2020年12月15日火曜日

音楽理論的な病理「ユニゾン恐怖症」または「強迫性和音症」

まず半分は題名が釣りなのを詫びる。音楽理論にユニゾン恐怖症など無いし、そもそもユニゾン恐怖症自体が医学的または音楽的に存在しない。

しかし、ユニゾン恐怖症は現実にかなり多いのではないかと考えている。

では、ユニゾン恐怖症とは何か?

それは主に和音楽器や編曲やDAW(DTM)をやる人間が、和声やコードなど和音音楽から入り、それに慣れ親しんだせいで、過剰に2声以上の和音だけを求める、逆に言うとユニゾンを避けてしまう事を言う。

そのせいで、対位法や単旋律や管弦楽法の学習にも支障をきたし、ついには重複の無い和音のみを求めてしまう恐ろしい病気である。

というのは半分冗談にしても、和音に強迫的な音楽人は多いと自分は考えている。

なにより、長らく自分がそれだったからである。いたずらに7thからテンション以上を使ってしまうとか、旋律や経過音や対位法などで部分的にユニゾンになると何かが失われる気がするとか、逆に管弦楽などの複数の音色によるユニゾンの豊かさを失念するなど。

ユニゾンを2声以上の和音と同等に扱うのは意外と難しい。しかし、ユニゾンは決して幼稚や未熟や貧相な手段ではない。それは音量や音色と言った要素と絡みあい3次元以上の何かを表現するのに明らかに有効な手段である。

逆に、ユニゾンを恐れるのは音色と音量が脳内で把握できていないからこそ起きる。例えば、あるメロディを脳内再生した場合、どれだけの人がリヴァーブも含めて音響効果を自覚的に想像できてるだろうか?

つまり、音色と強弱、これらを含めて音を考えられるようになったら、ユニゾンなど恐れる事など無くなる。

旋法や対位法が無視され本来は旋律や音程を補助する調やコードだけが過剰にもてはやされる現状には大いに疑問がある。その点でもユニゾンは、隙間産業と過剰和音への対策かつ融和の両立に必要な事なのだ。