2017年5月14日日曜日

【双亡亭壊すべし(4)】少年漫画の皮を被った大人の傷をえぐる少年漫画【藤田和日郎】

世界観が、土着的なものかと思ったらSFになった。
それは意外だったが、作品の何かを損ねてるわけではなく、問題ない。

問題は、SF展開してからの、大人たちである。
この漫画は少年漫画なのに、藤田和日郎が歳のせいか、作品の根本にある「もはや取り戻せない過去の幸せ」がこれでもかってくらいに描かれる。
もちろん、そもそも文学において名作と言われるものに「過去」が条件ともいえる様式がある。
何故なら、遠い過去は子供にとって未知の世界で幻想的であり、大人にとっては取り戻せぬ幸福であり、とらえかたはどうあれ、世代をまたいで見られるからだ。

これが、本作において、きつい。
SF展開をしたところで、そのSF世界よりも日常世界に戻りたい、と騒ぎだす大人たちの描写が、きつい。
漫画だから、様式として流してしまう展開ではあるのだが、作品内で、大人たちは本気でSF世界を拒んでいる。
しかし、最後の最後で拒みきれた結果、実は戻りたいと言っていた日常世界そのものが、大人たちの願望、つまり、大人たちの嘘であった。
帰ったところで、帰る根拠として叫んでいた家や家族などは、作品内の戦いではなく、漫画として描写する必要のない現実にあるそれぞれ些細な人間関係の結果として、死んだり崩壊していた。

そして、それぞれに、過去の失敗や後悔を強く思い出し、悲しみ、自殺する。



本作としては、主人公の強さを説明するための前振り展開にすぎないのに、その材料として扱われている大人たちが、つらすぎる。
思えば、藤田和日郎はまだ若い頃からうしおととらでも、もう2度と戻らない幸福だった過去のために戦う大人、を描いていた。

藤田和日郎が大人である点として、総理大臣の描写がある。
本作は、総理大臣を揶揄しない。
主役じゃない故に過剰に扱われず、脇役でありながら、個人的な事情と国益とを両立させようと苦心しているし、それでいて小物もちゃんといる。
現実の不満を総理大臣に反映させていないし、というか藤田和日郎らしく、不満があるなら文句を言ってないでせめてその理想像だけでも提示してみろ、という大人の意地を感じる。

今ここに来て藤田和日郎は、また10年は残るかもしれない代表作を描いてるのかもしれない。