2021年8月2日月曜日

FGO 6周年の坂本真綾のライブが豪華で素晴らしく、そして悲しく残念だった事

良かった事。

  1. 楽器編成が豪華。パイプオルガンと4422のストリングス。
  2. FGOには全く興味がなく、坂本真綾の歌と伴奏という観点だけで聞いて評価すると3曲目の「躍動」が良かった。その理由は、音の隙間がちゃんと作られていて、楽器編成上の入れ替わり立ち替わりが明確で弦上2声だけじゃなく下2声への配慮が編曲と演奏ともに丁寧だったから。具体的な箇所としては2h27m56sなど。
  3. 3曲とも、シングル版とは違い無茶苦茶な音質加工がされていないので、耳や頭が痛くなる難聴量産兵器のシングル版とは雲泥の差で聴きやすかった。編成の違いはあれど、今回の生演奏的な指向でシングルがしっかり作られていたら、3曲とも素直に好きになっていただろう。作品ごとに好き嫌いはあれど、坂本真綾の地力には何の疑いもないので。

追記:2h27m56sの箇所は、以下に指摘されてる部分がまさしく該当箇所。

『躍動』の2コーラス目Bメロの「指で何度も触れた星座」で、カメラワークが1st,2ndバイオリンを横から抜いてる場面。揃って弓を上に抜くカットが決まってる直後に、右チャンネルで下っていく弦の低音パートのこと

悪かった事。

  1. 編成が豪華なのに、Youtubeの音質が酷過ぎて、パイプオルガンも4422のストリングス4部も、本来感じられるであろう音響の半分にも満たない。
  2. 体裁はライブだが実際には編集された映像なのに、特に坂本真綾がライブ用のダイナミックマイクで録音されてるので、Youtube音質と機材選択の負の相乗効果で、ただスタジオの綺麗さに劣るライブと、ライブの迫力に劣る配信の弱点が目立った。
  3. 他の2曲は、派手だが弦4部の合奏としてリズムが一定で、ある中心の声部に対して対旋律じゃなくリズムと長音で埋めてるだけだった。ただ、半分は音質のせいで、44.1khz,16bit以上(ハイレゾである必要はない)でちゃんとミックスしなおしたら実はもっと丁寧で色々と細かい事をやってたとわかるのかも知れない。しかし、この動画に限れば、耳コピが可能なほど伴奏の各部各声が満遍なく聞こえるというものではなかった。特にヴィオラとチェロ。
  4. 聞こえる音の良し悪しの功績や責任の半分はミキサーエンジニアにあるので、歌手や演奏者だけじゃなく、ミキサーエンジニアの名前をクレジットすべきなのに、していない。

以上が、おおまかな感想。

そもそも、動画を見る契機はこれ。坂本真綾のライブBD発売に関連して彼の「ストリングス(4422)で坂本真綾のライブ」という宣伝を見て、自分がライブに行っていないから知らないだけで25周年ライブの幾つかの曲は生のストリングスが使われていたのだろうか?と確認したら、25周年ライブとは無関係な話でがっかりしつつも、豪華な編成で何をやってるか興味を持ったから。

結果として見て良かった。少なくともシングル版よりは老若男女が聴きやすい編曲と演奏と音質。パイプオルガンと4422のストリングスをやれる特権的なプロの仕事を気軽に無料で見られた。

しかし、映像的には凄いが、聞こえてくる音質や聞き取れない要素が多い仕様など、編成や演奏や音響のプロの本気がどれほどの事を実現できるか知ってると、がっかりするものだった。彼らが実現してる半分にも満たないものをかろうじて覗き見てるだけだなと。

上記とは別の話として、慣例的にギター(FG)は定位を右か左にするものだが、中央だったのはどういう意図だったのだろうか?

ギターを右にふって、右よりのピアノを左にふれば、弦4声は満遍なく聞こえたのではなかろうか。ピアノとベースがしゃかりきに動くほど、ヴィオラとチェロが埋まってしまい自分には耳コピ出来ない箇所が多かった。

坂本真綾の単独ライブが弦カル以上の伴奏で行われる事はもう無いのだろうか?

坂本真綾の歌は調子が悪かったとはいえ、それを帳消しどころかゲスト出演かと思わせるくらいに素晴らしい演奏と音質だったWe are KAZEYOMIのチェロの感動などは、彼女のライブではもう味わえないのだろうか?

衣装や舞台背後の大画面や色とりどりに切り替わる照明なんかよりも、その予算を演奏者に回して弦カル以上の編成にしてくれたほうが、彼女の歌と、そして彼女の歌と等しい伴奏を聴きたい「視覚情報に溺れず彼女の音楽を評価してる」人間にとっては、そちらのほうが嬉しい。

楽器編成が充分な上で衣装や演出にこるのはもちろん素晴らしい事だ。

しかし、彼女の歌と、それに並ぶ伴奏を切り捨ててまでそういった視覚情報を豪華にするのは、自分のような消費者(ファン)は求めていない。

彼女の歌を評価しながら、彼女のライブからも新曲からも離れてるのは、彼女の音楽に飽きたからではなく、坂本真綾が、あるいはプロデューサや企画が音楽の商品でありながら音楽以外を優先して、その結果を聞いてる我々からすれば彼女の音楽に没頭できないから。

こういう消費者は、自分を含めて決して少なくはないのではないか。