2020年5月11日月曜日

久々にモーリー・ロバートソンをYoutubeで見かけて思い知る蓄積と人徳について

久々にモーリー・ロバートソンを見かけた。
動画を見ていないが、一覧で方針を確認したら、知名度に反して数字が低すぎるのに驚いた。
個人的には非常に納得したが、思ってた以上に、かつてのファンはあの件で引いたという事か。

あの件とは

彼はかつて、ニコニコ動画でチャンネルを持っていて、専門家のゲストを呼んで社会問題を面白おかしくやっていた配信で人気を誇っていた。
しかし、彼は当時まだ直接的な収入には結びつきにくいネット(ニコニコ動画)を捨てて、既成のTV権威にすりよった。
その後、彼が出演していた動画は、彼の意向で削除された。
麻薬や売春など、法律的にも名誉的にも色色と危ない事を言っていたから

自分はTVを見ないので、その後の彼の仕事を今に至り全く知らずにいる。
今回、youtubeで偶然にも彼を見かけたが、数字を見る限り、当時のネットファンは、ネットとTVを両立させずにTVだけを選んだ判断を許していない、というよりも興味が全く無くなったようだ。
といってもそれは2017年の話なのに、たかが3年で、恐ろしい話である。

もともと、彼はインテリでありながら、その知識から何か独創する能力は無かった。
専門家に対して専門外のサブカルを広げる事で話の幅を作り受けていたのだから。
学歴と英語能力から他人を見下してる性格なのは構わないが、ここは日本である。
出来不出来よりも愛想が勝る国だし、先述のように、彼独自というのは、彼以外の対比で生まれる相対的なモノに過ぎない。
彼自身が寄生的、コウモリ的な性格であると自認してるから、そこは納得しているのだろうが。

彼自身は金には困っていないだろうが、彼のネットにおける低迷は自業自得だろう。
パンクだロックなど改革的なモノをやたらと持ち上げて自身がそれに属するような事を言いながら、実際には超保守寄生なのだから。

というよりも、今現在もTVで露出しているのであるなら、なおさらYoutubeの数字はやばい事になる。
名前だけで肯定する軽薄層が皆無で、前述のような「事情を知る視聴者」はさもありなん。

特に、今現在の特殊な状況で世界的に余裕の無い日常の中で、捨てられた人、または、そもそも知らない次世代が相手にするのは、それぞれに既に見つけたモノで、かつて時流という理由だけで捨てたモノに、また時流と言うだけですりよってくる者を歓迎するほど、甘くないという事か。

富野由悠季のように、自身の挑戦のためにファンに反発するならともかく、ただ金銭や権威のために自身を肯定してきた人達を捨てるとどうなるのか、反面教師として非常に参考になった。