映画は見たが原作は未読だった。
映画はあくまで3人称だが、原作は1人称で彼の本音、彼が見出したイエスが何か最後にわかる。
映画は、「転んだ」後の彼の本音がどういったものであるかわからないし、彼の死後の現代としての提示である。
アメリカの資本主義を盲目に礼賛する肩をすくめるアトラスでは煙草が重要であった。
アメリカの煙草と言えばインディアンだが肩をすくめるアトラスではインディアンには一切言及されず、自分も漠然とした印象しか無かったので今回コレを読んだ。
現在では煙草は基本的には百害あって1理無しとされる。
自分も煙草は特定の医療行為にしか価値はないと認識しているが、そもそも煙草をやると空腹感が無くなるのは、食糧に乏しい時代や環境で有益である。
故に貧者の薬とも言われた。
インディアンの煙草(葉巻)などの価値を語る時に、宗教の側面しか語られないが、上記の実益などを無視するのは、問答無用で有害と断ずるのと変わらない。
大航海時代前の煙草は、8000年から4000年前から中米と南米で用いられていた。
マヤ、インカ、アステカなどで万能薬とされ、虫歯には葉を直接こすったり塗ったそうな。
また、神話として、煙草は女の生まれ変わりであり、女自体は無意識の健康のためと男女の役割が明確に違う社会において煙草をやらなかった。
自分は煙草を全くやらないが、焼肉を食べた後だけやたらと吸いたくなるのは何故なのだろうか?
自分が上村松園を初めて見たのは2015年「うらめしや 冥途のみやげ」展。その時には堂々と看板に採用されていた。
恐らく、人生において目にする事は何度かあった筈だが、少なくとも絵や人名を明確に記憶したのは、この時だった。
2015年の時点で、月岡芳年や鰭崎英朋など、浮世絵の様式でも時代が近いとちゃんと美女に見えると驚いて、その理由を考えた事もあった。
今回、彼女の絵を見て思ったのは顎の線である。
頭身や輪郭線の細さなど詳細の違いは幾らでもあるだろうが、それでも、目鼻の大きさや比率、髪型など大きな様式は浮世絵のままで後年が美女に見える理由は顎にあると見た。
実際、彼女の作品でも古臭さや美女に見えない絵もあるが、顎が水平に近いものがそれだった。
結局のところ、我々が見てる様式が時代が近いほど感覚も近いというだけの話だが、具体的な理由を1つ見出せた。