2018年12月1日土曜日

2018年に見た映画

2018年の公開ではなく、2018年に自分が見たのが条件。
映画と書いたが、映像作品。
黄金のアデーレ 名画の帰還グスタフ・クリムトの絵にまつわる事実をもとにした映画。
自分は、それらに興味があったわけじゃなく、Hans Zimmerの仕事の1つを確認する意味で見ただけだった。
しかし、事実が凄まじいのもあり、映画自体が面白かった。
美術館で無料展示していても、書籍や写真に利用するには、また別の権利が発生する。
言われればわかるが、これは気づかなかった。
著作権が切れていた場合には、事後の所有者との契約でうんぬんかんぬん、それで無料の展示会って成り立っていた。
この映画とは無関係に、身内がオーストリアの土産にマグカップを貰ったが、それが黄金のアデーレに似ていたのだが、自分は似てるだけだと思ったが、グスタフ・クリムトベートーヴェンフリーズ
つまり、同じ作者であった。
ルーベンス展に行ったら、展示会の広告が幾らかあって、そこにクリムト展 ウィーンと日本 1900~があった。
今年、没後100周年だったらしく、自分としては、偶然ながらいい機会に見られた。



MI5:消された機密ファイル
レイチェル・ワイズ主演だから見た。
UKの乗りは不思議だ。
明らかな大衆娯楽なのに、そして予算も充分にかけて、大衆娯楽的な派手さを求めず、景色と会話で成り立たせる。
最後まで、関係をどう落とすのかわからなかったが、素直に恋愛であった。
老人と美女の恋愛ってどうなんだろうか。
セックスをともなわず、少なくとも描写されていないから違和感はなかったが、キスシーンはしっかりとあったし、ちゃんと見せ場にしてた。
スパイ小説の世界を語る[WOWOWぷらすと]でも言われていたが、イギリス的なスパイもの、映画は、そもそも何が重要な出来事なのかわからない。
本作はそれでも、充分に現代的でわかりやすいが、それでも、なぜ登場人物がそこまで固執するのか、それが個人におさまらない範疇なのか、そのへんが難しい。
しかし、自分の動機もあるが、単純に、静かな純愛映画と見られれば充分である。
経験できない、したくない、ある特殊な境遇を垣間みる。
まさしく、それが映画なのかと。


アンフレンデッド
現代的なホラー映画。
商業の主流じゃなから演出的な挑戦をできる分野で、たまに出てくる面白い出落ち映画。
パソコンの不具合、利用してるサービスの不具合、これらは日常的にあり、正直なところ、そこに超常性を見いだせなかった。
登場人物が無知なだけかと。
もし人間の思い込みが具体化するのが前提なら、波動拳と拳銃に何の違いがあるのだろうか。
無知にとっては科学技術も超常心霊も変わらない。
1度見るぶんには、気軽な実験作としてあり。


ハウンター
ヴィンチェンゾ・ナタリ監督作品。
死後の世界を描くのは難しい。
それを肯定するなら、結局は何も見えない白い世界にしか出来ない。


コンプリート・アンノウン
レイチェル・ワイズ主演だから見た。
彼女は、おばさんになってからの作品選びに間違いがない。
若い頃は脱ぐのもためらわず、それが売りだったのもあるが、ショウビジネスの反動からか、私生活や考えは地に足ついており、男に好かれながら自立してる、すげえ女。
作品自体に派手さは無いが、女の自問自答が題材なのに自己陶酔がなく、黙って見ていられる。
現在のGal Gadotは、彼女の思想と商品に乖離があるように見える。
その点で、同じ女神として生きてるレイチェル・ワイズのほうが、ハリウッド的短期な肉体需要がなくなったおかげで、しっかりした作品にでながらも女を売り続けて、たいしたものだ。
男が望む女と、女が認める女の両立を出来てる女神。


ダディ・ロング・レッグズ 足ながおじさんより
なぜDVDなのだ。
16:9のカメラを使ってる時点で、最低でも720で録画してた筈だ。
汚すぎて見る気を無くす。
アニメ業界が演技という点で健全で、既知と未知の中道を行く発掘能力、意図があれば、坂本真綾が手紙読んでる時の声をもっと使わせたキャラの仕事があったろうに。
編成は小さいが、主演2人に合わせられる生演奏。
坂本真綾のキスを見て、結構ショックだった。
処女信仰的な意味ではなく、物語としても恋愛落ちがふさわしくないのと、恋愛も結婚も仕事も自由で好きにすれば良いが、単純に絵面を見たくなかった。
もっと他人事、線引きある仕事だけ見て評価したかった。


