2020年5月16日土曜日

吉成圭子の1stアルバム「蒼い天使の糸」を2020年に購入


  • 目的は「いつか輝く」
    • → 他の曲は知らなかったので、ついでに聞こうと購入。
  • 5/11曲が羽毛田丈史だった。
    • → しかし、良いと思ったのはわたし雨の記憶で彼の曲じゃなかった。
    • → 作曲はそれぞれ伊秩弘将
    • → 編曲は両方とも岸村正実
  • 演奏者がクレジットされてない。
    • → 最低でも、[ベース/ギター/ドラム/コーラス]がシンセじゃないのにクレジットされてない。
    • → シンセを好きで使うのではなく、シンセ使えば金使わなくてもそれっぽく出来るんだろ、という態度が伺える。
    • いずれにせよ時代の傲慢さ。作曲や編曲や演奏じゃなく、プロデューサ(高橋廣行)の目配せが時代に便乗する事しか考えていないように見えた。
これ、彼女が売れなかったのはPのせいじゃないかと思った。
無責任な結果論に過ぎないし、レイアースのタイアップから続かなかった点は厳しい。
しかし、1995年に小室を中心としたピーチクパーチクの裏で、菅野よう子は中国をやっていた。
※小室の曲で今でも自分のiTunesに数曲ある程度には、彼の音楽も肯定している
マクロスプラスではシンセ曲をやってるが、考え方が根本的にシンセ中心じゃないし、雑な穴埋めという感覚が無い。
当然だが、当時からジャズやクラシックが消滅したわけではないのだが、それらを自身の生涯(仕事)にどう活かしたかという話。

偶然に、自分のiTunesでは今回のCDの次が崎元仁の蒼穹紅蓮隊だった。
放置して流してたら、くそしょぼいサターン音源の音楽が流れてずっこけたのだが、数小節を聞くと、ちゃんと迫力と手間を感じられる。
上限を自覚しながら、やれる事をやりきってるのは、聞けばわかる。
つまり、分野の優劣ではないのだ。

そういう意味で、坂本真綾は本当に幸運だった。
エスカ起用は彼女のチカラだが、当時はまだ棒読みだった彼女が、菅野よう子の音楽により演技以外の仕事の幅が広がり、そして演技にも繋がるようになった。

仮に、吉成圭子がマクロスプラスのVoicesを歌っていたら、どうなっていたかと夢想する。
1995年と言えば、Protoolsのピッチ修正もまだまだ実用じゃなく、録音はSONYの48が主流で、丁度Protoolsに乗り換えるか否かという刃境期。
修正が困難だからこそ歌は歌手の実力9割という時代だった。
その時に、アイドル的な路線に限るとは言え、これだけ歌えていたのなら、まだまだやりようがあったのではないかと考えてしまう。

先日佐野康夫「ドラムレコーディングの流儀」を見たが、最後に「出会った全ての人に感謝」と極めて常識的で宗教的な終わりかたをして笑ったのだが、これは人類が死滅するまで続く、人類の問題であるのも事実。

演奏やミックスなどに不備は無い。
好き嫌いはあれど、間違いなく商品の水準に達している。
しかし、全体的に発想と実現性を煮詰めた感じは全くしない。
数ある若年消費を右から左に投げただけかと。

ただ古い音楽を気まぐれに聞くために買っただけなのに、色色と考えさせられた。

事実か不明だし、内容も知らないが、日本初のビデオ会報は笑った。