2019年10月18日金曜日

ニコニコ動画が唯壱Youtubeに勝ってる仕様「コメントの新しい順」

ニコニコ動画を利用しなくなって久しい。
Youtubeが、かつての頭が悪いTVと同じ、不要な番組(動画)羅列で使いづらくなって久しい。
それでも絶対量の正義から利用価値があるのも事実。
動画は99割Youtubeを利用してるからこそ不便であり、ニコニコ動画にあって良かった機能が思い当たる。
それが、検索結果のソートにコメントの新しい順

Youtubeは主に2種類しかない

  1. 投稿時間
  2. 再生回数
Youtubeにもニコニコにもコメントに価値は無い。
ではコメントの新しい順の価値は何か?
それは、任意の検索対象に、ある程度のランダム性を持たせられる
Youtubeの2点だと、結局は新しい内容不問で釣れた動画しか見られない。

コメントの新しい順は以下の利点がある。
  1. 人気不問で上位に表示される
  2. 時間により並びが変化
無論、工作は避けられない。
しかし、壹過性のモノに興味がない人間にとって、今のYoutubeやAmazonは使いづらくてしょうがない。

世界人口77億人ほぼ全員が同時に使ってる商品が完璧でいられる筈がない。
しかし、スコセッシの言う通り多様な要素の1つに軽薄(愉快)があるのは構わないし、あるべき。
だが、それが主流では困るのだ。

Avengers:Endgame/$2,797,800,564の1%にも満たないSilence(2016)/$23,737,523は経済的に敗北している。
それは客観的な事実。
だが、歴代興収ベスト100の何割が10年後に素晴らしいと語られているだろうか?

ランキング上位に価値があるように、ランキング圏外にも等しく価値がある。
絶対量が多い事ほど、1次元的な価値観ではない多次元の評価が可能だし必要。
人間には速い思考と遅い思考がある。
「ショーシャンクの空に」は初動で転んで長期的に成功した。

ランキング上位を優先する商売は資本主義的に正しい。
それに異論は無い。
ただ、それとは違う価値観が発覚した時、方法があるのに、それを実行できないのは差別ではないか。
いずれかの禁止は解決ではない。
利き手に依存するのは当然だが、両手があるのだから、気づいた時に不得手も使わせろ。
そういう話。