これまで田辺剛が漫画化したクトゥルフを全部読んだが、1番つまらなかった。
しかし、それは相対評価。
田辺剛は相変わらず良い仕事をしている。
では、なぜつまらないと思ったのか。
- クトゥルフ神話とは
- 現実に存在する未知の世界/自然現象
- それに対する人類の限界と、人間の勘違い/思い込み
クトゥルフ自体が代替可能でありながら、クトゥルフを利用して「現実と幻想/既知と未知」を両立して代弁してるから。
つまり、固有名詞は嘘でも、これまで人類が経験を下地に、起こるだろう/起こってほしい/ほしくない事を描いてるという点で、全く嘘が無いという誠実さが、クトゥルフではないか。
- 本作を読んで気になった点。
- クトゥルフの知能が人類を超越してるなら、クトゥルフ時代の自身に対する災害を克服していただろう。
- また、クトゥルフが人類と「会話不能」な「動物」ならば、「人間の夢/催眠術」を利用して、ちまちまと1人や2人程度の生け贄を求める手段を持たないだろう。
- かつ、そんな超巨大な生物ならば生け贄の量が少なすぎる。
だから、これまでの田辺剛の漫画化の中で、今回だけ唯いつ乗れなかった。
原作の作成(発表)順を知らなかったが、漫画の発売順と違い、本作は初期作らしいので、だから未熟だったのだと読後に理解した。
人気作の魍魎の匣から始めて、塗仏の宴のために姑獲鳥をやったみたいなものか。
繰り返すが、田辺剛は相変わらず良い仕事をしている。
もはやクトゥルフから離れて田辺剛の新作を読みたいほどに。
去年、個人的にBotWに並び、能力の程度を問わずに気がすむまで「(再)挑戦が容易で解決が困難」という自分が求めてるビデオゲームを満たしてくれたReturn of the Obra Dinn。
内容はクトゥルフではないが、過去の事実に対する虚実の判断をプレイヤが決めるという点で、実にクトゥルフだと思った。
そういう意味で、クトゥルフとは「怪物を見せびらかす」のではなく、火が熱い/夜が怖いなどと同程度に知性的な超巨大生物(超常現象)が存在する価値観を指す名詞だと、自分はそう考えている。
だからこそアニメや少年ジャンプから抜けられない消費者から不評のジョジョリオンこそがジョジョ最高傑作で超楽しい。
かつてのわかりやすい人格や超能力の先に、箸や鉛筆を使うように日常としてスタンドがあり、歩いたり握ったりするのと同等にスタンドを駆使して、戦闘を目的としない目標に前進する。
かつて奇妙な冒険と称しながら「ひたすら過剰な人格の超能力バトル」に甘んじてきたジョジョ(荒木飛呂彦)が、ついに「内容を問わず困難を突破する」原理、奇妙な冒険に至ったのだ。
つまり、人類/人生そのもの。
クトゥルフ関係で、かつ無関係にも日常の超現象を調査するクトゥルフ神話×伊藤潤二作品ライクなホラー『恐怖の世界』正式発表、PS4/Nintendo Switch/Steamで2019年発売。日本語に対応が面白そうで、これも楽しみ。