アーケードゲームで好きな商品、現在進行で自宅で遊んでる商品は幾らでもあるが、ゲームセンターは潰れて構わない。
むしろ、潰れるべき(これは私怨)。
ゲームセンターとは以下のような場所。
- 趣味も仕事も時代に適応できない中年(男)の慰安所
- 過剰な発光と騒音で、消費者の健康を全力でぶち壊しにくる場所
料金など当時とは異なる方法も幾らか提示している。
その点で、ゲーセンには何も過失がなく、消費者が望むだけ金をだして維持すれば良い。
しかし、老若男女が望む商品なら、それこそ任天堂のようにビデオゲーム能力の優劣に関わらず消費者が金をだすし、有志の交流など幾らでもやる。
結局のところ、ゲーセン提供者も消費者も、同族の狭い村を意図して構築しているし、商売上は無差別な宣伝をする裏での差別意識を全く隠しきれていない。
アーケードゲームの保存に貢献している高田馬場ミカドの配信すら、下品な中年男性酒場の体裁を望んで実行している。
個人的には、高田馬場ミカドのごく壹部の関係者に、初対面なのに社会人とは思えない極めて失礼な態度でアーケードゲーム関連の海外イベント経験を台無しにされた事もあり、最初に潰れるべき私怨と書いたのはそれ。
海外イベントの主催者に宿泊場所を提供するからと招待されたから遊びにいったら、わざわざ高田馬場ミカドと印刷されたシャツを着てる主催者の関係者が、主催者に対する義理も含む挨拶やイベント関連の話に敵意ある態度だったので、ああつまりそういう人、そういう場所なのかと。
おかげで、自分はミカド関連には1円もだしていないし、ミカドとは異なる会社や商品もミカドの名前を大きくあげてるものは全く利用しなくなった。
【徹底解説!!】ゲーセンが何故ソシャゲに負けるのか?
個人的にはソシャゲも馬鹿げてると考えている。
しかし、どれだけ馬鹿げても需要があるから成り立っている。
衰退=劣悪とは限らない。
そういう意味でゲーセンが続いてるのも、消費者が支えてるのだから素晴らしい事だ。
しかし、ゲーセンに絡む出来事に遭遇するたびに、いい思いをしなくななってきた。
例えば…
秋葉原Heyはゲーム目的じゃなくイベント目的で何度か訪れたが、極めてまともなゲーセン。
そこで見かけた事。
夏休みに散策程度の1つで立ち寄った親子がいた。
画面の雰囲気が格好いいからという理由で親にせがんで子供が100円をいれたが、1分ともたずゲームオーバー。
それはある縦STGだったが、何も知らない消費者にこういう経験をさせる場所/商品であるという事。
そんな経験をして親が金だしたいと思うだろうか。
子供が判断する間もなく終わるようなものに子供が興味を持続するだろうか。
これはたまたまの1つだが、それが年単位の統計でどの程度になるのか。
ゲーセンの客層は違うというなら、それでも良い。
店にも客を選ぶ権利がある。
【ゲーム業界の闇】超大手の対応がヤバ過ぎて草も生えない...のように大金をだす客しか相手にしないコナミのような姿勢でいるのも自由だ。
しかし、事情を知ったものは離れ、そういう事情も知らない消費者すら、それとは違う理由でコナミから離れるのは何故か。
ゲーセンはもともと資本力が無い人間が資本が必要な商売をするという点で、馬鹿げた場所とも言える。
それを継続するのに情熱は必要で、そういう意味では素晴らしい場所だ。
レトロゲーム好きの海外旅行者がゲーセン目的で来日する事もあるし、恩恵はある。
ゲーセンは幾らかの努力をしてるし、限られた客層を確保している。
それは健全な商売。
しかし、多くの人にとって交通費や時間をかけてまで行きたい場所か。
ゲームに無頓着でゲームしてる人間の邪魔をせずにゲームしてない人間が楽しい場所か。
ゲームセンターは結局これを提供できなかった。
プライズ系で壹部は実現したが、ゲーセン内部の隔絶も深化した。
映画や音楽よりも規模が大きくなったビデオゲーム市場の恩恵をゲームセンターがそれほど得られていないのは何故なのか?
今後とも、アーケードゲームのリメイク的な商品が家庭用で発売したら、それを買う事は幾らでもあるだろう。
しかし、仮にOverwatchやゼルダBotWがどれだけ名作であろうとも、ゲーセンでしか遊べないと知ったら、触りもしなかっただろう。
そして、ソシャゲはおろかSwicthの台頭で名作を好きな場所で好きな人達と遊べる時代に、ゲーセンの存在価値はあるのだろうか?