KompleteおよびKontaktで利用してるPICKED ACOUSTICの特定の音色Standard StrumのA,Bパターンだけ音が鳴らなくなった。C,Dは問題ない。また、音は鳴らないが、トリガーが反応してるのは確認。
原因はテンポ。BPM=65未満では音が鳴らない音色またはパターンがある。
ループ的な音源で、特定のトリガーパターンだけ鳴らなくなった場合にはある以上または以下のテンポに非対応の場合があるので、試してみると解決するかもしれない。
KompleteおよびKontaktで利用してるPICKED ACOUSTICの特定の音色Standard StrumのA,Bパターンだけ音が鳴らなくなった。C,Dは問題ない。また、音は鳴らないが、トリガーが反応してるのは確認。
原因はテンポ。BPM=65未満では音が鳴らない音色またはパターンがある。
ループ的な音源で、特定のトリガーパターンだけ鳴らなくなった場合にはある以上または以下のテンポに非対応の場合があるので、試してみると解決するかもしれない。
自分は海皇紀という漫画の影響で帆船を好きになり、アメリカスカップの動画を見るようになったり、帆船用語を覚えたり、帆船的な意味で大航海時代やカリブの海賊などに興味を持ってアサシンクリード4を夢中で遊んだ。
さて、そこでクリストファーノーランのテネットである。
帆船とは全く別件で、フォロウィング以前の自主短編も見ている程度には彼のファンであり、その彼の作品でアメリカスカップで走るようなレース用のヨットが走る場面があって興奮した。
その中で、タッキングとウェアリングという用語が出てくる。
よく誤解されるが、帆船は風を後ろからうけて風下に走るだけではなく、ある程度の角度まで風上に向かって走れる。
むしろ最近のレースヨットは風上に走ったほうが速い場合すらある。
そこで、風をうける角度を右前から左前(または左前から右前)に変更するための舵と帆の変更動作をタッキング(上手回し)と言い、風をうける角度を右後から左後(または左後から右後)に変更する動作をウェアリング(下手回し)と言う。
難易度はタッキングのほうが高い。何故なら、風上から風上に舵を切るので、失敗すると減速したり停止してしまう。
ウェアリングは、失敗しても風下から風下に走っているので、風に押され続けてるという点で停止はしない。
そこで、テネットにおけるタッキングとウェアリングについて疑問に思った箇所がある。
主役が落水した人を助けるために、ヒロインにウェアリングを指示する。しかし、ヒロインは「無理」だと答える。
落水した人物はヒロインが突き落としたので、単純に「だが断る」という意思表示だと理解できる。だが、主役は「大丈夫だやれる」と言った難易度や実行力に言及して、実際にウェアリングを実行して落水者を助ける。
先述の通り、ウェアリングはタッキングより簡単である。そして、この場面の前でタッキングを平然とやってる描写がある。
もしヒロインが助けたくないという意思表示なら主役の続くセリフや行動は繋がらないし、もしヒロインが自分には難易度が高いという意味の返答なら、それはタッキングであるべきでウェアリングではありえない。
自分は当時映画館でこれを見てから、この意味についてずっと考えてた。
最近になって、この矛盾に関して、映画の意味的にすっきりする事を考えついた。
タッキングとは風上から風上に向かって走る方法。つまり逆行である。
ウェアリングは風下から風下に向かって走る方法。つまり順行、どころか流されるままである。
本作は時間の矢を存分に扱った作品だが、ヒロインの人生観が、流されるままに絶望して自由(逆行)を求める立場だ。
つまり、作品全体の題材である逆行と、彼女の立場と、大小両方の意味で順風に従わない、逆らう、というのが作品の核の補強になっていたのだな、という妄想に近い自説。
ノーランと帆船の両方好きとして、この2つを合わせた論や感想が全く見られなかったのが寂しく、思いついた事を書いた。
ノーランヴァリエーションという彼の作品と言動をまとめた本では、最新の帆船(高速ヨット)は水面から浮いて走る事に言及されてるなど、彼の扱う舞台装置の興味の程度や範囲も知られる。
なお、最近の帆船事情と言えば、主に運送のエネルギー問題に対してあえて帆船にするという試みもある。
自分は125mm*75mm(5*3)の情報カードを愛用しているが、以下のような雑記や文字や絵画に対する方眼や罫線があっても、音楽用の5線紙が無い。
そこで、最前の画像のような音楽5線紙の情報カードを作成してほしい。
理想は4段。もし5線の幅に限界があれば3段でも構わない。
100枚で500円程度でどうだろうか?