アンジェラ
リュック・ベッソン監督作品。
そうと知らずに、新しいフランス映画で白黒演出というジャンルで興味をもって見た。
娼婦を主役に出来るのがEUだが、主役のために売女となったと見せて、実は裏がちゃんとあって清いまま、ってのはあまりにも日本童貞作品っぽくて、がっかりした。
性的で経済的な大人の冗談は面白いが、恋愛関係と肉体関係に限れば、日本の童貞萌え少年漫画みたいで気持ち悪かった。


セッション(Whiplash)
主義主張よりも、主に描写の問題で賛否両論だった本作。
個人的には肯定派。
正直なところ、ある分野で先鋭化した人達ってのはあんなものだし、それを踏まえたコントに見えて、自分にはJKシモンズのキレ芸は笑える場面が多かった。
もちろん、現実にもある程度は起こりえるし、その上であってはならない事ではある。
しかし、戦争や恋愛の映画が、あくまで他人を殺し消費して得た利益礼賛であるのと同様に、本作も現実の前提を踏まえている。
単純に、映像と音楽が素晴らしい。
被写界深度や構図の意図が明確だし、意味を無視して視覚と聴覚の刺激作品としても良いし、それがありながら意味もある作品なのだから、素晴らしい。


インファナル・アフェア 無間道漠然と、韓国映画の有名どこが見たくて。
当時の盛り上がりは無視してたが、それは間違いなかった。
周囲の組織的な人間関係の崩壊は、演出や描写が素晴らしいが、なぜか主役の対峙となると、急に少年漫画になり、どこに向かっているのか、よくわからない。


ダークシティ
所所しょぼいが、ジャンル映画として素直に面白かった。
実際に大人数をつかって撮影された異様な空間、場面も存在するし、おもしろおかしく不気味な状況は、作中にあふれていて、最後の戦闘と落ちくらいだ、どうでもいいのは。
それにしても、この頃のジェニファー・コネリーはホンマ天使。


Mr.ホームズ 名探偵最後の事件
これは日本にも言えることだが、映画に限れば、EUは景色を使い放題なのが、うらやましい。
死に方にも色々あるが、天気の良い日に見晴らしの良い外で死ねるのなら、本望ではないか。


ブラックパンサー
自分は、それなりに否定派。
というか、当時は映画館で見て怒った。
シヴィル・ウォーの彼はどこいったの?
主役の内輪描写は良い。
その結果、作風が明るくなるのも良い。
しかし、父親の件が軽すぎる。
アフリカ民族に配慮してるようでいて、民族的な決め台詞ワカンダフォーエヴァーWakanda Foreverが何故英語なのか。
白人を馬鹿にする黒人。
その描写が許されるだけ時代は変わったと言いたいのか。
この程度の変化が時代の功績なのか。
黒人の求めた恩恵は、果たして白人を馬鹿にする事なのだろうか。
アフリカ系アメリカ人とアフリカ人は別人である。
環境が異なれば思想も異なる、別の人種である。
それを肌色だけで1くくりにした差別意識。
そんな場面を作るくらいなら、ファルコンをゲストにして、アフリカ系アメリカ人とアフリカ人の違いと協力を描いたほうが、よほど黒人コミュニティに貢献してのではないか。
しかし、この映画は売れた。
つまり、消費者はこれで良いと思ったのだ。
これらに、何の反発も無かった。
それが悲しい。
序盤のアクションからして、セット丸出しの森林。
見せ場の戦闘も、CG合成じゃなくCGそのもの。
死に際に見届けた故郷の景色を「美しい」という場面も、ロケじゃなく合成。
ノーランだったら、こんな事を絶対に許さなかった
見終わって最初に思ったのは、それだった。

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォーにも失望。
ルッソならデュニやノーラン的な思想を維持してくれると思っていたが、駄目だった。
この2本がシリーズ最高に売れて評価されてるが、かつてはしっかりと含んでた土台や思想を失い大金だけで成り立ってるゴミが喜ばれてるし、ルッソすら、それを目指してしまったので、もうディズニー、マーヴェルは一切見ない。


