例えば、デイトレで自活してるが人間関係が希薄で自宅にしかいない人間をひきこもりと言って良いのだろうか?
インターネットがある時代、肉体は1箇所の部屋から動かずとも他者と交流は出来るし、会話がなくても経済活動をしてる以上、他者と相互影響はある。
どんな言葉もそうだが、ちゃんと定義しないと意味をともなわない雑音に過ぎない。
天岩戸における天照大御神が問題だったのは、彼女がひきこもった結果、ある集団/場所/社会に不利益があったからだ。
つまり、活動停止により、ある集団/場所/社会に不利益が発生するのをひきこもりとするならば、出力してる立場/状態をひきこもりと言えるのだろうか?
人間には、習慣が変わるたびに語彙を変える習慣がないという事実は、しばしば歴史家を大いに絶望させる
過去から現代まで直接伝えられてきた述語が、現在もいろいろな意味で再利用され、新しい意味を負ったまま再び歴史へと投影される例は非常に多い。その結果、遠い過去が同時代の世界に似ているように、この世界にもっと近いように感じられてしまうのだ。