2022年6月9日木曜日

緘黙になった

これは精神科などの診察を受ける前に、自覚として書いている。

何十年にもわたる親の虐待のおかげで、緘黙になった。

/ - 緘黙とは - /

喉は正常で言葉もわかる。ただ自分が何か言うと、自分の声で気持ち悪くなる。発言にともなう胸や頭の振動で気持ち悪くなる。発音せずに、例えば「ありがとう」など言葉のためにクチを動かすだけで吐き気がする。

「あ」など意味を伴わない言葉、ただの発音すら、そのためにクチを動かすと気持ち悪くなる。

この状態になってから、緘黙という概念を知った。

筆談は可能。他人の声は聞こえるし言葉もわかる。自分の発言が発生じゃなく手書きや活字の文字であれば、全く問題がない。

不思議な事に、誰にも何も言わないと決めてから、心身は安定している。

文字や文章や楽譜や音楽(音感)の反応は、むしろこれまでの人生で最高のように感じる。

発言が反映されない環境のためにこうなったが、同時に、恐らく自分の声が自分にとって邪魔だったのだろうと、今はそう認識している。

これまで取れなかった音程、自分で歌うまで脳内で曖昧だった音程が、緘黙になってから脳内音程だけで明確になった。

文字も同様で、10分程度の音読で脳は活発になると聞いて、それをやっていたが、むしろ、音読せずに生涯発言しないと決めた状態のほうが、漢字の記憶力や反応は良くなった。

自分の発言は、全て手書きか活字にすると決めた途端、ものすごく頭が回ってる感覚があり、ある意味で今の自分は好転したとすら感じている。

これがものすごく面白い経験だった。

緘黙以外の問題もあり、客観的、医学的に自分の状態がどうか知りたいので後日診断を受けるが、緘黙に関しては、むしろ治療せずにこのままでいたいと思っている。