろうか。
そういう意味で、家康はおろか、へたしたら信長すら生きてる内に終わってしまうのでは。
ベルセルク 40 (ヤングアニマルコミックス)
もう、どう評価して良いのか、わからない。
話は進んでいるが、もはや三浦建太郎は漫画への情熱はあれどベルセルクへの情熱は無くなってしまったようだ。
単行本を意識せずに描いてるように見える。
藤田和日郎のように、週刊連載の体裁を至上とするなら、1話がそれぞれ構図も展開も様式であるのは構わないが、もはや単行本で成り立ってる本作において、つなぎのコマや会話など不要であり、もっと振り切ってほしい。
話は進んでいるのに、深刻な本筋に反するギャグをどんどんいれてきて、軽いとか重いじゃなく、作品の筋が読者にはもうわからない。
マカロニほうれん荘のように、漫画を放棄していない。
本人はきちんと漫画を続ける意思がある。
それなのに、作品は崩れていく。
イサック(4) (アフタヌーンコミックス)
ヒロインがあまりに少年漫画の女神で、傭兵も高校生みたいな乗りなのが気になるが、絵も話も面白い。
作者が書いていた、本作を描く根拠の1つなった当時のヨーロッパに日本人は思ったよりもいたとする参考資料を公開してほしい。
単純に興味がある。
時を超える影 1 ラヴクラフト傑作集 (ビームコミックス)
このシリーズは素晴らしい。
日本の漫画とは思えぬほどに、これでもかと言うくらいに黒い。
とにかく背景、場所や環境こそが主役であり、上等な洋画を見てる気分。
帆船の帆のひらきなどもちゃんと考えて描いてるし、飛行機には詳しくないが、風や空や海など、展開のために必要な出来る出来ない口実を、しっかり描写に落とし込んでいる。
このシリーズを読むと、Bloodborneが物足りない。
あれは、装飾にクトゥルフを用いても、その異様な環境や場所、建築物に何も干渉出来ない。
ただ歩くための地面でしかない。
これは荒木飛呂彦にも言えるが、田辺剛シリーズの素晴らしさは、場所や環境や状況が、人と同等以上に扱われる点。
旅行してる人間には、その延長で現実味があり、未経験なら、契機になる。
だからこそ、感情移入至上主義、登場人物にしか興味がない層にうけないので、売れないのだが。
それにしても、本作は紙質や装丁が実にこっていて、ちゃんと売れてるのだろうか。
あれよ星屑 7巻 (ビームコミックス)4巻(2016年)で1度読むのをやめて、久しぶりに5巻以降を読んだ。
人間関係は記憶していたが、どういう流れで舞台になったのか、まるで記憶していなかった。
1話丸丸を費やして舞台を描かれて、どう反応したら良いのかわからなかった。
作品としては馬鹿らしく見えても、こういう事が当時あり、そして、その一部は今でも続いている。
ちょいちょい興奮してる男観客のコマをいれているし、描くほうには何の疑念も無かったのだろう。
とにかくセックスが多いが、女の手段として、そして娯楽には不要な汚い男も描かれる。
そこが、男女むけの娯楽作品ではない意図がある歴史を描いた本作。
男はセックスできるなら死んでもいいし、女は生きるためならセックスする。
バブルのようなあきれるほど奔放な時代には簡単にやるし、戦後のような厳しい時代にはそれしか出来ずにやる。
いずれ、肉体に縛られて、その単純さを合理的にこなすか、不条理と反発するか、その価値観から逸脱できない。
最終巻は、きつかった。
この日本人像は、今でも残っている。
敗戦による集団的な絶望は無いが、環境や関係による失望の自殺は、益々増えているのではないか。
封印再度では奇麗な景色を見て、奇麗だから死のうと思うのが日本人と解釈している。
レイリとも通じるが柳田格之進的な精神、義務感。
それが日本の平和を支えているし、異常性でもある。
ニッポン夜枕ばなし
その懐かしさは、半分は勘違いであるのだが、それにしても、古風を維持して楽しくし上がっている。
江戸モアゼルも連想する。
人類が肉体と決別できないかぎり、男根女陰を比喩に見いだすのをやめられないだろう。
しかし、剣や花を人が見立てたのではなく、そもそも人間の肉体も、他の動植物と同様に合理的な形に落ち着いただけである。
これらは、連想ではなく、同じ環境で同じ結論に至った同種なのに、連想こそを評価、過剰反応されている。
例えば、バナナを食べる女とか。
本作は、意図的に連想と同種を区別せず描いて、セックスを皮膚呼吸くらいの生理であると、そういった時代、人種がいるのだと、半ば幻想を含んで描いてる。
自分は洋画の女優を、よくこう評価する。
脱ぐのためらわないが、脱ぐのが売りじゃない女。
具体的にどこまで意図したかはわからないが、黄桜CMを思い出した。
当時すら時代錯誤であったが、それでも昭和には、まだかろうじてこういう事が許されていた。
時代がくだり、漫画アニメはこういった要素を軽々と扱えるようになった。
ToLoveるやダイミダラーなどが、これらを担っているのだろう。
ただし、これらはあくまで視覚的に楽しむのが前提で、個人的には良悪とは別に、既に形が変わってしまっているので、立場は同じでも機能が異なるように思えるが。
東京怪童、ちいさこべえの望月ミネタロウが、あの犬ヶ島を漫画化すると聞いて大喜びで単行本を待っていたら、B5印刷なのは嬉しいが、80頁しか無かった。
もっと真面目な漫画化かと思ったら、ただの広告だった。
もちろん、手抜きというわけではなく、彼の構図、視覚的な芸風はウェス・アンダーソンにも似ていて、作風は何の違和感もない。
しかし、せめて200から300頁くらいの1冊で仕上げてくるかと思っていたが、甘かった。
この漫画自体は、映画に何らマイナスしないが、かといってプラスもない。
素直に楽しみにしてたので残念。
カルバニア物語(17) (Charaコミックス)
チキタGUGUか、これを是非ともアニメ化してほしいが、ポリコレ的には、本作のほうがふさわしいだろうか。
女が女のために描いた女の本音と本性の漫画なのに、全く独善や嫌みがなく面白い。
ノーランにも言えるが、男が男を肯定すればホモ的になり、そこに女は不要となる。
それは同性愛とは異なる。
同様に、女が女を肯定すれば、男の存在は希薄となる。
女のほうが生前死後の歴史などより現在の人間関係を優先する傾向があるから、その点で女のほうが男女の両方を扱うにせよ、自身の願望の1つに男が含まれても、自己肯定とはつまり自立なので、異性は断片であっても決め手にならない。
男女比的な問題は、数字が明かす小説の秘密が詳しく面白い。
少年漫画も少女漫画も、いずれ見苦しくなるのは、それぞれ願望を異性に押し付けてるからで、別に、男が男のために男を描こうが、女が女のために女を描こうが、その相手となる異性さえ軽薄でなければ、互いに認め合えるものだ。
ジョジョが今にしてうけてるのも、初期こそ恋愛してたが、過剰な異性愛(同性愛)など扱わずに生き様を描いてるからではないか。
その点で、本作も軽い絵柄と乗りながら充分に人生を描いているし、ほとんど1話完結なので、おいしいとこだけ拾ってアニメ化して、こういった作品自体が、層を選ばずに知られた上で判断されれば良いが。