2019年10月7日月曜日

ビデオゲームの利益と損害 - Fortnite集団訴訟に見る中毒と依存の違い

『フォートナイト』のEpic Games、コカインのように中毒性の高いゲームを作ったとして訴訟の可能性。消費者への注意喚起を怠ったとの主張
集団訴訟自体は実現していない。
まだ準備段階であり、後述する利用規約の問題から実現しない可能性もある。

  1. そもそもファミコン時代(1980年代)からビデオゲームが社会的に盛り上がると、どういう利益と問題が持ち上がるのか明らか。
    1. 任天堂はそれを自覚してるから、健康器具の延長になる努力を続けてる。
    2. 経済と歴史を学ばぬ親の不明
    3. 日本でも、現在の安倍政権や経済やらを政策に無理解で批判するバブル以前世代が多くいるが、ではバブル経済の契機と崩壊の大きな要因となったプラザ合意について、何が正しく何が間違ったのか自覚するために、バブル崩壊後にでも学んだのであろうか?
    4. 先日GOLIATH3を見た
      内容は、巨大な利権が庶民の水を消費して、庶民には飲み水1滴も確保が困難で、主役が巨大な利権を倒す。
      概要だけならテンプレから何も逸脱せずに貧しいものだが、問題なのは、頭を使えば庶民を敵にまわさず利用した上で利権を維持できるし、庶民も決断せずに甘んじているという点。
      どちらかが純粋な正義なのではなく、その上で権利を逸脱した利権の害悪を正すという理想論が認められる。
  2. 麻薬は、体内で作用する物質であり、最悪使うつもりがなくとも医療や悪意によって当人の意図と異なり薬物中毒になる恐れもある。
    1. 中毒と依存は物理的に異なる。
    2. 中毒は事故も含めて起こりえる。
    3. 依存は、中毒と異なり事後の対応が可能。
どんな商品にせよ、判断能力が無いのに過剰反応する子供を大量に釣り上げるために大企業が全力なのは間違いない。
これがピアノや将棋なら、騒音や職業の問題は起こるにせよ、基本的には能力の拡大で仕事にも趣味にも有効で、ここまでの問題にならない。
ビデオゲームの問題は、幾らか能力の挑戦という要素を含みながら、大企業が儲けるための大衆娯楽故に、消費者の努力不要で何かを得た錯覚を意図して強く感じやすいように作られ、それにはまるという事。

ただし、押し売りではないのだから、親子ともにビデオゲーム以外の人類が見いだした有益な文化の何かを拾って実行すれば良いだけ。
結局、ビデオゲームに限らぬ教育の話になる。
ビデオゲームには悪質な商品が幾らでもある。
それは間違いない。

しかし、ただ時間を消費する不毛な行動ではなく、人間関係や能力拡大などビデオゲームによる恩恵も間違いなくある。
結局のところ、人間はあらゆるものを食べるのに、砂糖しか食べない人間が砂糖会社を訴えるのが正しいのだろうか。

ところで、Epic Games利用規約に集団訴訟を禁止するのは今回の記事で初めて知った。
流石は大企業、これがどこまで認められるか不明だが、消費者は結局こういうとこから商品を買うという自覚は、持たねばならない。