スリーピングビューティー ~禁断の悦び~
エロいがエロいだけじゃないEU映画を見たくて、17歳(Jeune et Jolie)と同時期に見た。
この手の映画は、女が女のために作った場合には、女の自我こそが全てだから、ある意味で不愉快な描写もあるのは当然だが、男が女を扱うのに、それなりに女の醜さを描けるのが、EU映画らしい気がする。
金のために脱ぐ女が本作で、金を口実にやりたがる女が17歳(Jeune et Jolie)
こちらは視覚的な美しさと行動の醜さの対比が極端。
一期一会の映画としては満足したが、個人的には17歳(Jeune et Jolie)のほうが、主演もおぼえたし、音楽も素晴らしくサントラも買った。


フローズン・タイム
SFのようでいて、私小説的な作品。
男にとって「世界秩序」と「自身の挑戦」と「女の裸」は同等である。
途中、DIOの世界を共有する人間が現れたが、一瞬のすれ違いで作中では回収されず。
肝心なのは、自身の個性を見いだした時、ある個性も幾らかの共有が可能である属性である。
男にとっての純愛であり、女の一喜一憂は商品に終わってる。
その点で、セッション(Whiplash)の方は男の恋愛と挑戦の結果として誠実。
こちらは、おとぎばなし。


イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密
映画だから仕方ないが、技術や知識の扱いや描写は貧しく、あくまで同性愛者で天才だった男の言動に終止。
キーラ・ナイトレイが彼を同性愛者と知りつつも結婚を維持する姿勢は良かった。
最近プレゼントとして人気のDNA検査 両親の思わぬ秘密がを見たが、人間の愛情は不定故に多様だが、個人的には無血縁の関係こそ愛であると考える。
無意識に甘えない覚悟が必要という点で。
ここはグリーンウッド池田光流の親子関係など、設定もだが、描写の加減が素晴らしい。
その点で、本作は最終的に同性愛が末路の理由として扱われるだけで、加減は良い。
終わり方はスリーパーズを連想した。


ヒトラー ~最期の12日間~
散々に嘘字幕で遊ばれた例のアレ。
エヴァ・ブラウンよりも原作者であるトラウデル・ユンゲ(Alexandra Maria Lara)のほうが美人なのは大人の事情か?w
TWW2がヨーロッパだけで終わってたら、あるいはドイツは戦勝国だったろうか?
戦場にいず、それなりの生活がありながら常に戦中の認識で動かねばならない生活。
思想ではなく状況だけを描いている。
あるいは作品としては不足かもしれないが、ダンケルクもそうだったが、そちらのほうが長期的に誠実なのだろう。
善悪など、当時の利害に過ぎない。
ホロコーストを否定せず、しかし、虐殺すら、あの戦争の側面に過ぎず、何を考えるかによっては情報として不要という姿勢は戦争を始めるのは誰かにも通じる。
約80年がたち、情報の断片の集合という時代故か。
本作はヒトラーを肯定も否定もせず、客観的な描写だけなので、陶酔も嫌悪もなく見やすい。
その点で、わずか1分程度ヒトラーを扱ったグランドフィナーレのほうが、ただ静かに食事をしてるだけなのに、ヨーロッパにおける認識を思い知って恐ろしかった。


エクス・マキナ
SFの性質の1つではあるが、あまりに設定や題材が人間に過ぎると、結局は比喩の意味がなく本末転倒。
本作も、結局は、自我を持つ機械ではなく男に消費される女の話に過ぎない。
それなら、女が女のために女を描くほうが良いのでは。
それも、アナと雪の女王のような持続しない局所の甘えた流行などではなく、カルバニア物語のように本性を自覚した上で、それを周囲に要求せずに活用する強さを学ぶ、決める作品として。
Alicia Vikanderソノヤ・ミズノも脱いでるのはえらい。


A.I. Artificial Intelligence
全く今更ではあるが、超未来の設定や展開の説明を聞いて、興味をもって見た。
つまり、最後の彼らは、観客には宇宙人と認識されるが、そうではなくAI子孫であるという点。
彼らの登場、映像的には良かったが、意味的にはパンズ・ラビリンスと変わらない。
結局は、我々(現代)人類が理解できない新しい価値観の提示や挑戦ではなく、古典的な孤児の話。