まさかの「VHS」復権…?渋谷のTSUTAYAが「ビデオコーナー」を拡充したワケ
渋谷ツタヤがVHSを充実されてると聞いて、もしかしたらとランゴリアーズVHS版を探してみたが、残念ながら取り扱ってないと言われた。
MacでPDFを印刷したら、以下の写真の右側のように黒塗りになったものが出力された。
何度やっても同じで、黒塗りの面積や左右のノイズっぽいものも同じなので、歪んだまま正しく印刷されてるのがわかった。
解決方法は2種類
最初はPDFのバージョンや各ソフトウェアのバージョンやプリンタが古い(LBP6200)からだと予想していたが、どうやらQuartzの不具合のようである。
スティーブンキングが1990年に書いた小説ランゴリアーズ。1995年に映像化されて、自分はそれが大好きなのだが、NHKで放送されたものしか知らず、発売されてるDVDもまたNHK版である。
しかし、当時VHS版が発売されており、そちらの盲目幼女は坂本真綾が吹き替えをやっている。
残念ながらDVDに両方の吹き替えが収録される事はなかった。
いちおう、現在でもVHS版は残っており商品として売られているが、そもそも現在においてVHS自体が骨董品であり、その上に作品がマイナなのでプレミア価格で扱われている。
流石に吹き替えのために1万円も出す気にはなれない。
しかし、坂本真綾の仕事という意味では、1996年のエスカフローネで有名になる前の仕事でもあり、興味はある。
そこで、坂本真綾信者が金をつのって購入して上映会をするというのはどうだろうか?
彼女の様々は売り上げは時代とともに落ちてはいるが、それでも個人名義のライブを維持できる程度には固定客がいるし、なんのかんのと声優としてもおいしい役も得続けている。
その割にはこういった商品やネタの話が出回らない。
最近読んだ(読んでる)本に以下がある。
1956年にコンテナ一般化が始まり、世界の流通が激変したコンテナ物語。
昭和56年におこなわれた、音楽的な特権を持った2人の知識や思想が語られた小澤征爾と武満徹の対談。
幻肢の治療から人類の生理的な謎や限界を問う脳のなかの幽霊。
いずれも、10年以上昔に出版されたもので、今更読んだ身として、これまでの10年を踏まえて、これからの10年には有効だろう知識や思想があった。
さて、そこでふと思う。インターネットの流通や娯楽を支配しているGAFAから、それだけ価値のある商品、情報を得た事がここ数年であっただろうか?
