2019年2月26日火曜日

原作厨から見た映画「銃夢 アリータバトルエンジェル」の感想

良かった点

冒頭30分ガリィの目覚めとクズ鉄町
原作1話のくだりを、映画1/4尺を使って丁寧。
クズ鉄町という環境や、記憶の無い自身を悲観せず前向きなガリィ。
音楽がまとも
ジャンキーXLがやると聞いて、どうせあっぱらぱー騒音なのだと思ってたが、間違っていた。
冒頭の、会話の少なさ。とにかく未知の体や環境の驚きだけを提示する素晴らしい演出。
インラインスケート
80年代後半から90年代前半に見られた、スポーツ的な町中観光。
D2 マイティ・ダック 飛べないアヒル 2フックグーニーズを思い出した。
80年代のローラースケートから進化したインラインスケート。
それを題材にした名作ビデオゲームJSRFや、Xゲームで日本人が活躍していたハーフパイプ。
自分もアグレッシブとホッケーの両方でインラインスケートをやってた身として、演出や扱われてる要素として懐かしく面白かった。
関節と重心
序盤のキャラ紹介としての格闘は素晴らしかった。
敵の攻撃を流して関節、崩した敵の重心を攻める。
無重力の修行
原作でも言うほどは消化されていないが、既存の格闘技と異なる作品要素として、宇宙時代、無重力化での技術発展があり、その要素を軽くではあるが消化してたのは良かった。
あの場面で見られるノヴァのひょろひょろ感があまりに情けなくて笑った。
Alita: Battle Angel (2019) - Rotten Tomatoes

悪かった点

形だけの黒人アシ
終始笑顔で、ポリコレのために存在してたゴミ。
ジャシュガン白人化
原作4巻の途中くらいまでの映画化なのに、クズ鉄町から出てバーサーカー体を得るための移動車が、原作5巻のザパン回で出てくる車だったり、ザパンとの因縁は扱わなくともマードックの扱いの良さなど、LO(2nd)以前の1stシリーズは読んだ上での映画設定作りなのに、なぜジャシュガンを白人化したのか。
彼は、SFの中心である西洋技術に敗北し便乗し、アジアの妥協と自立を担っているインド中東系の人種だったのに。
別に尺とか構成の問題で出番が無いのは良い。
しかし、映画には無関係とは言え、原作2ndシリーズLOでも主要キャラのアガ・ムバディはジャシュガンと同系人種であり、明らかに意図した選択なのだが、そういう箇所は全て無視した白人化。
ノヴァの根本変更
これは映画化に伴い仕方がないのはわかる。
しかし、ノヴァの存在理由って、混沌である。
映画では秩序だった組織を徹底した、ただの悪役で、しかも、その悪とされる理由が映画では全くわからない。
原作ではそもそも、ザレムとノヴァとガリィの3すくみであり、割り切れない何かを題材にしてる。
ノヴァ対ガリィ自体はそれで良いが、単純化しすぎてノヴァの馬鹿っぽさだけが目立っていた。
ジェニファーコネリー不要
彼女はOVAのオリキャラ。
イドとガリィの健全親子関係は、それで良い。
ただ、彼女はいなくても話が成り立つし、ガリィの危機ではなくユーゴの危機で心変わりが唐突。
いちおう、ガリィの様子が、当時の自分たちと重なったという説明は出来るが。
ザレムのパイプ過去
ガリィはザレムから来た。
あるいは、更に上の宇宙関係の人だと示されてるのに、なんで回想でクズ鉄町からパイプのぼってザレムに向かってるんだ?
当時、宇宙あるいはザレムに認められてた人間のテロなら内部から破壊するのが定石だろうし、決してクズ鉄町に正義があるわけでもないしノヴァとガリィの戦いにたまたま環境がザレムとクズ鉄町という構図があっただけで、実際に、映画内でザレムを悪としては説明されていない。
対マカクのために酒場で賞金稼ぎを説得する場面も、マカクが逃げただけでクズ鉄町で暴れてる描写がなく、好き勝手にやってるってのは無理があった。
たたガリィが私怨で業界を巻き込んでるだけじゃねえかと。
ユーゴの左腕
映画だし、全員生存のハッピーエンドにしてくるかと思ったら、ここは原作通りだった。
問題は、ユーゴの腕。
腕が切れて落下するユーゴまで原作通りなのに、なんでちぎれた腕をガリィは手放してるわけ?
ユーゴ自体はもはや頭だけで、あの腕はユーゴとは無関係な機械にすぎないのに、一時のユーゴだった、接点だった物体にすがってしまうガリィの悲しさが、あの腕だったのに、そんな文学的な表現なんざ理解できない馬鹿なアメリカ映画。
最終決戦の欠如
本作に限らないが、アメリカ映画は決闘の決着が相変わらずへた。
巨体に使わない関節と重心と周破衝拳
周破衝拳(ヘルツェアハオエン)を使わないガリィ。
日本の作品は基本的に、大きさや量に劣る自分達がどのように勝つかを描いてるわけで、その1つが周破衝拳(ヘルツェアハオエン)。
強固な物体ではなく、その内部を破壊する技。
陸奥の無空波やシャドウスキルの神音やいぶきの鎧通に限らず、アジア格闘技の基本的な理念の1つ。
しかし、格下相手には関節や重心を攻めても、肝心の巨体多数には、より大きなエネルギーをぶつけるだけという頭の悪さ。
ブレード順手でしか使わない問題にも繋がる。
ガリィの機甲術パンツァークンストは火星古武術で、基本的には格闘技の延長であり、剣術ではない。
腕は内側にまがり、順手だと自由に腕を動かせないから基本は逆手なのに、その前提などを理解していない。
マカクとの決着でも、ジャシュガンを映画で使えないのなら、ジャシュガンと決着をつけたアルスマグナを、映画上の最終技にすれば良かったのに。
最後に形だけ腕につけるブレードじゃなく、映画上の最終決戦で過去の一部を思い出し、あるいは無意識にかつての構えをとるためにバーサーカー体の一部が変形してブレードが腕に装着される。
そして、アルスマグナ。
これで映画的体裁と原作ファンの両立が容易に可能だったのに、なにあの大上段。
健康体しか歩いていないクズ鉄町
例えば下半身が無いとか頭が頭部以外のとこにあるとか両腕がないとか、肉体的欠損や違いの人間が全くいない。
五体満足な健康体が平然と歩いてるだけ。
翻訳者は原作を読んでると思うのだが、結局は原作がドラゴンボールを避けるようにしてた努力を無にした。
銃夢の工夫は気ではなく機であり、気という出力エネルギーは機械の体なんだからプラズマとか炎とかの類であり、それを制御し未来予知的な覚悟による行動を決断する機というのを提示したのに、映画の前提もそうだが、オリエンタリズム万歳。