私がクマにキレた理由
スカヨハとキャプテンアメリカって先にこれで共演していたのか。


ドニー・ダーコ
若い頃のマギー・ギレンホールってちゃんとかわいかったんだな。
過剰な装飾描写があるが、ウォールフラワーの取り戻せぬ失敗を取り戻した結果が本作。
思ってた以上に素直な純愛ものだった。
この動機こそが受ける理由だが、個人的には、感情と超常現象は無関係であるランゴリアーズのような扱いのほうが好み。
それを本作でやったら、そもそも、こじらせ作品にならないのだが。


息を止めて
2015年チェコ映画。
すげえ地味で、何の落ちも無い。
それだけに、女の人生という点でエクス・マキナフローズン・タイムよりも誠実で、納得できる。
旦那の扱いが謎で、不安定な職業への批判が無く、関係の問題は対面の認識と言動にあるだけ。
悲劇ではないが娯楽の救済は無い。
しかし、序盤で判断して最後まで見続けられたのなら、この作品の価値観自体に反発は無いはず。
商業的には成功しようがないが、社会的に必要である類。
鑑定士と顔のない依頼人MONSTERでは終盤チェコだが、チェコ自体の隠喩があるのだろうか。
花言葉のような「平坦な終末」みたいな。
個人的にはCzech Streetsのせいで路上の素人売春が活発な国という認識が強い。
実態は知らん。
Katerina 6682が最高。


悪魔の手毬唄八つ墓村犬神家の一族
日本の古いロケ映画を見たくて。
古いと言っても、当時からして失いつつある懐古を装飾して拾うのが目的の作品であるが。
正直、事件やトリック等はどうでもよく、フィルムとロケと音楽の環境映像的に見たし、それだけで充分に楽しめた。
特に八つ墓村村に森林に洞窟と選り取り見取り。
宮崎駿が目指した一部がここにある。
これらや沈黙などを見るに、9割ロケ実写もののけ姫を見たくなる。


犬ヶ島 (字幕版)
今年1番の映画。
物語自体は平凡。
明るき新世代が暗き旧世代を倒す。
それだけ。

しかし、あらゆる描写が微入細穿。
合成で良い背景すら被写体と同じコマで動かしてる。
KUBO/クボ 二本の弦の秘密もそうだったが、ストップモーションはCG一般化にあえて反発するために、合成せず被写体だけじゃなく背景まで動かしていく。
この場合の動きは、座標という意味で。
かつて、映画技法で、背景をスクロールさせて被写体は移動させずに撮影してた時代もあった。
その歴史にすら挑んで、被写体を移動させて、背景も同じコマだけ動かしていく、作っていく馬鹿げた情熱と技術。
それを、本作も実現している。
そして、視覚的な娯楽性を維持しながら、登場人物の言動も地に足がついたもの。
世界を守る戦いに挑もうとする娘に婆が「私の興味は今あなたが(夜に騒いでないで)寝るかどうか」というやりとりを場面のつなぎでしれっといれる演出。
結果的にハッピーエンドだが、内容は観客の誰でもわかりながら演出の意図と作品の展開が不明なままに、しっかりと本筋の深刻さを維持し続けてる。
日本を正しく誤解している素晴らしい。


The Wizard of Lies
2008年12月11日に詐欺罪でFBIに逮捕されたバーナード・ローレンス・マドフ
バーナード・マドフ事件 アメリカ巨大金融詐欺の全容
金融詐欺に限らず、事情を知らずに巻き込まれた家族やらは災難。
と同様に、経済的な恩恵をうけながら犯罪が露呈した途端に彼を責めるだけの存在になってる元家族もゴミ。
映画的の登場人物なら貫徹すべきだが、もう連絡しないと言いながら間もなく電話をかけるあたり、現実的である。


ウラニャ
1969年ギリシャ舞台の映画(2006年)。
ウラニャ自体は最初と最後に、契機として存在するだけ。
それにしても、売春が差別の対象でなく、人格でしっかり受け入れられてる大人の女すら、男が相手をしなくなる歳と顔になったらどうするのだろうか、メタを考えながら見ていた。
年齢的にも精神的にも少年と付き合うつもりないのに母性と女性の肉体と態度でとことん少年を肯定するChristina Mantesiは素晴らしいクソ女。
少年でなくとも、そら惚れるわ。
舞台設定はともかく、映画自体は2006年なのに、10代前半の子供に早々と童貞を捨てさせる娼婦、時代と田舎の両方の要素を切り捨てず、環境と世代と性別を過不足なく描く。


