2021年5月23日日曜日

ジョジョリオンは意味不明どころか荒木飛呂彦は好奇心の成長を続けて作品は一貫している

1部

人類の既知宇宙のみを肯定して、人間の限界を少し拡張した上で題材はオカルトであり、常識的な歴史と空想を舞台にしたヨーロッパ的な古典的演劇。

超能力は、筋力などの延長に過ぎない。

2部

オカルトも未知を扱うという点では科学と同義、あるいは科学で扱えるのではないか。超能力があるなら同様に宇宙人もいて当然である。

超能力と宇宙人と科学が同等に扱われる。

3部

宇宙人、空間に対して超越的な存在の次にくるのは当然時間。

そこで時間を止める能力が発現。

ただし、ザワールドは時間を止めるというよりも物質の運動を止める。

時間に対する可逆性を持たないという意味で、時間と空間(物質)を操作するのがスタンド能力という意味において、実は前者ではなく後者の能力。

4部

なぜ爆弾の能力が時間を超越出来るのか。

爆発、熱エネルギー運動とは宇宙の根源であり、これはつまりビッグバン。

宇宙の膨張がある限界に達した時に、次に起きるのは外側ではなく内側に向かう引力(重力)。これは6部で直接に扱われた題材だが、原理を同じくしてバイツァダストになったのが4部。そういう意味で、ジョジョ作品の中で最も神に近い能力を持つのは条件付きとはいえ時間を可逆にした吉良。

物語自体は世界をかけた戦いじゃないから小さく狭くなったように見えるが、スタンド能力を見れば、むしろ1部から続く発想と連想が拡張してるのがわかる。

5部

ジョジョ作品のスタンドは大別して2種類ある。

時間と空間の変化を自在にする。そして主に後者が一般的なスタンドで、前者が主役やラスボスになる。

4部では生命の一部を操作可能になった(治療)。その延長で、物質を組み換える能力、生命を作る能力に発展したのがゴールドエクスペリエンス。

ゴールドエクスペリエンス自体が神のような能力に見えるが、無機質も有機質も平等であり、その内の有機質しか作れない、あるいは変換しか出来ないという意味では、言うほど理不尽な能力でもない。作中でも気温次第で生命が生まれないという地球環境に依存した能力である事が説明されている。

最終的な神のように見えるレクイエムすら、ジョルノの寿命をのばしたり過去移動や未来移動のような時間超越は不可能。演出としてボスの時間が無限に繰り返してるように見えるが、ボスの物質を可逆にして繰り返してるという意味で、レクイエムはまだ空間(物質)に甘んじて時間にかすっているだけ。

ボスにせよジョルノにせよ、時間の可逆性を得ていない。

6部

これまで時間にかすりながら空間(物質)に関与するだけだったスタンドが、ついに空間の認知最大である地球と、宇宙のループに到達した。

これまで呑気なオカルトを科学で解体し、そして科学的な事実から超能力や宇宙人など現実の断片に過ぎない、と段々と未知を明らかにしながら、既知そのものが実は全くわからない現実の集積であると、荒木飛呂彦の興味と描写はどんどん拡張している。

更に、本作になり、初めてジョジョ以外の人物による決着。

そういう意味でも、もしかして荒木飛呂彦は引退作品のつもりで描いたのかもしれない。

7部

多次元宇宙を肯定した上で、宇宙の資源は有限であり、物質的に同一でも微妙な誤差による個体差は唯一無二で、どれだけ無限に等しい選択肢があろうとも人生は不可逆にはなりえない。つまり、運命を受け入れるしかない。

無限の選択肢すら時間に不可逆という意味で決定論的である。

それを自覚した上で人生を全うする。

決定論の肯定的な解釈はテッドチャンにも似ていて、神の如き能力を得ても当人の幸福を何も保証しないという点も同じ。

8部

現在のジョジョリオン。

スタンド能力はもはや特権でも何でもないし、同様に宇宙人や異種属もまた特別な存在ではない。

7部大統領と同じ運命操作的な能力。既に多次元宇宙を肯定してるので、運命に対抗するのは操作不能の上位次元の物質。

シャボン玉は康穂の助力が無いと空間を超越出来ないという点では量子もつれに劣る。そういう意味で作者や読者の現実よりも劣る空想能力とも言える。

無限0は、光が質量0なので、それに類する未知の素粒子で、少なくとも量子もつれは無いが、定助世界よりは上位次元の物質なので、空間は超越出来ないが、物質変化の因果は超越して存在していられる。

多次元宇宙、並行世界を肯定した作品なので、3次元空間における超越的な4次元の存在、シャボン玉や、便宜上「運命」と称する運動の対戦。

決定論的な運命と、意思の反映は全く保証されないが確率的には起こり得るシャボン玉(量子)の対戦。6部と7部でも扱った運命の具体的な可視化、7部で既に多次元宇宙も扱われていたが、ジョジョリオンの描写は多次元宇宙を並行世界として描かずに、ある既知宇宙1つだけでそれが起きたらどうなるのか、という事を描いている。

そういう意味で鳥玄坊の神と並行世界にも近い。宇宙自体は多次元だが、主観的には常に1つの世界としてしか認知が出来ない。


こうして見ると、まず人類が簡単に認識可能な既知と未知の要素から、時間と空間に至り、そもそも人類が認知不可能な要素へと順調に拡張している。

荒木飛呂彦は以前に科学雑誌か何かでウィルスか何かをスタンド的に描いて表紙になった事があるが、つまり既知と未知の物質は次元を変換して提示しているという点で、彼のファッション雑誌引用から多次元宇宙まで等しいという価値観も、全く変わっていないし納得が出来るものである。

漫画をどう読んでどう楽しもうが消費者の自由だが、作品に扱われてる題材に無知でつまらないとか言ってる暇があったら、作者が選んだ題材などを学ぶほうが読者自身にとってのためになるし、そもそもジョジョは未知に対する覚悟と行動を描いてきた作品なのだから、それこそがジョジョの読者にふさわしいのではなかろうか。

ジョジョリオン意味不明という読者は、こういう動画を見るべき。荒木飛呂彦の興味は、何と無く格好いいと思ってた欧米文化から、欧米中心に明かされた科学的な事実や歴史に以降して、人類そのものが題材となり、もはや人類すら世界の断片に過ぎず宇宙や、あるいは認識すら出来ない世界に至っている。彼のやってる事はピカソと同じで、既知情報から未知を描く事であり、既知に甘んじる事ではない。