菅野よう子に感動した理由と対極にある曲なので、個人的な分析、実験して遊んだ結果である。
この曲や作家やファンを否定する意図は無い。
また、作家の比較、優劣を意図したものでもない。
純粋に、部分転調など非ダイアトニック(Keyの外にある音)の展開が多いのに、あるいは作家本人すら楽器はその通りに弾けても、このメロで仮歌を通して歌えないのでは?
……と思えるような曲調。
坂本真綾のシンガーソングライターもだが、誰もが当人みたいに非ダイアトニック音を無視してダイアトニックのメロをそのまま歌えるわけではない。
ただ、この曲はそういった客層を意図して相手にしていない。
動画では、【原曲】【提案】の順で音が流れる。
全てではないが、菅野よう子だったらこうだろうかという遊び予想もした。
【歌詞】踏み出す力と…弱気な…
Cm7 B(b5)
- 原曲は、ベースがCm7のままピアノがシソ(コードEb)と動いてファに誘導
- 自分なら、ピアノをシソにファを足して、次に歌う音ファ自体を示す。実に安易。
- 菅野よう子なら、対位法とシンコペと分数コードとフレーズを駆使して、最終的には原曲のコードと同じながら、音程が上下に動きながら次に歌われるべきメロと同じで乗りやすい上行をメロの寸前で聞かせて誘導する。動画ではCm Eb/Bb Eb(原曲はCm7のみ)
- 原曲は、GmからC。EbダイアトニックのGmからEbの非ダイアトニックのCに部分転調。再びEbに着地するために5度進行の繰り返し。
- 自分なら、部分転調でEb非ダイアトニックのE(ミ)を歌いやすいように、Gmの7thと同じ音でミに着地するCsus4(ファ)を伴奏にいれる。
Ebのクリシェから半音展開の遊び。
原曲[Eb7・・・][DdM7・CM7・]
自分[Eb7・C7・][DdM7・CM7・]
ただ聞いてるだけ、あるいは楽器なら良いのだが、Liveの歓声では、Ebのダイアトニックを引きずって、CM7をCm7で歌ってる人がいる。
例えば、後半の半音進行のために、Ebクリシェ着地のEb7から次の非ダイアトニックCM7に行きやすくC7を挟んで後半にいけば、迷いにくいのでは。
【歌詞】サビ前
- 【原曲】Ab/Eb Ebs4 Eb
- 【自分】Ab/Eb Ebs4 Cm7
- 【YK】Ab/Eb Ebs4 Eb/F Eb/G Bbs4/Ab Eb/Bb
【歌詞】これからの君が見たい
- 【原曲】Fm7・Bdim・・//Cm7(s4) Bb7・Eb
- 【自分】Fm7・Bb・Bdim//Cm7(s4) Bb7・Eb
- 【YK】Fm7・Bb・Bdim Gaug//Cm7(s4) Eb/F・Bb7・Eb
もちろん、これは作家もわかってて、それが嫌であえてやったのだろう。
自分が初見で一瞬釣られてひっかかったので。
SwitchのKORGがアプデされたので、それの確認で遊びがてらやったのが以上。
正直なところ、自分にはぶつぎりの曲に聞こえた。
意図した非ダイアトニックなのはわかる。
しかし、これを1度だけ聞いて、伴奏を聞きながらリアルタイムでメロを感じて歌えるようには、意図して作ってない。
難易度自体を魅力としてる、多重録音と機械修正の完成品が主目的の商品。
ボカロやシンセの同類。
少なくとも人が歌うための伴奏って、歌いやすくするためにあるんじゃないのかと、自分なんかは思ってしまう。
しかし、自身はいっさい何もせずにサーカス、曲芸を楽しむのも消費の1つ。
自分には、それが馴染めないが。