アルファハウス
共和党の上院議員4人のコメディ。
ハウスオブカードほどの野心はなく、ホワイトハウスほどの理想もなく、現実の職業なら、この程度の認識でこの程度でやっちゃうよね、というのを笑いにしてる。
個人的には面白かったが、s4で終わったところを見ると、アメリカでも人気を維持できなかったのだろうか。


弁護士ビリー・マクブライド(Goliath)
David E. Kelleyの新作。
1話完結のコメディかと思ったら、1シーズンで1話の長編。
かつ、The PracticeTHE GUARDIANの乗りだった。
つまり、重い。
Maria Belloを久しぶりに見た。
ERに出てた時は1998年。
日本では田中敦子が吹き替えてたのもあって、顔よし声よし、おいしいキャラだったのに。
すぐにドラマを捨てて映画に行った結果、すぐ下火に。
今回は疲れた女として凄くエロいし、立場も奇麗でおいしい。
Lie to MeKelli Williamsも、The Practiceの頃よりエロかったが、疲れて思い上がらずにちゃんと生きてる女が良いという話。
設定だけの売春婦かと思いきや、それなりに裸も見せて、それが展開的には重く、主役勢の破綻に繋がってる。
作品としては誠実で良いが、こういう事をしてたら売れないだろうなと。
s2で問題なく仲直りして台無しにしてたが。


The Looming Tower
FBIとCIAの喧嘩で2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ事件を防げなかった倒壊する巨塔のドラマ化。
主演は、すっかり重くて気難しいおっさんばかりのJeff Daniels
ニュースルームでも主演だったが、本作も最初は内容を知らずに彼を目当てに見た。
原作は、前半が中東の事情、ザワヒリとビンラディンのテロに至った経緯、後半がアメリカの事情なのだが、ドラマでは後半のアメリカ事情が中心で、中東の主要人物を描かずに、末端の状況と悲惨さに終止。
完全にアメリカの主観的に描いているが、アメリカ正義とは描いていない。
そこに本作の誠実さと時代性がある。
故に、日本在住の日本人が見るぶんには、原作を買って読むほどに素晴らしい内容であったが、アメリカでは否定派のほうが多いのではないか。
そんな気がした。


ハウス・オブ・サダム
日本にとっても悪的だが、結局は生まれた環境に適応したら、こうせざるをえない事もある。
しかし、息子の1人は典型的なドラ息子で、個人としても国としてもままならぬ中で、こんなゴミが出てきてしまうのかと。
銃も打撃もないが、権威など状況的に女が抵抗しようがないトイレでのセックスとか、資本主義的にどこでも起こりえるが、それにしても。
アラーを叫ぶのに、どこまで意味があるのだろうか。
結局のところは生活環境の改善こそが解決であり、不遇の怒りであり神は無関係である。
末端の盲信は充分にあろうが、サピエンス全史にもあったが、結局は大量の男が死ぬための口実に、そこまで必要なのか。
そういえば、The Looming Towerでは突撃前の末端に女を与えていた。
生き抜いた私 サダム・フセインに蹂躙され続けた30年間の告白に関しては言うほど拾わず。
ちょっと白人の美人がいた程度。


ザ・ガールズ(Deeper)
所謂デートレイプ被害者の復讐もの。
アメリカじゃなくカナダ作品のせいか、復讐の暴力性に娯楽性を含ませずに、馬鹿げて狂った状況として扱ってる。
最初に複数の女が状況説明で脱ぐが、肝心の主演が脱がない。
出演者の態度がその程度なら、結局は告発の行方ドッグヴィルほどの一部の男には娯楽になってしまう不愉快で深刻な問題など扱える筈もない。


IT/イット “それ”が見えたら、終わり。(字幕版)
1990年を見た時には、ペニーワイズの正体に笑ってしまった。
個人的には、ランゴリアーズほど思い入れが無いので、それだけに素直に楽しめた。
Sophia Lillisのヒロイン感が良い。
ベンの初対面であんな対応されたら、そら惚れるわ。
それに、彼女が1人の時の、雑なベッドの座りかたなんかも、男を意識してるかどうかの描写も細かい。
物語として起承転結はついてるが、実は根本的に抱えてる個人の問題は何1つ解決していないという。


