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小説
三体
近年最大のSF小説の盛り上がりを見せた三体。
まず、良かった所。人類の歴史上4次元空間に接触する人間がいて、歴史の転換に関わっていた、あるいはその奇跡を生かせず関われなかった事が断片とはいえ描かれてる。また、4次元空間に慣れてしまうと、3次元空間に対して閉所恐怖症となるのは面白い着眼。
暗黒森林という価値観の提示。宇宙が有限である限り、善意も悪意も違いに判断のしようがなく、互いに存在を予想しながら音信不通でいるのが高度文明の常識。
地球人類だけじゃなく、地球人類にとって脅威である筈の三体人類が直面する脅威も描かれている。彼らが地球侵攻の前の実験で高次元生物に遭遇して右往左往する場面は笑った。
地球と宇宙では心身ともに人体の状態は異なる。宇宙にいる間、地上の倫理など全く無意味だし、地球に踏みとどまる以上は宇宙生物(生活)の価値観は理解不能。
凡人、大衆がいかに愚かで容易な掌返しで人類に何も貢献しないか描かれている。
そして、悪かった所。
女がとにかく気持ち悪い。誰も彼も美人で学歴的な能力はあるが、肝心な事は男の判断と行動と存在に依存してるだけ。
面壁者という発想は面白いが、敵の対抗策が特撮ものやアニメのような悪の組織幹部みたいな対立で馬鹿らしい。
どこまで意図したものか不明だが、ところどころ子供向けのアニメや特撮のような幼い対立構造や言動が短絡的。
1962年のセイラム魔女裁判の記録をまとめた少女たちの魔女狩り マサチューセッツの冤罪事件の関連書籍として提示された小説。
しかし、内容はよくある青春幻想ものでたいしたものではなかったが、表紙が美少女。
テッドチャンが解説してると聞いて読んだ。
人類を超越した知能を持った宇宙生物と遭遇したらどうなるのか。古典的なSF小説。
人類側の存在として吸血鬼がいるが、彼らの認知は、ネッカーの立方体を同時に両方見られる、またそういった過剰な認知能力が災いして、自然には存在しない精度の高い直線の交差などで脳が認知負荷に耐えられない、だから十字架に弱いという説は面白かった。
仮に、他人の感情などに鈍くても、人間をトポロジーとして認識する事で対応が可能、結果は変わらない、という価値観は非常に現実的なSF価値観で良かった。
本作は、姑獲鳥の夏の呪いは実在して人類には解決不能で京極堂も死ぬしかないが、最後に関口を元気にする事くらいは出来る。という感じ。
金田一耕助の映画を何本か見て、その流れで原作を読み、そこからの延長で、よく並べられる江戸川乱歩もにも手を出した。
基本的には日本の因習と探偵小説の両立を求めて読んだが、結果的に面白かったのは、探偵小説よりも白昼夢といった幻想小説だった。何もとっぴな事はないが、認識ひとつで現実離れした恐ろしさとも考えられるし、無視してとるに足らないと流す事も出来る、読者の能動性が求められる作品で良かった。
一般
1927年の出来事をまとめ、場合によって現在まで通じる価値観の変化などを描いてる。
リンドバーグやアルカポネやベーブルースなど、歴史的な人物の出来事とは別に、エアコンという言葉は、この頃に発明されたという雑談などもあり、区切りが細かく読みやすいが、あちこちに寄り道するので、本というより、未知の土地を地図もなく旅行してる気分になる。
絶対音感神話: 科学で解き明かすほんとうの姿 (DOJIN選書)。
基本的に作者が絶対音感の音楽的な価値において否定的なので、その主張自体を肯定出来るかで印象が変わるが、ハ調から最も遠い嬰ヘ調の音感は、相対音感者のほうが優れているという実験結果は面白かった。
また、絶対音感を得られる環境の中で、親や教師から言われる事を鵜呑みにして従える素直な子供じゃないと無理なのでは。反発しつつも独創性を持つタイプには、黙って音程を当てるような単純作業が向かず、結果的に我が道を行くタイプ、音楽的に新しい事をやるタイプは絶対音感を持ちにくいのでは、という推測も面白かった。
一般的な会話を出来ないが、リズムを再生すると、それに合わせて歌いながら会話が可能という話を読んで、リアリティのダンスを想起した。
あれは主役の母親がオペラ的に歌いながら会話するという誇張表現だったが、ああいう人種や行動が現実にいるという意味で、全くの誇張ではなかったのだとわかり面白かった。
人間には利き耳があるのは常識だが、左右によって聞こえる音域や音程が変わる、というのはあまり知られてない。自分の場合は、利き耳は左で、8000hz以上の倍音は左耳のほうがよく聞こえる。しかし、音程は変わらない。本書の例で、左右で半音近くも聞こえる音程が変わるというのは、不便でしょうがないだろう。
ゴリラ、オランウータン、チンパンジー。人間に近くなるほど強姦が増える。
ゴリラは、オスとメスの対立は基本的に無いが、メスと自分以外のオスの子供を殺して、メスを相手にする。メスもそれを受け入れる。
大正から昭和初期までの言葉をまとめた本。
これが実に可愛げのあるものなので、全ての単語に彼の挿絵を追加した完全版を発売してほしい。
男女をフランス語の冠詞からルとラと言うのは、今でも通じる感覚ではなかろうか。
それにしても、基本的に外来語の言葉はどこか古かったり幼かったり馬鹿らしく思えるのに、なぜ現代でも仕事やニュースなど過剰に外来語が用いられるのだろうか?
10年後には9割が死んでる言葉だろうに。こういった本がありながら、過去と未来を踏まえた思考をするのではなく、あくまで歴史という言葉を知るだけで意味を知らず、当時に溺れるだけの人間があまりに多いと言うことなのだろうか。
安土桃山から江戸初期までに伝わった地球説と地球儀が、日本人にどうのように伝わり、どう影響したか、というのをまとめた本。
基本的には、神道と仏教との対比にもなっている。
その中で、浅井了意の話が面白かった。
彼は仏教徒であり、仏教は須弥山という世界観を持つ。それは、地球という現実の土地とはかけ離れたものなのだが、彼は、須弥山など愚昧を説得する方便(責道具=拷問器具)に過ぎず地球説が正しい、などと書き残している。
実に現実的で柔軟でいい加減なものとして面白く、彼に興味を持ったので、今更ながら代表作である伽婢子も、本書を契機に読んだ。