全4冊。
古代戦士ハニワット
間違いなく10年に1本の名作。それなのに、自分は岡田斗司夫が紹介するまで、作品を全く知らなかった。
自分は、武富建治は既知で、読者の思考が入る余地のない自己完結の鈴木先生でうんざりした。だから、彼の新作に全く興味を持たなかったが、打ち切り間際でどんな事をやってるかに興味を持って読んだら、先述の通り10年に1本の名作だった。
誰にでもわかる特撮ヒーローモノ、娯楽作品の歴史を愉快に踏襲しながら、等しく日本の歴史や文化や価値観なども盛り込まれ、彼なりの冗談と共に、作品の出来事は恐ろしく悲惨であり、我々読者が思い知るべき事をしっかりと描いてる。
我々が何を失い、何を忘れ、何を怠ったのか。
それが娯楽作品としての派手な描写や魅力的な謎と交錯している。
個人的に、現実の人類史と、それに伴う神話や幻想を1作品としてまとめようとした野心作ベルセルクを継いだのは、本作ではないかと認識している。
竜女戦記
マクガイヤーの紹介で知った。
ゲーム・オブ・スローンズを日本設定でやったらどうなるか、という厳密には日本ではない架空世界モノ。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、的な登場人物が中心で、前者2人が実の兄弟で、弟である豊臣秀吉が比喩ではなく猿(獣人)的であったり、巨大な竜が戦力として数えられたり、歴史おやくそくを踏襲しながら、幻獣や主役の超能力など架空要素で先が読めないようになってる。
日本自体を描こうとする点で上記のハニワットと同じだが、本作は深刻な問題を描きながらも、作品全体はどこか陽気である。当事者性が無いというか、歴史の中の当事者ではなく、歴史の記録を面白おかしく脚色してる感覚。
そういう意味でハニワットは娯楽作品としてのサービスがあり冗談もあるのに、常に苦しみながら進んでる当事者性に溢れ、抽象的には近いが具体的には異なる比較も面白い。
星屑ニーナ
SFラヴコメ。
地球上に超巨大な魚が空を飛び回り、太陽や月に顔があり発言する、内容は漫画的ながら遠近感や絵柄は写実的で、鳥山明の系統だろうか。
女の裸や、セックスから逃げていない。
その上で、それらが売りなのではなく、我々読者の常識が前提でありながら、その常識と同時に全くの非常識が同居するドタバタSF。
主題が恋愛なのに自分が読めたのは、恋愛などなどが自己陶酔ではなく、愉快な世界の断片だという自覚のもとで描かれてるからだろうか。
能天気なハッピーエンドなので、最後2人は結ばれるが、その際に、女が男に感謝したり泣いたりしない。
むしろ、男が、たまたま対象が恋愛だった人生の成就に泣く。
男が男のために描いてる作品なのに、男を持ち上げるための女がいないし、女が商品でもない。
それでいて、奇抜な登場人物としての魅力をともなっている。
実に健全で素晴らしい。
ベルセルク
もはや言葉がない。
たしかに、彼が生きてる内は、もはやダークファンタジーではなく中だるみもあると評価していたし、それは今でも変わらない。
しかし、彼の死去とは別に、本作はついに物語の核心がほぼ明かされ、誰の目にも終わりが見えてる展開で、未完を突きつけられる。
本作は後半から、ダークファンタジーから、古今東西の神話の統合という野心的な作品へと路線変更し、その意味さえわかれば、それはそれは面白く、むしろ義務的な戦闘など描かずに、神話の消化を読みたいとすら思っていた。
キャスカの顔が歪みまくっているが、しかし、シールケやファルネーゼや魔女などは美女なので、あくまで興味の対象が変わっただけなのだろう。
明らかにコマ等倍で描かずにデジタル縮小して遠近感がおかしいなど、細かい不満はあるが、作品自体の核心の展開と、少なくとも漫画を描き続ける情熱を垣間見られる本巻で未完とは、あまりにも悲しい。