マザー! (字幕版)
がっかり映画。
ホラーとして、どれだけ恐ろしいのか。
あるいは、どんな発想で勝負したサブカル作品なのか。
ネタバレを避けて見た結果は、最初の異質さだけの出落ち映画だった。
最初は建築物や状況が、人物の状態などの比喩だったが、結局は当事者の状況が明らかな異常になって、序盤の時間が結果的に無駄だった。
終盤のめまぐるしい展開は、視覚効果として楽しかった。
しかし、見終わって何かを得るような含蓄も何も無い。


スノーピアサー(字幕版)
設定は面白かった。
謎に「日本語で万歳万歳」とか寿司蘊蓄とか。
設定はSFだが、食事や教育などの異質さ、境遇はちゃんと深刻に見えた。
しかし、終盤は解決のために、それなりに維持してた深刻さも無意味なった。
ニュースルームのマギーが出てきたのは不意打ちで笑った。


哭声/コクソン(字幕版)
田舎、宗教、ホラー。
いずれの要素も仕上がっていて面白かった。
しかし、1点だけ気になったのは、結局これ日本人が悪魔というつもりなのだろうか。
それとも、あくまで異人種程度のものなのか。
國村隼の扱いも演技も素晴らしいが、日本人、日本語を使う意図に悪意があるように見えるが。


疑惑のチャンピオン(字幕版)
厳しい練習も、違法薬物も、肉体的時間的なリスクを抱えてるのは変わらない。
ならば、ドーピングだって1つの手段として同等ではないか。
実にアメリカ的な考えかと。
疾走の映像的描写も充分。


No Stone Unturned
1994年6月18日アイルランドの田舎で起きた銃乱射事件。
この事件単体でも恐ろしいのだが、その背景には、UKとIRAの紛争があった。
当時のアイルランドの映像や写真も見られるが、IRA関係は歴史的な情報としては認識していたが、ここまで地獄だったとは。
MASTERキートンでもIRA問題は相当に扱われていたが、これを読んでただけじゃ全くわからなかった。


モンスターズ/地球外生命体(字幕版)
異人種、異文化もちゃんと扱ってる映画。
SF要素も言われるほどに雑ではないし、最後は結局、人間とは相容れないが異質な存在だが悪ではない。
どちらかと言えば、動物の習性に過ぎない。
2人の恋愛は駆け足でゴリ押しだが、最後はしっかりロマンチックだった。


ザ・ドア ‐交差する世界‐(字幕版)
SF的には設定が出落ちだが、娘の喪失やら選択やら、物語は重い。


L.A.ジョーンズ (字幕版)
売春を明確な職業意識を持って健康と自衛を含んで健全に描いている。
主演のBrittney Powellが良い。


ブルージャスミン(字幕版)ウディ・アレンの作品。
こじれた女の末路をうまく描いてると聞いて、見た。
結婚できない男女は幾らでもいるが、経済的(社会的)合理じゃない思い込みで結婚できない、しないのは時代か。


潜入!カナダの一夫多妻制
モルモン教の集団生活、主に一夫多妻の生活を描いたドキュメンタリ。
宗教の強さは、当時を最優先しながら世代をまたいで継続する事にあるが、その点で、それ自体は悪くないが、結局はオスやメスなど単純化した帰属に甘えたい人間が集まり、こういった小集団は統計的にありえる犯罪、性的問題が露出しやすいのか。
個人的には、こういった小集団の村的な社会は肯定派だが。


アノマリサ
中年の自我とセックス。
最初、登場人物の全員が同じ声、しかも男が女もやってる無茶で、低予算のサブカル映画だからかと思ったが、主役から見た無個性の演出だった。
前提を知らずに見たので、SFホラー的な描写などもあって地味なのに先が読めなかった点で面白かった。
あと、女がよりかかりに後頭部をぶつけたり、ぎこちないセックス描写が凄く細かくて笑った。
アノマリサは、日本の女神と言われてたが、恐らく天照大神だろう。
事後の翌朝、男から見て、女の後ろから太陽の逆行で顔が見えない演出もあったし。



面白いかと言われると、意味的には面白くないが、ロケやエキストラやらの環境映像的には良い。


226
漠然と、五社英雄の映画を見たくて。
犬狼伝説の元ネタの1つ。
実質はどうあれ、名目は思想ありきの事件なのに、最後はやたらと妻、女との関係が強調されていた。


トライアングル
出落ち映画ではあるが、SFホラー的なネタに反して、主役の動機と行動がドラマ的にまともで、スティーブンキング的に楽しめた。
ただし、このジャンル的にヒロインが脱がなかったのだけが不満。


