漠然と1950年代の映画に興味をもって色々と見始めた結果、彼女を知った。
その後に、彼女に関する情報を見ていたら、なんと2019年に写真集を発売していた。
宮崎駿が描くヒロイン像は大ファンだった芦川いづみが原点という記事は、彼女を知ったあとに読んだのだが、なるほど、実に納得がいくものだった。
漠然と1950年代の映画に興味をもって色々と見始めた結果、彼女を知った。
その後に、彼女に関する情報を見ていたら、なんと2019年に写真集を発売していた。
宮崎駿が描くヒロイン像は大ファンだった芦川いづみが原点という記事は、彼女を知ったあとに読んだのだが、なるほど、実に納得がいくものだった。
江戸川乱歩の全集1を読んでいて、大正14年5月の作品「幽霊」の中で漢字の他はカタカナで書かれていて読みづらかったという表現があった。
戦後1947年(昭和22年)からひらがな教育が開始という情報が簡単に見つかるが、自分が疑問に思った前述の小説は大正14年の作品である。
どうも明治10年代以降にひらがなが主流になりだしたらしいが、具体的な文章の比較は見当たらなかった。
前頭前野に有効な事。音読と、数字を数える。
2004年だかの実験。ビデオゲームは視覚野や運動野は活発になるが、意味や連続性を考える前頭前野は反応しない。
1桁の加算は、暗記していても計算するように脳が反応する。むしろ、複雑な計算や行動ほど、暗記すると計算(思考)をともなわない。
1962年のセイラム魔女裁判の記録をまとめた少女たちの魔女狩り マサチューセッツの冤罪事件の関連書籍として提示された小説。
しかし、内容はよくある青春幻想で、たいしたものではなかった。
この美少女の表紙が収穫。
三体
近年最大のSF小説の盛り上がりを見せた三体。
人類の歴史上4次元空間に接触する人間がいて、歴史の転換に関わっていた、あるいはその奇跡を生かせず関われなかった事が断片とはいえ描かれてる。また、4次元空間に慣れてしまうと、3次元空間に対して閉所恐怖症となるのは面白い着眼。
暗黒森林という価値観の提示。宇宙が有限である限り、善意も悪意も違いに判断のしようがなく、互いに存在を予想しながら音信不通でいるのが高度文明の常識。
地球人類だけじゃなく、地球人類にとって脅威である筈の三体人類が直面する脅威も描かれている。彼らが地球侵攻の前の実験で高次元生物に遭遇して右往左往する場面は笑った。
地球と宇宙では心身ともに人体の状態は異なる。宇宙にいる間、地上の倫理など全く無意味だし、地球に踏みとどまる以上は宇宙生物(生活)の価値観は理解不能。
凡人、大衆がいかに愚かで容易な掌返しで人類に何も貢献しないか描かれている。
女がとにかく気持ち悪い。誰も彼も美人で学歴的な能力はあるが、肝心な事は男の判断と行動と存在に依存してるだけ。
面壁者という発想は面白いが、敵の対抗策が特撮ものやアニメのような悪の組織幹部みたいな対立で馬鹿らしい。
どこまで意図したものか不明だが、ところどころ子供向けのアニメや特撮のような幼い対立構造や言動が短絡的。
巻末の解説で、作者は新海誠を好きだと書いてあって、女の気持ち悪さに納得した。
日本の大地像という本がある。これは主に戦国時代から江戸時代にかけてキリスト教から伝わった「世界の形は地球」という情報が日本でどう扱われたか、神道(両部)と仏教の対比を中心に書いた本である。
その中で、仏教徒の1例として昭儀坊了意が「仏教の須弥山など愚昧に対する責道具(拷問の道具=方便)に過ぎず、西洋の地球が正しい」と言った主旨を書き残してると本書で例示されていて、しかも、それが有名な浅井了意だという。
そこで、彼(浅井了意)に興味を持って現代語訳の伽婢子(仮名草子)を読んだ。
伽婢子の中に黄金100両という話がある。そこに臣としては君を滅ぼすことを謀り、君としては臣をペテンにかけ
と書いてあって、それにひっかかった。
ペテン?
現代語訳とはいえ、江戸時代におけるペテンという言葉の違和感。
モーニングページなどで毎日1頁以上は消費しているノートを、A4からB5に変更。
また、主要の筆記具をボールペンをやめてピグマやステッドラなど0.1mmの水性ペンに変更。
焦点をぼかして、左右2重の文字をそれぞれ順番に見る。
理由は不明だが、両目で焦点を合わせて読むより、頭を使ってる感覚がある。
また、片目を閉じたり覆うと同じ効果(感覚)は得られない。
Macに常備されてる画面内の色を測定するソフト。存在を知らなかったが、超便利。
実際の楽譜の解釈とは異なるが、ピアノロール的な実音的を維持しながら、楽譜を作れる。連符、装飾音符などに利用。