2015年11月25日水曜日

【シドニアの騎士】最終巻を読んだ感想

これを奇麗な終わりと見るかどうか。
どこでも見られる王道の終わりを、弐瓶勉の作品で見たいのかどうか。
ただし、今作は弐瓶勉を知らない人達へ向けた作品とも言えるので、入り口としては大成功か。
彼の作品を全部読んでる身からすると、物足りない。

つむぎが人間の姿になったら、個性が死んじゃっていないか?
あれが可能なら、シドニア百景48「不明」が台無しだ。
あれは、キャラが死ぬ必要はなくとも、それぞれの精神でしか成り立たない関係が、より強固な肉体関係を渇望した結果、叶わぬからこその外伝であり読者サービスであった筈が、最終回でああなるなら、なんだったんだよあれって感じ。
ハッピーエンドが悪いのじゃなく、受け入れがたい状況を受け入れるのが谷風の英雄性であり、異形も等しく魅力的なのが作品と作家の個性だったのではないか、ということ。

自分には劣化うしおととらにしか見えなかった。
少年漫画の王道をやり、主人公が「獲得」しながら、しっかりと「損失」もしている、だからこそ名作なのだが、シドニアは様式だけで誰も何も失わず、幸福の土台となる不幸が、これまでの事すら無駄になってしまった。

ちょっと前に終わった修羅の門と同じ状態におちいっている。
作品がわかりづらいと言われて、わかりやすくネタを全部消化して説明したら、作品じゃなくなった問題。
これは作家の歳もあって、そこも弐瓶勉に共通していて悲しかった。

意図的に売れる作品を、徹底的に読者に媚びた結果、ちゃんと売れて浸透したのだから、作者も編集も満足だろう。

しかし、もしも次回作もシドニアのような徹底的な媚び路線ならば、作家としては死んだと思う。

個人的にはバイオメガをアニメ化してほしい。