例えば、世界各地のニュース的な映像など、確かに代替不能の情報もあるが、1年を振り返り、あるいは10年を振り返った時に、GAFAのサービスで自分の人生を決定的に好転させた事があっただろうか?と考えるに、皆無ではないが、1年に数冊はあるだろう有益な本に比べて、明らかに不足している。
へたをしたら、何十年、何百年と昔の情報のほうが、GAFAに勝ってる事などざらにある。電子書籍は利用していないし、利用しなくても成り立ってる時点で、自分の場合は全く恩恵が無い。
本が素晴らしいというよりも、世界最大の大金で世界制覇を目論む、あるいは一部は既に果たしてる大企業の仕事が、実はそれほど利用者の人生に有益ではない、どころか化石のような媒体に劣る、ここ数年で実感する。
良かった事。
追記:2h27m56sの箇所は、以下に指摘されてる部分がまさしく該当箇所。
予想していたが、ほとんど原作は無関係で、あくまで原作に触発されたヨハンヨハンソンのコンセプトアルバムという体裁。
16mmフィルム撮影と宣伝されていたが、ヨハンヨハンソンが気ままに撮影したホームビデオ的な映像を予想していたが、撮影はプロがやっている。
原作は1930年に書かれた小説。当時からは予想に過ぎないが、第二次世界大戦的な世界戦争の再燃と、付随するヨーロッパの小競りあいから、アメリカと中国が2大国家となり、米中の統合で人類は地球連邦となる。その後、地球上のエネルギー枯渇により人類の戦争が再燃し、新発見された新エネルギーの暴発により人類はほぼ死滅。残ったわずかな人類が最終的には宇宙に飛び立ち、海王星に定着するも、太陽系自体の消滅が避けられないと判明し、20億年間の人類の反省が始まる。
映画は、現人類から地球連邦が生まれ絶滅寸前で宇宙にまでいく、といった話や設定は全く扱われない。原作の中盤以降の会話の断片だけが引用されている。
そういう意味では原作を未読でも全く問題ないが、原作を読んでおくと、何を省略したのか前提がわかるので、ひたすら風景映像と小説の引用が繰り返されるのを混乱せずに見られる。
本作を見る観客は、原作かヨハンヨハンソンのどちらかは既知だろうから、そういう意味で大衆娯楽ではないと既知で見に行くだろう。しかし、もしも原作も彼も知らないのならば、こういう見方をすれば混乱や退屈せずに済むのではないか。つまり、ある程度の価値観を共有可能な時間差しか無い過去の人類が作成した現存する物体を見ても、我々にはその形や意味がわからない。たかだか数10年でそういった隔たりがあるのなら、20億年という数字なぞ無意味で、20億年後からの交信もまた等しいのではないか。
本作は、結局のところ価値観を問う映画であり、普段から見かけるたわいない風景や物から歴史や文化や発想を見出せる人には凄く面白い。逆に、全て御膳立てされた商品にしか価値を見出せない消費者には全く向かない。
残念だったのは、オデッサという音響システムを活かしきれてない点。本編のミックスはほぼステレオで正面からしか音が聞こえなかった。もともと環境音と音楽の融合を目指してるところもあるのに、それが定位という点で棲み分けがなく、左右と背後にあるスピーカーが開店休業だった。
フランスの古代ローマ劇場でおこなわれたハンスジマーのライブを観に行った時、曲自体は穴埋めの退屈な時間だった箇所も、天井が無い石造りの古代ローマ劇場故に、演奏に触発されて周囲の鳥が飛び交い、鳥の泣き声が演奏場所とは違う箇所から共鳴するような、意図せぬ面白い演出、経験が出来た。
この映画を見ながら思ったのは、ヨハンヨハンソンが目指したのも、そういった事が1つあったのではないかと。
自分が映画を見た時には、作品の前提や乗りについていけなくて開始10分くらいで帰る観客が3人くらいいた。せめて音響面でも工夫していたら、生理的な退屈は避けられたのではなかろうか。そもそも作曲家が監督した映画なのだから、音響面でもっと凝って欲しかった。
本作の映像は白黒とはいえ充分に綺麗だし、白黒ゆえに粗がわかりにくい恩恵もあるが、プロが撮影したちゃんとした環境映像だっただけに、これIMAX撮影してフルカラーIMAXだったら、少なくとも視覚効果としては誰でも楽しめる映像になっていたのではないか、と残念にも思う。
ヨハンヨハンソンはドゥニヴィルヌーブと組む仕事が多かったが、ドゥニは暗いとか重いとかわかりにくいとか言われて大作をまかされるわりにノーランほど一般受けはしていない。しかし、今回のヨハンの映画を見て、ドゥニなんて物語や展開や設定はちゃんと作中で明らかにして説明してるし、充分に観客にすりよってるやんけ、としか思えなかった。
EQ調整がオーディオの位相にどのように影響するかがわかる「Show Extra Curves」
1)右上の設定ボタンで設定画面を呼び出す。
2)設定画面のEQを選択してShow Extra Curvesにチェックマークをオンにする。