2017年9月19日火曜日

【ダンケルク】最初に幽霊やエイリアンが出てくるまでが1番怖いホラー映画を最後までやりきったホラー映画

  • 【英雄不在】これまでノーランは明確な主役がいたが、今回は展開のための記号。今迄で1番に感情移入以外の要素のための存在。
  • 【ナチスドイツ】ドイツは明確な敵であって悪ではない。今でも特にアメリカを中心に原爆投下を正義としながらナチスを絶対悪にしなければならない自己陶酔な思い上がりが欧米世界の中心だが、本作は死ぬ原因であって善悪を描いていない。これはノーランがうまく逃げたとも言えるし、故に普遍性も獲得している。
  • 【女と黒人】イケメン白人だけの話なだのだが、限られた状況を題材にしているからか、こういったポリコレを全く気にせず作られてる感じに笑った。今回のヒロイン不在は、ノーランだから許されたことで、本来ハリウッド映画なら妻なり恋人なり看護婦なり女神が必ず存在したろうに。
  • 【音楽】今回はもっと音楽を減らして良かったのではないか。船や飛行機や銃声など、これらが全て。音楽も効果音に近い仕事をしていて、かなり裏に廻っているが、それでも、今回に限ればHans Zimmerというブランドは不要だったように思う。少なくとも消費者からは。当事者からすれば、企画力と実行力を備えた作家を使うのが早いという合理性がある。ブレードランナーもHZがやるようになったし、曲の好き嫌いはともかく、現場としては、何でも出来て困らない作家だから、もはやどうこう問題ではないのだろう。
  • 【人の距離感】自分がノーランを好きな理由の1つ。登場人物と観客に距離がある。あるいは登場人物同士すら距離がある。今回は特に3人称ながら1人称的な映画で、人物Aが人物Bを見てる時、人物Bの本意は観客にすら知れない。それが、互いの英雄性を高めている。特に、今回は人が人以外の人工物、船や飛行機を見る場面が多いが、人物Aは船や飛行機を見ても、その中にいる人物Bの内実を人物Aにはわからないように描いてる。これが日本的なロマンチックになると紅の豚になる。ジーナの庭に豚が飛んできて、観客にはジーナと同じく遠くを飛んでる飛行機だけが見えて、豚の描写が無い。自分はあれを思い出した。船乗りの兄の話が最高。あそこで、写真とか回想を見せずに、当事者が既に無い事にしれっと触れるだけ。
  • 【無駄死に】キリアンに殺された男。あれが映画的にいるかどうか何とも言えないが、兵士以外の死。しかも、仲間による無駄死に。本作の終わり方もだが、映画的には感動的に見せてるが、登場人物は当事者として必ずしも感動せずに、むしろ反抗すら抱いているように終わる。
  • 【切れ目が無い】今回は映画の段取りでは感動的な場面でも、すぐ次にあまり気持ちの良く無い場面にうつる。ジェットコースター映画とは違う、大失敗でもなく大成功でもなく、過剰に見出させない。とにかく疲れた。トムハーディのプロペラはギャグだと思って笑ったが、その後の終わりかたで、もうどう見て良いのかわからなかった。キリアンも今回は笑い無し。彼は出てくるだけでちょっと浮いてるおかしさがあったが、今回はしっかり差し迫ったままで、ちゃんと出来るんじゃねえかと。
  • 【車窓】ノーランの売りの1つ。奥行きある遠景。最後、電車から見える景色で、自分は泣いた。映画の感動的な場面でもあるのだが、昨年に人生初の海外旅行フランスに行った時に思い知った、見知らぬ国と見知った場所の風景だけで生涯に残る何かを見出せる、というのを思い出して。
  • 【テロ】もはや、特に日本の我々はほとんど戦争を知らない。しかも、本作においては当時敵国の話でもある。これを見ながら現在のテロについて連想した。戦争は知らないが、こういった状況の体験が欧米主要国にとって他人事ではなく、その一部は日本の自分達にも見られるし、あるいは経験した。そういう意味で、本作の意図はどうあれ、こういった疑似体験がどこまで娯楽となりえるのか。今の欧米テロは戦勝国のツケである。本作の意味というよりは、いつものノーランらしく、本作は過剰に戦争悲惨だとか美化だとかせず、とにかく恐ろしい状況をすげえ映像で程々に娯楽的に教訓的に描いた点に優れていて、可能な限り実物で実現をした作品だからこそ、その実現がどれだけ体験に結びつき、その体験が必ずしも良いことでは無い事もある。意図的かわからないが、今回はノーランらしからず、作品自体も全肯定に溢れたものではなく、酷く疲れた。
  • 【ホラー映画】最初に幽霊やエイリアンが出てくるまでが1番怖いホラー映画を最後までやりきったホラー映画