以下はSwitch版でウルピナ編を終えた感想。
プレイ時間は50時間。
ラスボスには1時間かかった。
否定
ほとんどがUI,HUDの不備に尽きる。- 戦闘中Yで全員の行動を一覧出来るが、斬突など属性が見られないので、結局1キャラずつ見るしかない。
- 鍛冶で、装備してる対象の標準や技巧など属性を見られない。
- 技術が、そのキャラが覚えてるもの全てを1画面に表示できない。
- 境界。各マップへ移動するのに、境界を選択後にキャンセルすると市町村に入り直さないといけない。
- 地上絵と蝶。オブジェクトの操作を、蝶がキャンセルしてきてうざい。
- HP円グラフが保護色で見づらい時がある
- TV画面UIがコントラストが強く文字が小さく、とにかく見づらく目に悪い。
- Tipsが見づらい。敵の種族によって弱点が異なるが、1種族ごとにしか見られない。一覧が無い。
- とにかく、UI,HUD周りが不便。1入力で済ませたい確認が2回も3回も入力しないと表示されない。
- ラスボス戦だけ、ステータス画面の自己紹介文が異なる素晴らしい演出があるのに、音声は未収録。
肯定
- 選択の損得が等しい。
- 厳密な統計ではないが、物語のために戦力を犠牲にしたり、素材のために仲間を犠牲にしたり。
- かつてRPGに限らず、ビデオゲームはプレイヤ同士の対戦でもなく、快適な自己陶酔の道具でもなく、開発者と消費者の勝負だった頃がある。難易度の2極化に伴い、選択肢が無意味、あるいは極端な損得が基本だったが、ビデオゲーム内のジャンルに仕様や発想の垣根が無くなった現代に相応しい、選択の反映、決断自体の難しさ、が想定されてる。
- SEGA AGES ファンタシースターをやった時に、プレイヤが損しかしない罠に溢れてて笑ってしまった。サガもそういう時代があった。
- もともとサガシリーズはリセマラが前提のような、確率的な要素が強く、時代に添わないように思えたが、あらゆる点がリソース、資源という考えに帰結して、一般的なRPGよりも簡素で貧しく見えるが、実は階乗的な多様性に溢れてる。
- 自己陶酔の物語ではなく、実際の歴史を参考に、その断片を疑似体験しながら、それら物語とビデオゲームの娯楽性の類似と乖離を両立している。
- 例えば、羊を死刑にする村の話なんて、全く本筋には無意味だが笑ってしまった。
- これは、ジョジョの荒木飛呂彦にも通じる点で、本編とは無関係な小話が、結果的に作品の幅と深みに貢献している。
- エンディングも、歴史ものによくある登場人物の後日談をまとめたものだが、悲惨や悲哀も多くあり、特にオグニアナが、それ言わなくていいだろと。
- 音声を2種類に選べる。思春期向きと爺婆向き。
- 難易度の変更。サガシリーズはマウスクデータが多く高難度が売りではあるが、例えばケツイ Deathtiny 絆地獄たちがステージセレクトどころか、ステージ分割リプレイを容易にしたように、ある瞬間の観覧や検証だけをやりたい、そして原理上ビデオゲームはそれが容易なのに、楽器の小節や将棋の手番のような事を出来ない物ばかりで実に愚かな商品が溢れてるなかで、柔軟さと快適さを含めた仕様は素晴らしい。挑戦したプレイヤだけが挑戦すれば良いのだから。
- ロマサガ1から、主役毎に音楽が違った素晴らしい演出だったが、今回は4人しか主役がいないとは言え、戦闘曲まで4人毎に異なるのは素晴らしい。音楽自体も、耳障りじゃなく、それでいて空気でもない、配慮が行き届いて耳にも残る良い仕事。
- フィールド移動も、主役の距離によってオブジェクトが発現消失するので、視覚的に飽きにくいし、アニメーション自体は地味ながらちゃんと作られてる。
ファミコンから今まで、間違いなくJRPGの上位に入る。
でも、売れない。
少なくともFF15なんかよりもよっぽど消費者の事を考えて、作者のやりたい事も出来てる素晴らしい作品なのに。
河津にこそ主流の予算を与えてほしいと思ったが、同時に、幾らかは後年の修正があるにせよ、今の河津自身に発想を実現する能力があるとわかったので、へたに予算と政治に巻き込まれるくらいなら、彼が指揮れる範囲でしっかりしたものを作って欲しい。
そうすれば、長期的には愛され遊ばれる作品でいられるのではないか。
少なくとも、河津とサガが終わらない程度には売れてほしいが。
今は2人目のレオナルドを低難度で開始。
ウルピナの兄や、義母も消化していないし、1周が終わった段階で、未消化の要素をしっかりやりたくなるくらいに、ちゃんと楽しかった。
予算を感じられるほどの大作ではないが、RPGという分野自体を好きなプレイヤなら経験が義務と言えるほどに、よく出来て、長く遊べる。