2021年4月15日木曜日

科学が物語に敗北するのは何故なのか?

そもそも宗教と科学は対立しない。当時の知識と予想で語られるのが宗教から科学に変わったというだけで、本来、役割は同じである。

しかし、科学や論理を無理解に、物語だけを盲信する人間に溢れてるのは何故なのだろうか?

物語とは、結果に対する原因と過程の不明を仮定した論理であり、場合によっては物語と同義とも言える。

10に対して5*2でも5+5でも内訳は好きにすれば良い。結果と違わなければ物語も論理も任意の正解に過ぎない。しかし1+1しか出来ずに、それを繰り返して10を導こうとしたら、1+1+1...とやっていくうちに計算を間違えて10にならない、という失敗を生涯かけて甘んじる人間が少なく無いのは何故なのだろうか?

テクノロジーは貧困を救わないでは、貧困層の教育は情報だけでは不足だという。教材で扱われる人種の肌色や方言が違うだけで、情報の中身は無視され拒否されると。

インドに関しては、教育の他に、そもそもあらゆる事で簡単に死ぬ、というのが日常だから、Covid-19で多少の確率があがろうと知った事ではない、という現実があるのかも知れない。

いずれ解決不能ならば無根拠な願望を選ぶ、という事なのだろうか。