2019年7月21日日曜日

ジョジョリオン(21) 神話の不可解に残った文化と環境に興味なくキャラ萌え商品を求めてたら面白いわけがない



ジョジョリオンは神話

聖書であり古事記でありギリシャ神話であり山海経である。
例えば、20巻のうーとも戦は、恋愛未熟である康穂が女の潜在的な恐怖、強姦と妊娠に直面するも、既に出産して母親である密葉が愚かな男を追い払い、康穂と運命の男(定助)を仲人する。
そういう話。
それを、スタンド戦という比喩にすると、ああなる。

それぞれの話の主題は、関係と状況と決断と行動であり、時間の前後ではない。
もともと荒木飛呂彦は整合性ある長編を書く能力は無いし、面白ければ設定は捨てると公言もしている。
今作は、戦闘よりも展開を重視してるために、その粗が目立ってるのも事実。

89歳は、まんまレクイエム。
3部から5部までは時間。
6部以降は運命そのものがラスボス。
能力が被ってるのは事実。
しかし、例えば太陽神などは世界各国にある。
太陽は唯一なのに、国によって環境が異なり扱いも異なる。
ジョジョリオンのスタンドは、そういうもの。
そして、神話の不可解さ。
日本の神は神の糞尿から生まれている。
八岐大蛇は製鉄の川。
山より巨大な蛇、燭陰はオーロラの比喩ではないか。
なぜ牛や豚が神聖なのか、それはわからない。しかし、神聖だと思い込んでいる文化における奇跡と罪悪はなんなのか。
荒木飛呂彦が老成し今描いているのは、これら社会、文化、場所、土着、そこに生きる人間であり、思春期が喜ぶスタンド戦闘ではない。
また、美化された偶像だけではなく、美化された偶像に対する人間、文化の美醜である。

気になった事
康穂と元彼の関係への定助の顔芸。
病院のモブがアシスタント作画ですらなく有料素材っぽい。
残り時間の経過が雑。

現在、連載中の漫画で買っているのは、ゴールデンゴールドヒストリエと本作の3冊だけである。
つまり、ジョジョリオンの読者層は、そういうことである。