2022年6月5日日曜日

防音という格差

日本で音楽を趣味にする、更に言えば身体能力のための習慣にする人間が少ないのは、日本の住宅事情の限界がある。

つまり、騒音と防音。

極論を言えば、もし24時間、好きなだけ楽器演奏や歌唱できれば、脳の記憶力やストレス解消などで、学業的にも社会的にも好転する人間が増えるのではなかろうか?

現在はヘッドフォンがあるので、格差が無いように見えるが、直接耳に接触するヘッドフォンやイヤホンと、高音質スピーカーや壁反響がある音を聞くのは、身体への影響は全く異なり、難聴の増減にも反映される。

また、任意の発声が許されないとなると、音読などの勉強にも差がつく。音楽とは人体能力開発の1つであり、決して娯楽で終わる事ではないし、その延長で、音読や朗読や、音声や文字や記号(暗号)に対する能力にも差がつく。

無闇矢鱈に情操で片付けずに、人類が何故何百年あるいは何千年と継続しているのか、そういった認識を持たずにこれらを扱うのは危険である。

防音が金銭的に高価なのは当然であるが、健全な精神や経済的な好転を望むなら、防音は国をあげて取り組むべき問題ではなかろうか?