2020年12月16日水曜日

音楽理論 調とコードで理解できない音楽は教会旋法(モード)で考えれば良い

一般的に音楽は以下のように分類される。

  • 調
  • メロ(旋律)
  • コード(伴奏)

これ自体は何も間違ってはいない。しかし、現実には長調と短調以外の音楽が山のようにあるし、長調/短調の音楽でも長調/短調以外の音程がある音楽も山のようにある。

これを容易に理解するために教会旋法(モードスケール)がある。

そもそも、長調も短調も、この教会旋法(モードスケール)から派生した2つの音階に過ぎない。

臨時記号の多い曲や、コードは常に長調か短調に準じてるダイアトニックなのにメロが調の外にある曲などを長調/短調と同じように理解するには、以下のように考えれば良い。

  1. メロ → 長調/短調以外のモード(教会旋法)=様式がある
  2. コード → メロを歌いやすくする道標
  3. 調 → わかりやすい単純化された地図。しかし地図に無い道が幾らでもある。

具体例を書くと以下のようになる。

  1. 調 = C長調
  2. コード(伴奏) = C
  3. モード(メロ) = Cリディアン

この場合、メロのCリディアンは増4度、つまりドレミ音階のファが半音上で、ソの半音下にある。これはC長調にもC短調にも無い音だが、C長調のコードCに準じた音階である。

現実には教会旋法(モードスケール)にも当てはまらない音楽もまた幾らでもある。それは12音階だったり、中東の民族音楽だったり。

しかし、それはその様式を同じように憶えれば良いだけである。

情報を容易に活用するために規則や様式を設けたのに、規則や様式に従うのが目的になってる本末転倒は音楽に限らず幾らでもある。そして、日本人は特にそれに陥りやすい。

しかし、それら規則や様式を無視したように思えるような事ですら、実は同じ原理を共有した別の規則と様式であるというのは、よくある話。

それを知った時に、それを学んでいけば良い。

少なくとも、調とコードという言葉と概念を使うのならば、等しくモードも学ぶべきである。それは、「漢字」と「カタカナ」を勉強したけど「ひらがな」だけ無視してるようなもので、わからなくはないけど凄く不便、という事。

英語圏の日本語学習者からすると、無駄に3種類ある文字で凄く混乱するらしいので、同じ理屈で調とコードだけでモードを無視する人が多くいるのだろう、というのが自分の認識。

逆に、メロディしか自覚的に認知していない消費者や音楽人が多いのにメロディの様式である教会旋法(モード)が無視されてるのは、学習者にとっては隙間産業としてしめたものでる。