2021年3月30日火曜日

双亡亭壊すべし(22) 本作を終えた後の藤田和日郎の行先

相変わらず旧世代に厳しい。

"旧世代の不幸はわかる。しかし、その問題を断ち切るために原因である旧々世代と共に死ね。"

内実に幾らかの同意があろうと旧世代の死を望む。

藤田和日郎、彼の怒りは本作で鎮まるのだろうか?

これが、若年が自己肯定の感動話として旧世代をお涙頂戴に利用してるなら程度が知れている。しかし、本作で除外されるような年齢の藤田和日郎がこれを描いている。

主役よりは上の世代とは言え、明らかに優遇される主役勢の鬼離田姉妹が負の反応を継いで笑っている。彼女らもまた同じだと言われてる。どこまでも断ち切れないのか、部分的に継いでも大丈夫なのか。

主役を緑朗青一を前提に上文を書いたが、藤田和日郎の思い入れは明らかに凧葉務にあり、作品の鍵は彼である。

無知のガムシャラを許さず、根拠を示せない超然を肯定する。


話は変わるが、彼が女をどこまで描く気があるのか、いまだにわからない。

女の裸に手を抜いてるわけではないが、特に今回は、一般的な禁忌は当事者にとって常識に過ぎず、仮に禁忌に甘んじるにしても、その由来と結果を理解した上で切り捨てろ、という怠惰を許さぬ主張なのに、それでいて女の裸は見開き2頁ほどの気合は無い。

彼にとって、それは読者に近すぎると考えたのか、やはり彼自身は分野としてそこまで興味が無いのか。


しこたま旧世代を断罪した上で、次世代の幸福をどう扱うのか。老人とは言わぬまでも、もはや現在の若年には通じない事ばかりやってる彼が少年漫画という枠でどう話を片付けるのか。

本作が終わったところで、藤田和日郎の仕事は無くならないだろう。しかし、本作が少年漫画をやるやらないの分水嶺な気がする。本作でも主張や芸風は変わっていないし、能天気や戦闘や乗りは相変わらずなのに、許されない事の範囲が広がってる。これが読んでいて凄くひっかかる。

王道は若年にまかせて、そろそろ荒木飛呂彦のように幾らかを振り落として描いても良いのではないか、と思う。

本作が、彼にとってやりたい放題なのか読んでいてわからない。ここから飛び去りたいのか、この枠のなかで凝縮したいのか、自分にはそれがわからない。