リュミエール
1895年から1905年の映像。
基本的には環境映像なのだが、明らかな芝居でない映像にも演出がされていて、録画の初期から、純粋な録画ではなく演劇的な意図が強く介在していたのに驚いた。
当時こそ録画が珍しく、誰もがカメラに注目してる。
今はカメラが乱立していて、無視が容易な環境の異常さを思い知る。
しかし、世界の何かを垣間みる映像の内容が、それほど今と変わらない点で、技術ほど文化の変化は激しくないのが面白い。


ハロウィン
当然、存在は知っていたが見た事がなかった。
フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたことをやっていたらパロが指摘されていたので、良い機会なので、今更初見。
感想はこちらに書いた。


マジック・イン・ムーンライト
最後、姿を見せずに、降霊術の音を聞いてニヤリと笑って終わりのほうがロマンチックだった。


打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? - New Color Grading -
ドラマとしては何も面白くないが、当時の奥菜恵が最高。


刻刻
序盤はホラー的に謎状況で面白かったが、中盤は戦闘ものになってしまった。
時間の概念がランゴリアーズと同じ。
というか、超能力の有無や扱いかたも似てるので、元ネタだろうか?
過剰に好かれようとしない登場人物が多いので、エンディングがやたらと女2人の性的なのは反動か。


RDG
題材は面白いのに、世代や歴史が頭悪い子供の増長の餌に終わってる。
もっと文化とか社会とか世界の中で、個人の範疇におさまらない特権的な人間の生き様を見せてほしかった。


ハクメイとミコチ
乗りはほのぼのであっても、頭の悪い登場人物がいない。
出来ない子供を見るほのぼの紛いではなく、淡々とした自立を視覚的に装飾しながら見せるほのぼの。
願い事が叶う鳥に乗り、その願いが「そこでおろしてくれ」で終わる価値観。
娯楽作品としてのまとめはあれど、カウボーイビバップのように、登場人物の中心的な描写と、登場人物は世界の断片にすぎない線引きを区別、両立している。
前提が、極めて大人。
エンディングも、各話の内容を反映させた毎回少し異なる演出で芸が細かい。そういうところもカウボーイビバップと同類。
ED曲も素晴らしく、歌詞が恋愛や自我の増長を全く歌っていない。
場所や環境に対する人間、民謡的。
ココロ図書館を思い出した。

漫画のコマ割的なカットが残念。
そういう演出は、時間が短い、意味よりも刺激を優先した作品でやる事で、その世界や人物を実在的に認識して見る物語がある作品でやってはならない。
ジョジョもそうだが、尺稼ぎと手抜きを両立するための現実的な手段だったのだろうが。

それから、料理の場面がくどい。
材料や調理をいちいち説明しなくて良い。
「それ取って」とかちょっとした言葉に少し名詞があり、それが何かわかれば良い。

生活環境をしっかり描いていて最高に面白いが、それだけに小人や虫の意味が無くなってる。
どうして人間の体に最適化されてる扉を、虫も家で使っているのか?
どうして、いたちが草履をはいているのか。
人生の断片という意味においては素晴らしく面白いが、人間には理解できない人間の前提と異なる異種族の常識は全く描けていない。


フリクリ
後先を考えていない若者の増長。
自分が若くても、これを面白いとは思わなかっただろう。
作品の評価よりも、作品に関係する自分(提供者と消費者)の自己陶酔のほうが目立って、見ていられない。
終わり方は良かった。


ちおちゃんの通学路
ディーふらぐ的で面白かった。
つまり、作者が萌えには興味がなく、萌えを媒介にして別のネタをやる。
竹刀教師と委員女の関係も、ベタベタではあるが、全体的にコントの作品なのに、竹刀教師はそのコントに乗らない、作者が立場や関係に明確な線引きをしていて、登場人物と内容の多様性を維持している。
その線引きがあるからこそ、萌え以外の視聴者にとって見やすい。


世紀末オカルト学院
宇宙人と悪魔は性質が異なる。
前者は具体的な存在で、後者は抽象的な概念なのだが、それが併存していて、作品世界の現実感がよくわからない。
親友の父親との話は素晴らしかった。
ヒロインのトラウマの扱いは丁寧でちゃんと重い。
それなのに、別件の臨死救助の話は、人が死にかけてるのにふざけた言動が多く、作品の乗り、意図がよくわからなかった。