- サノスが主役
- グルートが柄になる
- 突き飛ばされて転がるオルセンの尻
- 人類補完計画の静かな展開
- 最後にやりきったサノスの顔と、静かな音楽演出。
- アクションが時間稼ぎだけで無意味
- 主要キャラの戦闘もだが、終盤のアフリカ戦。アフリカ民族が全員で衣服をひるがえし構え、そこそこに場面展開したあとに同じ構図でひるがえしなおす、アフリカ民族の集合的な行動が、作品の展開に何も貢献せずに繰り返される。
- 世界、宇宙をかけた戦いなのに、登場人物が無意味で無駄な女子高生の雑談をしすぎ。キャラ萌えとしてそれらがあるのはわかるが、世界をかけた戦い、しかも、価値観も目的も前提も全てが異なる未知の敵、恐怖と対峙してるのに、登場人物、そしてそれらを扱う作者がそれらの感情と行動の重要性を何も理解せず観客の知性を何も認めないゴミに提供するのはゴミだにすぎないという結果に。
- シヴィルウォーが殴り合いで良かったのは、仲間同士の不本意な戦いで、殺したく無いという願望が前提にあるから。今回はそういう迷いを許さない殺し合いの世界で、相変わらず同じ乗りをやっていて酷い。
- 音楽がうるさい。テーマ曲の乱発。同じ構図、同じ演出の反復。最後の人類補完計画をああやって演出できるからには、そこまでのやりかたが間違ってるとわかっている筈なのだが。
- サノス連中がアフリカに攻めて来たのは、欧米がこれまでやって来た事と変わりない。それを、あたかもアフリカが欧米を歓迎して宇宙人に反発してるというのを、欧米の視点で描いてる傲慢さ。
- インフラも乱れて独裁で虐殺もまだ残ってるアフリカから金だけ巻き上げて逃げ切ろうというディズニーの姿勢。
- ワカンダフォーエヴァー問題もそう。現地の言葉は装飾にすぎず、大事な言葉を英語にするという。
- オルセンとヴィジョンの最後。愛するがゆえに殺さなくてはならないという、作品においての肝が、セットとCG丸出しもしょぼいアフリカもどきで台無し。映画において、場所は登場人物と等しく重いという事の無理解。ブラックパンサーも最後に美しい故郷をCGでやって台無しだったが、本作はシリーズ核でありルッソ兄弟だから、ブラパンみたいなゴミにはならないだろうと信じていたが、彼らの問題か、ディズニーの呪縛か、結果はあれ。
- 1400万621通りの未来。なぜ1つだけ勝てる可能性があると明言したのか。あそこは苦悶の表情で沈黙し、ストレンジだけが賭けに出たとわかればよかったのでは。
- スターウォーズと同じ演出、同じ映像、同じ問題。
- 消えるキャラノ契約、大人の事情丸出し感
トランスフォーマーが1度も赤字になってないのと同じ。
あれは批判されるのに、MCUやSWが礼賛されるのは間違っている。
2回目の犬が島に行かず、これを見に行ってしまった罪悪感。
つまらないだけならまだしも、加担してしまったという罪悪感。