自分はファミコン音楽から育った世代なので、和音数が少ない代償に細かい動きをする旋律やリズム、強引な変拍子などを、むしろ自然なモノとして生きてきた。
そういう意味でリズムには困った事がないが、手拍子でも、拍は取れるが拍子が取れない、という事は何度もある。
極論を言えば、楽譜がなく拍子が不明な曲を聞くと、等速で聴いてる時点では1/1としか感じていない。それを意図して4/4や7/8など数字を決めてから取れば、当然それぞれの拍子として取れるが、未知の曲に対して最初にあるのは1/1である。
そこで、ふと見かけた上記の動画を試して、拍を取りながら拍子を見失わない事に気づいた。
眼から鱗だった。
手を離さない。
これだけで、感覚がここまで変わるとは考えもしなかった。あまりにも自分が愚かで笑ってしまった。
上記の手拍子動画を踏まえて菅野よう子が坂本真綾のギター確認でする手拍子を確認したら、彼女も先述の動画と同じ手拍子、手を離していなかった。
自分が参考にしてる人たちの機微を何も受け取っていなかったと、自分の無能さをまた改めて思い知らされた。
そもそも、長年人間が音量を感じる基準とされたVUは300msの音価を中心としてる。
だから手拍子も接着時間が長いほうが脳が認識しやすいのは当然なのだが、その発想が自分には全く抜け落ちていた。