2021年11月28日日曜日

浅井了意とペテン

はじめに

日本の大地像という本がある。これは主に戦国時代から江戸時代にかけてキリスト教から伝わった「世界の形は地球」という情報が日本でどう扱われたか、神道(両部)と仏教の対比を中心に書いた本である。

その中で、仏教徒の1例として昭儀坊了意「仏教の須弥山など愚昧に対する責道具(拷問の道具=方便)に過ぎず、西洋の地球が正しい」と言った主旨を書き残してると本書で例示されていて、しかも、それが有名な浅井了意だという。

そこで、彼(浅井了意)に興味を持って現代語訳の伽婢子(仮名草子)を読んだ。

本題

伽婢子の中に黄金100両という話がある。そこに臣としては君を滅ぼすことを謀り、君としては臣をペテンにかけと書いてあって、それにひっかかった。

ペテン?

現代語訳とはいえ、江戸時代におけるペテンという言葉の違和感。


そこで、まず日本国語大辞典でペテンを調べた。すると、西洋道中膝栗毛(1870年)、富士額男女繁山(1877年)、夏目漱石(1867年2月9日 - 1916年12月9日)が紹介されていたが、いずれも明治の例であり、伽婢子(1666年)とは200年の隔たりがある。

自分は古文の類は読めないが、あるいは異なる仮名草子だろうと、とにかく比較したいと思い原文を読めないかと探したら、簡単に見つかった。浅井了意 伽婢子が大学の公共資料として公開されていた。

そこには臣としては君を謀り、君としては臣をそむけと書いてあり、つまり「そむけ(背け)」が「ペテン」に現代語訳されていた、とわかった。

おわりに

自分から現代語訳を読んでおきながら、現代語に違和感があるというのだから本末転倒であるが、ちゃんと情報の差異を確認できて良かった。