2019年9月15日日曜日

修羅の刻 - 本多忠勝と立花宗茂を読んだ感想「若さに及ばず老いに至らず」

好評

  • 柄尻で殴る
  • 袈裟という何のひねりもない基本的な行動を必殺技のように見せる描写
基本的に、少年漫画の必殺技に反する基本的な行動のみを見せ場にしている。

    悪評

    • 言動/立場の記号化
    • もはや歴史の合間を埋めるのではなく、その瞬間の見せ場だけあれば登場人物が誰であろうと構わない投げやり。
    • 女が出産する機械
      • 登場人物は陸奥と無関係でいられないのは当然だが、陸奥とのつながりは絶対条件なのだから、陸奥以外の要素を見せて、初めて必然的な女という存在になるのだが、川原正敏にそのつもりがない。
    老いた陸奥や母親を描くのは良い。
    川原正敏も老いたのだから、その価値観で作品を提供するのは正しい
    しかし、老いた強みである筈の価値観が乏しい。
    ある水準を満たした者だけが陸奥を継いで名乗れるという設定も無視して、陸奥じゃないけど陸奥として挑むとか、小学生の子供が親に怒られるのを避けるために矛盾しかない嘘を連呼してるのを見せられてる気分。

    言葉も構図も裏がなく、老人が孫に読ませる絵本のような感じ。
    それ自体が悪いものではないが、無駄を無くしたのではなく、出来ない事が増えただけのように見える。

    なぜ修羅の刻(義経)がシリーズ最高傑作なのか。
    それは、嘘も誇張もあるが、陸奥が当事者として時代の出来事にどう絡み、義経の伝説の何を担って、そして何が出来なかったのか。
    漫画の超人でありながら、世界観の中の超然と限界が明確に区別され、例えば八艘飛びという言葉をつかわずに陸奥の行動だけで伝説の内容を見せつける。
    そこに人間関係など視覚ではない意味情報も連続していたから、修羅の刻(義経)は名作なのだ。

    尺は問題ではない。
    修羅の門(弐)にも言えるが、今あげたような要素を吟味して考え尽くして描いてるように見えない。
    サムネを餌にしてる動画のようにしか見えない。

    実際には、それなりにやりたい事はわかるし、手抜きではないのだが、若い作家に絵の勢いで負けて、老成の作家というにはあまりに価値観が幼い。
    レオングラシエーロや義経は今読んでも響くものがあり名作だと評価してるからこそ、そして海皇紀も終盤がラノベで酷いにしても全体的には着眼点も描写も良い作品だと認識してるだけに、近年の川原正敏を読むのが、あまりにつらい。