2020年12月29日火曜日

うめざわしゅん パンティストッキングのような空の下 こじらせを客観視するこじらせ

荒木飛呂彦や岩明均やクリストファーノーランのような、主流派と折り合いをつけつつ明らかに一般的でない思想を常識として扱える作家を探してる流れで、うめざわしゅんを知った。

ひとまず1冊だけ性格を知るために読んだのがパンティストッキングのような空の下

結論を書くと、題材や描写や情熱には頭がさがる。しかし、問題の深刻さに対して登場人物の言動の精神年齢が低い。こじらせた人間を明らかに客観的に捉えながら、見せ場の主張が青臭い。自分と合致する所もあるが、それよりも合わぬところがきつい。こじらせかたが佐藤秀峰に近い。そういう意味で作者の見る目は鋭いし、絵柄も写実的であり、厳しいものを厳しく扱ってる誠実さはある。

奥付を見ると、収録作品は出版社をまたいでいる。その点で作品の評価とは別の苦労をしたのだろう。それが、作品のこじらせかたと同じく作者のこじらせもまた佐藤秀峰に近く揉めたせいなのかはわからない。ただ、本作を読む限り、作者の問題や作品として肯定してる要素に対する客観性は岩明均にも近く、かなり線引きがなされてるように見える。美化してる醜さというのを自覚しながら描いてる。その点で、恐らくは作者ではなく純粋に作品の指向で出版社が扱いかねたのだろうと予想している。

作者や作品というよりオス(男)の限界として、どれだけ深刻な問題でも女からの救いを求めている、あるいは女と寝るとやりすごせる。このあたりはハウスオブカードが見事に描いてるが、その原理を本作または作者も心得ている。それだけに、男によってくる美少女の嘘くさい事この上なく、幻想に酔えない。

これが商品として割り切った美少女なのか、批判のための美少女なのか意図はわからない。ただ、酔ってる人間を見せる事で酔い覚ましを狙ってるのは明らかで、その意味で肯定される要素をふんだんに盛り込んだ上でそれを批判しながら自身でも否定しきれないというあたり宮崎駿にも通じる。本作も荒廃した未来のディストピア要素も多くあるし、日常的な中にSFをしれっとぶっこむ感じも。収録されてる学級崩壊なんか、自分は好きな類で、常識を比喩として描いたらこうなるし、その比喩自体が写実的であり、そして読者の常識と作品の常識が微妙に意図してずれてる。

人格や感情が過剰な登場人物が好かれて消費される中で、それを羅列して漫画として肯定しながらも読者の常識を批判してるのは面白い。読者を批判しているのではなく、読者の常識を批判している、という線引きもまた作家として誠実である。

にしても、自分には舞台演劇に近い登場人物の描写がどうにもなじめなかった。扱われてる題材が深刻かつ丁寧であるほど。作者は恐らく読者ほどサブカル的にこじらせてないように見えるが、エヴァや押井守のような提供者と消費者の乖離を感じる。提供者と消費者が共にこじらせてるのは同じだが、こじらせてる点が異なるのに同一視される感じというか。そして、題材や描写が基本的には消費者に冷ややかなのに、見せ場で明らかに酔わせるように描かれてる点が、自分には疑問でなじめなかった。