荒木飛呂彦が60歳になった。
それを祝う声がSNSでうんぬんと記事なっていて、疑問と怒りが湧いた。
彼が老いた体に鞭打って最新最高に挑んでるジョジョリオンを、誕生日に言及したどれだけの人間が読んでるのだろうか?
旧来のジョジョと違う事をやったら難解と言われ、構成上の必要悪で旧来のジョジョと同じ事をやったら、やっと面白くなってきたと言われる彼の不幸。
これまで荒木飛呂彦はジョジョ全てを通じて、立場や能力を問わずに観察して考える大切さ、超能力があってもどうにもならない未知に自ら触れる勇気と覚悟の重要さ、それを変わらず主張してきたし、それはジョジョリオンにも通じる。
しかし、旧来のジョジョと荒木飛呂彦を天才だの大好きだの喚く読者に、ジョジョリオンという未知を観察して触れる者があまりに少ない。
彼の黄金の精神は読者に届いていない。
スタンド戦、突飛な台詞、ラスボスが誰かなど、ジョジョにおいては主題では無い。
生まれた環境の理不尽と向き合い切り開く人生。
超能力は箸や鉛筆と同じくらい人類にとって当然の事で何も特別ではなく、逆に箸や鉛筆を使うというのは超能力に等しい人類の実現性。
個人の感情や人格より、あるいは人類よりも重要なことがあると自覚しながら個性と人生を見いだし発揮する行動。
ジョジョリオンは、これまでの若く未熟だったジョジョの軽薄さを否定しながら、1部から続くジョジョの核心を継いでる、現時点での荒木飛呂彦の最高傑作である。
しかし、旧来の肯定派読者やアニメ視聴者に全く届いていない彼の作家としての不幸。
もしも荒木飛呂彦の誕生日をめでたいと思うのならば、おめでとうと言ってる暇などなく、ジョジョリオンを買って読み、その素晴らしさを自身の人生に反映させる事こそが、何よりも彼への祝辞ではなかろうか。