2021年5月16日日曜日

楽譜が絵画や文章より難しい理由

文章や絵画は帰納。

同じく、音楽における歌唱や演奏やピアノロール(DAW)は帰納が可能。

しかし、楽譜は演繹。

文章や絵画は、単語や線など、何も考えずに羅列した結果として完成させる事が出来る。構想から逆算(演繹)も可能。

歌唱や演奏も、音程も音価も全く考えず、あるいは偶然の結果として任意時間内の音楽として認知が可能。

つまり、これらは帰納と演繹の両方に対応が可能。

しかし、楽譜はそうはいかない。音程や音価と同時に分解能を定義して、無意識の情報も含めて自覚して意図して整理し提示しなければならない。楽譜に解釈は可能であっても誤解は許されない。その点では数学とも同じで、音楽内での演奏と楽譜というのは、帰納と演繹という点では原理上まったく真逆のものである。

DAWのピアノロールが容易なのも同じ理由で、音符1つ1つを入力した上で、それらの修正も容易。

楽譜は、まず調と拍を決めて、更にそれに対する音程と音価を決めないと書けない。16分音符を4個書いた後に、実はそれは全音符だった、という事が出来ない。

無論、消しゴムやパソコンでの編集は物理的に可能だ。しかし、入力前の理解と把握が、演奏やピアノロールに対して楽譜は扱う要素が多すぎる。

ある対象に異なる方法を両立するからこそ、より強く応用が可能だとも言えるが、楽譜の利鈍や難易度に関して基本的には経験(根性論)でしか扱われないので、それに対してふと考えついたのが以上である。