2019年2月3日日曜日

ポッカリした「インフルエンザ」

出演者は何も悪くない。
企画、構成、音響、指揮。
プログラムには出演者だけでスタッフが書かれてないのも全くふざけてるが、誰か不明だが、総指揮の怠慢と判断してる。
前提として、自分にとってのまともな音響(音質)は、言えば耳コピできるほどに整理されてる。
そして、未知の曲でも思い出して探り探りでも再現できる程度によりどころとなる音程、演奏を判別できる。
  1. 音響
  2. 編成、編曲、構成
【音響】
エレキとベースの飽和。
  • 歌詞を聞き取れない。既知の歌詞すら聞き取れない事があったが、未知の曲はもはや何語かもわからなかった。
  • ヴァイオリンも参加してるのに、よほど高く長く弾かないと掻き消される
  • 演奏じゃなく距離の問題でキックが半拍遅れてた
  • マイクを通してるのでドップラーではありえないのだが、梶浦の時に、ProtoolsのReverbバグやM-AudioのDelta1010熱暴走時みたいな残響音のピッチが毎秒落ちて狂ってくみたいな感じがして、ヴァイオリが半音近くずれて聞こえる時がちょいちょいあって気持ち悪かった。
  • ダイアモンドクレバスや新居昭乃の弾き語りくらい楽器を限ると伴奏もちゃんと聞こえるが、基本的には飽和してベースの音程も聞き取れないし、コード、和音として認識できなかった。
  • Deesserが甘すぎる。Akino自身は元気に全力で歌っていて素晴らしかったが、全音符フォルテシモになるとDeesserが不十分で耳が痛くなり、それに耐えられず、帰宅。
  • 誰もがタイアップ中心で大きく目立つ曲ばかりで、音色も編成もそれほど変わらず、例えば梶浦由記がピアノを弾いてる間はエレキをさげるなどリアルタイムの対応も皆無で、耳障りで耐えられなかった。
  • 思えば、Hans Zimmerのライヴは、2000年前の石作り野外会場にあわせて、音響機材を全てもちこみ、メインスピーカーの他に左右に5個ずつ、低域と高域補強を正面に1つずつ、そして会場は半円で会場と全客席の距離がほぼ等しく位相がずれないようにもしてた。
  • あんな奥行きがある会場で音程もリズムもずれるのは当然で、あそこを選んだ過失もあるが、そもそも、日本で1万人規模の会場でまともな音を聞ける場所なんて無い。ここ10年で思い知った。
  • 自分の席は卓にから15mから20m程度の場所で、割と良い場所だったにも関わらず酷かったし、休憩後にもっと卓に近い場所で立ち見してみたが、問題は変わらなかったので、諦めて帰った。
【編成/編曲/構成】
  • ダイアモンドクレバスのイントロで嫌な予感はしていたが、演奏者を揃えておきながら、録音した音源を使い過ぎ。あのイントロなんてピアノかエレピを弾けばいいだけなのに。
  • 当時だけの編曲が皆無
  • Hans Zimmerのライブでしか聞けないメドレや編成などなく、菅野よう子が超時空七夕ソニックで見せたような、約束はいらないの原曲や他ライブではないコード進行など無く、既存曲を既知のまま羅列するだけ。
例えば、新居昭乃は弾き語りで、頭でいきなりミスタッチしてたのも愛嬌で、演奏も歌もライヴらしくブレはあっても、歌も伴奏も通して聞き取れる素晴らしいものだった。
しかし、例えば照明があたっていないから気づかないが、間奏で不意に弦カルが入ったり、そういうものを期待したが、そういう事は全くなかった。
例えばこういう感じで演奏のクレッシェンドと照明のフェードインと合わせて間奏で弦カル来たら感動できたのに。

出演者のサプライズはあれど、企画/構成自体が観客を音楽で驚かせる事を放棄してる。
星間飛行は個人的にはうんざりだが、代表国なのでやるのは当然だろう。
しかし、同じ作品で全く手抜かりなく作られてるのに、主題歌的なものにしかひっかからない消費者や、あるいは聞く機会がなく悲しんでるファンのために、このライヴように些細であるが使い回しではない書き下ろしのつなぎでメドレーにするとか、5分尺の中でも色色とやりようがあったではないか。
例えば菅野よう子風のメドレつなぎ案
出演者が変わっても、目立つ楽器、音色は変わらず、歌手の音域によっておこる高域問題も無視。
人と曲の羅列で、10周年の冠にふさわしいライヴでしかありえない演奏者の遊びや特別な演出も無し。
出演者はただ真面目に仕事をしていたが、企画自体はいるだけで構成されてやる事があまりに不足していたように思う。
少なくとも、1万円もとっていい編成と音質ではなかった
あれが超時空七夕ソニックやHans Zimmerより高いなんて、ありえない。

それこそ、出演はしなかったが、構成と演出だけでも、インフル野郎に任せるべきだったのでは。
もちろん作家同士の問題もあるので、それなりに区切りがあるのは当然だし、出演者は自身の作品を好きにやれば良い。
その合間を埋めて、その日しか聞けない演奏の展開。
ライヴのための編曲も演奏も惜しまない全力過剰な彼女が絡んだ企画とは思えないし、不可抗力とは言え出演しなかったお詫びに、自身のピアノと弦カルと幾らかのゲスト歌手で、シンセや録音音源が一切ない生演奏のライヴをやってほしい。
それこそ90分1万円でも、その場の全力演奏の音を全て聞き取れるなら、それで音楽的には幸せだ。

これが、ある個人のツアーとかなら、ここまで失望しなかった。
しかし、多くの作品を抱えた会社の記念ライヴで、手数と目玉にしながら、この価格で、ありえない。