終わり方

続編があるかは不明だが、結局まとめきれなかったというのが感想。
それと、ジャシュガンというキャラは原作において重要なのに、ファンサービス的にも映像的にもこうやって終われば良かったのに、と思った演出を絵コンテ書いた。
基本的には映画の終わりかたを引き継ぎ、ノヴァとガリィの対面まではそのまま。
そこから、ガリィの後ろに人影。
そこにはジャシュガン。
原作4巻の「ここが世界だ」に近い、ジャシュガンとガリィの交流を匂わせるちょっとした言葉をかわし、ザレムをかけたモーターボール最終決戦が開始。
ガリィがカメラに向かって疾走、アルスマグナ斬撃がそのまま画面を切断、そこから題名が現れて、終わり。
全体としては、悪くなかった。
前向きで健全なガリィや、説明台詞以外に頭の悪い会話がなく、基本的にはとにかく映像だけで楽しませようという心意気。
原作ほどではないにしろ、ちょいちょい原作がもってる主流に反する天の邪鬼的な表現の一部をやってる。
明らかに原作を理解してない浅薄な改変はあるが、入り口としては原作を馬鹿にしてないし、ディズニーマーヴェルよりは毒があり人間関係や状況や環境を真面目に描いてる。
ただし、原作を知らずに映画を肯定した観客にとっては、原作はあまりに毒が強くて読めないのではなかろうか。
3Dも見やすく映像的な配慮も素晴らしく、原作既知としての細かい不満はあれど、あっぱらぱーではないが気軽に見られる大衆娯楽としては、それに銃夢が選ばれたのは、商売としては良かったのではないか。